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持続可能な自分の暮らし

9月。

私の誕生月である。

23歳になった、2019年の9月。
私は旅しまくっていた。飛び回った。

基本、林業とまちづくりについて
学ぶための、旅である。


■滞在した場所。
東京→丹波→九州(小倉、津屋崎、島原、南小国、頴娃町、日南、佐伯市)→四国(高松、上勝町、今治、松山)→東京→千葉(鴨川、南房総)→東京→北海道(札幌、下川町、旭川、厚真町)→東京
※ ちなみに、この旅の途中にたまたまお会いした丹波にゆかりのある人は、3人。さすがの引き寄せ力。笑
※三、四時間の移動が近いと思うようになってしまいましたw


実に、総移動距離約5000キロであるw
日本の長さは南北2845キロらしいw

我ながら、飛び回るにもほどがあるやろ!
って、ツッコミたい。笑
さすが多動。笑

アイデアは、移動距離に比例するらしい。
確かにアイデアは出まくっている。
大変なことになっている。笑

今少しずつアウトプットしているけれど、
あっとゆう間に今週末から七尾・丹波である。
えらいこっちゃ。

そんなことは、さておき、

この旅で気づいたことは、

持続可能な自分の暮らし

東京に上京して5年目の私。
自分の暮らしは、持続可能だろうか。
ふと、旅を振り返った時、思った。

最近になって、料理の楽しさを覚えた私。
できるかぎり、自炊するようになった。
恥ずかしながら、以前は、
スーパーやコンビニで、お惣菜を買ったり、
安い学食か、定食屋さんでご飯を食べていた。


…もし、どなたかが作ってくださったものを
食べれなくなったら、私はどうなるだろう。


きっとスーパーや飲食店は、
野菜をどなたかから、買っている。

…もし、どなたかが、作った野菜を
買えなくなったら、私はどうなるだろう。


そう思うと、本当に沢山の人に支えられ
そして、たまに私も支え、いきている。


私が、18まで暮らしていた丹波では、

お父さんが作った野菜やお米を、
お母さんが料理して食べていた。

70歳になるお父さんが小さい頃は、
農業はもちろんのこと、
おじいちゃんが山で木を切ってきて
薪で暖を取ったり、お風呂を沸かしたり、
ご飯を作っていたらしい。


どんな暮らしが持続可能だろうか。


今私は、沢山の人やサービスに
自分でやらなければいけなかったことを
外注し、生きている。

飲食店やコンビニで働いているのは、
日本人より、外国人の方が多い。
だからどうってわけでもないけど、
日本人はそこまでして、
何を得ようとしてるのだろう。


何の為だろう。時間のため?お金のため?

しかしながら、
この社会の仕組みだからこそ、
人は好きなことを仕事にできるように、
より、好きなことに集中できるように、
なったのだろう。
もっと人に感謝しよう。


この社会を持続可能にする。
自分の愛する地域を持続可能にしたい。

そんな想いを持っている。

けれど、まずは私は、

私なりの持続可能な自分の暮らしをしたい。

と思った。

社会のなにかのピースが欠けた時にでも、
自分の力で自分の暮らしを保ち続けられるように。


自分で作った野菜やお米で、
料理をしてご飯をたべたい。

暮らしでつかうエネルギーを
自分で山から切ってきた木でまかないたい。


たった50年前には
当たり前だった暮らし。

たった50年の間に、
私たちはどれだけの
能力を見捨ててきたのだろう。

でも、少しずつ、
そういう暮らしを目指したい。


そういう暮らしは、
なかなか大変だと思う。
今はまだ、夢の世界。
でもいつか。

とりあえず、来年から、農業始めたい。
家庭菜園レベルかもしれないけれど、
自分で作った野菜を、自分で料理したい。

自分のことを、自分でする範囲を増やしたい。
今できることは、もっとバイトして、
親からの仕送りの額を減らすこと。


そんなことを思った9月でした。


※この価値観を誰かに強制するつもりはないです。私はやりたいから、やります!


大事なことに気づけたなあ。
ちょっとモヤモヤしていたことが
ちゃんと言語化できてよかった。


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