五月十五日・十六日@ウィーン

五月十五日

水曜日のラボミーティングでの発表ですっかり気が抜けてしまい、ここのところマイクラしかしていない。友人のサーバー二つで小さい村を作っているので、最近インテリアのコツなどがまとめたサイトから色々学習して自分のところでもいい感じに改造する。

まだ博論の章(チャプター)の提出期限まで一ヶ月あるから一旦気が抜けても良い時期といえばそうなのだが(二つ研究費の申請も終わったし)、しかし本当にただマイクラをやり続けてやり続けて今日やっと気の済むところまで終えた。もちろんマイクラの場所は(ほぼ)無限なので終わりはないのだが、とりあえず今はこれでいい。それ以外何もせずずーっとやっていたので、やりきった感じである。

思えば、こういう「やりきった!」というような感覚は久しくない気がして、いつも研究も締め切りがあるからとかで妥協してしまうので、自分で決めて終わることが少なくなった気がする。小さい時に思いっきり身体を動かして遊んだり、続きが気になってどんどん本を読み続けた感じとか、そういうのはほとんどない。

五月十六日

今日は何も特別なことをしていないのにいい日だった。こういう日を増やしたい。(いつもいい日だなと思えるのは特別なことをしている日が多かったと思う)

朝、二度寝して十時ぐらいに起きる。朝ごはんを食べて、腐りかけていた玉ねぎを大量に切って飴色玉ねぎを作っておく。すると同居人が来てたまたま深い話をする。同居人はPhDを取得した先輩ということもあって(同分野ではないけれども)、悩みを共有していることが多い。若干年上だからむしろ私が今悩んでることを既に経験済みなことも多く、話がわかってもらえるから嬉しい。

海外に長く住んでること、アカデミアでの職探し、どこかに定住することなど、親や日本の友達に話しても話を聞いてくれるだろうが、でもやはり状況が違うので(自分が話していて)わかってくれているなと感じることが少ない内容だった。それがこの同居人とか、後は自分の指導教員とか定期的に喋るロシア人の友達とかは、アカデミアにいながら海外でも生活したことがある女性なので、話していてわかってくれている気がしていて嬉しい。

私はどうなのかなぁとこの話の後も考えてみるけど結局よくわからない。研究環境だけだったらヨーロッパ(ドイツ語圏あたり)がいいなぁって思うけど、でも住環境とか美的感覚とかそこらへんに重きを置くと日本がいいなぁと思う。あと比較的どの地域も平和だし、そして何より国籍があるという絶対的安心感が大きいのかもしれない。

同僚の中には、いわゆる発展途上国や紛争地域から留学に来ている人もいて、そういう人たちからしたら(実際に聞いた言葉だが)「母国に戻るのは負け」とか「帰りたくても帰れない」ようであって、私は幸い(?)日本に対してそのような感情はないのだが、ゆえに結局どこにいるかは自分次第になってしまう。

お昼は天気が良かったので散歩がてらSchwedenplatz駅まで歩き、イタリアンジェラートを食べにいく。昔も書いたかもしれないが、ここのジェラートは絶品である。ヨーロッパに来て何回もアイスは食べているが、ここの滑らかさに勝るものはない気がする。今日はピスタチオとチョコレートにした。

引き続き天気が良かったので、テラスに座って音楽をSpotifyで流しながら灯光舎の『どんぐり』という寺田寅彦と中谷宇吉郎のエッセイ(というか短編というか)を読む。もともと音楽は好きだけどそんなにマニアでもなかったのが、Spotifyの登場によって完全にこれ任せになってしまい、最近好きなアーティストは何と聞かれて曲のジャンル(例えばLo-fi)は言えるけど、アーティスト名はさっぱりわからなくなってしまった。いいなと思う曲があってもよっぽどでない限りは調べようと思わない。

灯光舎の本のともしびシリーズは装丁がものすごく綺麗なので、手にとって眺めているだけでうっとりする。中は三つの短編しか入っておらず、そのうち『コーヒー哲学序説』は既にiPadで読んだこともあるのだが、美しい紙の本で読むとまた全然違う。『団栗』自体は悲しい話だったが、なんというか日本人の心の動きとか愛とかそういうものをしみじみと感じた内容だった。

夕方はデスノートの上映会をしていたのでちょっとみる(四話まで)。りんごとサラミを食べるけどまだお腹が空いていたので鶏肉・ナス・じゃがいものトマト煮を作って食べる。

何もないけどなんだか心が充実した日だった。読んだ本が良かったのかな。来週は同じラボの先輩二人の公聴会があるので忙しそうである(聞いてるだけだけど)。