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#15 兼業生活「<人間くさい>商売から見えること」〜小川さやかさんのお話(1)

文化人類学者・小川さやかさんの研究を知ったのは、コクヨ野外学習センターのポッドキャスト『働くことの人類学』がきっかけでした。

この番組は毎回ゲストの人類学者のお話がユニークで、自分の中のちっぽけな常識をひっくり返される気持ちよさもあって。とりわけタンザニアの零細商人を調査対象とする、小川さやかさんの放送回(第4話)が印象に残りました。会社員時代、自分をがんじがらめにしていた「理由がわからないけど従わなきゃいけないルール」と、それに従うことによって「自分が少しずつ擦り減っていく感じ」に、言葉を与えてくれる気がしたのです。

放送を聴いた後、すぐに新書の『「その日暮らし」の人類学―もう一つの資本主義経済』、それから『チョンキンマンションのボスは知っている――アングラ経済の人類学』を読みました。

後者は、2019年の河合隼雄学芸賞と大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞し、大変話題になった本です。いずれもエッセイの連載を再構成したもので、タンザニアの零細商人(現地では「マチンガ」と呼ばれる)が自国や香港で、たくましく人間くさく商売する様子にワクワクしました。さらに彼らの置かれた状況や歴史を知りたいと思い、博士論文を加筆修正した『都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』を読みました。

この本を読んで、彼らの商売にはこのnoteで考えている「仕事と生活(人生)のバランス」のヒントがたくさん詰まっていると感じました。「もしできるなら、小川先生にお話を伺ってみたい……!」と、恐る恐る送ったメールにお返事が来たときは驚き、本当にうれしかったです。今回もやりとりをもとに構成しました。宜しければお読みください(全4回の記事です)。

(プロフィール)
おがわ・さやか 1978年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。主な著書に『都市を生きぬくための狡知—タンザニアの零細商人 マチンガの民族誌』(2011年、世界思想社、第33回サントリー学芸賞)、『「その日暮らし」の人類学—もう一つの資本主義経済』(2016年、光文社)、『チョンキンマンションのボスは知っている—アングラ経済の人類学』(2019年、春秋社、第8回河合隼雄学芸賞、第51回大宅壮一ノンフィクション賞)など。

日本社会は「人」より「システム」を信頼している

室谷 取材依頼のメールをお送りしたとき、ちょうどタンザニアに行かれていたんですね。Twitterで「命の洗濯をした」と書かれていて。

小川 ハハハ、「心の洗濯」ですね。スワヒリ語で「kuosha moyo」。飲み会でビールを飲んだときとか、「心の垢を落としてスッキリする」という意味でよく使う言い回しです。フィールド調査は2020年2月以来で、久しぶりに行けてすごく嬉しかったです。

室谷 今回は小川先生のご著書から、働き方について質問させてください。少し前置きをすると、私はシンクタンクで10年働いた後、フリーランスのライターになりました。ビジネス関係の取材を長く続けているのですが、最近は、「管理する/される」難しさによく思い至ります。

日本の大企業ってすごくマネジメントが巧みで、従業員のミスがあるごとに管理を強化し、リスクを減らしていく。「やりがい」への意識も高く、従業員のモチベーションを上げる施策をいろいろと研究しています。その技術は上がり続けているけど、管理される側はそれで幸せなのか。私の実家は寝具店で、父が布団職人、母が店番でパートさんがいる、まさに零細企業なんですね。でも自分たちでいろいろ考え実践して、商売が楽しそうです。私自身も、会社でガチガチに管理される働き方を続けることに限界があり、フリーランスになりました。

小川先生はタンザニアの都市で生きる零細商人(マチンガ)と、そこから中国本土・香港に渡った商人を調査対象になさっています。まず前提として、タンザニアは日本と違って、定職につく人よりも路上商売や零細企業、日雇い労働などをわたり歩く人が圧倒的に多い。そういう社会を見ると、私たちはつい、不安定な就労よりも会社員が多い社会の方が進歩しているとか、洗練されているというふうに思いがちです。

小川 うん、うん。

室谷 でも小川先生はそうじゃなくて、マチンガのことを「路上の起業家」と呼び、そのふるまいに立ち現れる技や知恵をていねいに集めています。ご著書でも、先行研究に対して「タンザニアの行商人や露天商、路上商人を『偽装失業層』『不安定就労層』に位置づけるインフォーマル経済の視座にあまり関心を持てなかった」とあります。そういう発想は、どこからきたのでしょうか。

小川 文化人類学では「参与観察」が基本で、現地の人々と生活を共にし、彼らの営みに参与しながら学びます。それは、自分たちが持つ「こちら側」の価値観をとりあえず括弧に入れて、まっさらな気持ちで「あちら側」の人々から学ぶということなんですね。

私はタンザニアのマチンガを調査対象としたので、彼らが先生でした。最初は古着の行商人に弟子入りして1年ほど行商し、その後、仲卸人にもなりましたが、全然うまくやれないんですよ。外から見ると「行商なんて簡単にできる」と思ってしまいますが、実際はすごく難しい。

タンザニアには120以上の民族が住んでいて、公用語のスワヒリ語は話せますが、歴史的背景や宗教、慣習や社会制度もそれぞれ違う。そんな人たちが都市に流れてくる。しかも一緒に仕事をしていてもニックネームしか知らなかったりします。その状況で、マチンガの仲卸人は行商人に何十枚もの古着を預けます。そうすると商品を持ち逃げされたり、稼いだお金が返ってこなかったりする。売り上げをごまかされるのも日常茶飯事。私は担保をとろうとしましたが、「うちにあるのは、壊れたラジオとベットマットくらい」と言われて。日本だと考えられないような状況でビジネスが回っていることに、すごく驚きました。

商品やお金を持ち逃げされたら、日本だと警察に行きますよね。でも商人たちは、警察に訴えても仕方がないと語る。住民票もなければ、監視カメラもほとんどない。別の都市に逃げたら、捕まえるのは本当に大変です。

室谷 『都市を生きぬくための狡知』に、そんなマチンガたちの商売が詳しく書かれています。彼らは、相手をよく見ますよね。そこが日本と全然違う。

小川 そうなんですよ。政府も警察も頼りにならないアナーキーな状態では、その場にいる人間同士でなんとかやっていくしかありません。人は生き物ですから、ちょっとした失敗もするし、どうにもうまくいかないとき、急に豹変することもある。不確実性の高い状況で商売を続けていくために、マチンガたちは客や仲間に関心を持ち、状況の変化をよく見ているんですね。
 
彼らの前提にあるのは、「人は誰しも悪いことを考えるし、追い詰められると逃げる」ということ。そのギリギリのところで駆け引きをし、うまくやっていくずる賢さ(狡知)を、彼らは「ウジャンジャ」と呼びます。これはマチンガの重要な資質とされていて、私が商売を始めたとき、客や仲間から1日に何十回も「お前はウジャンジャだ」「いや、ウジャンジャではない」と指摘されました。辞書を調べると「ずる賢い」とあって、最初はその意図がつかめず、戸惑いましたが……。
 
例えばウジャンジャな行商人は、客と値段交渉をしながら「この人はかなり生活が厳しそうだ」と思えば相場より安く売り、「お金がないと言っているけど実は持っているな」と見なせば高く売って、全体で収支をプラスにします。その際、詐欺レベルまでやる人はウジャンジャではなく、ただの悪人、犯罪者として区別されます。
 
また、ボスの仲卸人に対して、「彼は今すごく調子に乗っているから、喝を入れておかなきゃ」とあえて商売をサボったりする。でも「これ以上追い詰めるとキレる」と判断すれば、売り上げに協力し、助け舟を出す。こんな部下、日本では絶対に好かれませんが(笑)、タンザニアのボスたちはウジャンジャな行商人こそ取引相手にふさわしいと声をそろえます。彼らは、「信頼できる人間」など1人もおらず、そのときどきで「信頼できる状況」があるだけだと考えている。だからこそ、その状況を見極めて乗り切っていけるウジャンジャを重視するのでしょう。
 
一方、日本では「人を信頼しよう」と教育されるし、わたしたちもそれを当たり前だと思っていますよね。でも本当に、目の前の相手を信頼しているでしょうか。もし相手が悪いことをたくらんでも、詐欺や暴力にあったら警察に電話すればいいし、買ったものが不良品なら企業や消費者センターに問い合わせればいい。実は個々人への信頼よりも、そういうシステムが構築されているから「そんなに悪いことはできないだろう」という暗黙の了解の上で、人間関係が成り立っているのだと思います。

室谷 私たちが目の前の人間ではなく、システムを信用しているというのは本当にその通りだと思います。最近は経済や政治が不安定になってきて、にわかに「コミュニティー」づくりが流行っています。でもそういう場に行っても、自分も含めて多くの人が人間関係のつくり方を忘れちゃっていて。無理してがんばって、疲れちゃったり……。

小川 ふだんからやっていないと、忘れちゃいますよね。日本のコミュニティには人づきあいが苦手だと語る人も多く、「私はこれだけがんばったのだから、彼も同じようにしてくれないと困る」という等価交換の原則を持ち込みがちです。ちょっとでもやらない人がいると、「サボってずるい」「私ばっかりがんばっている」とムッとしたりして。そういう場所は、すごく疲れます。

チョンキンマンションのボスは知っている』でタンザニア香港組合(香港のタンザニア人たちによる助け合いの組織)について書きましたが、彼らは、メンバーの人格や香港にいる事情、懐具合などがバラバラであることを前提に活動しています。みんなに同じことを求めても仕方ないので、「この人はここまでならできるだろう」「これ以上はまあ、いいか」というのを見極めて対応する。「どんな人がメンバーにふさわしい」「どんなときに助ける」という条件・ルールは、あえてつくりません。そうやって相手ごとに対応を変えるのは大変そうに思えますが、ピアノの練習のように毎日やっていれば、慣れてうまくやれるようになります。

逆にそういうやりとりが減っていくと、些細なことが大変に感じられて、どんどん人間関係が苦手になっていく。でも人づきあいの機微を磨くのではなく、便利に管理できるツールを導入し、個人が「間違えないできちんとする」ことでなんとか社会を回そうとしています。その結果、ちょっとした間違いでピーッとエラー音が鳴ってマイナス点がついちゃうこの感じ……、あまりに窮屈ですよね。

(つづきます)→「なぜ大手ECサイトより、マチンガのSNSが人気なのか」

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです


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