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書評コラムを書きたい!でも、どうやって?

 463冊。今、私のAmazon「ほしい物リスト」に入っている本の数だ。
 これらの多くはSNSやWeb記事・新聞などで紹介されていて、「私も読みたい!」と思った本たち。つまり、400回以上は、誰かの「こんな本、読んだよ!」「こんな本、あるんだよ!」に影響を受け、Amazonのページを開き、検索し、リストに入れることを繰り返したことになる。

 書評コラムを書いてみたいと思っている。どうせなら、自分もそうであったように、読んでくれた人が小さくても何か行動に移したくなるようなコラムを。けれど、どうやって書いたらいいものか……と最初の段階で、数週間も使ってしまった。そして、まだ一文字も書けていない。そういうときには、先輩方の書いたものから学ばせてもらうのが一番だ。

「これ、すごい!」から共通点を探してみる

 本を紹介している文章で、特に印象に残っているものを挙げてみる。そこに共通点がみつかれば、私も取り入れやすくなるはず。

 最初に思い浮かんだのは、大越裕さんのこの文章。さとゆみさんの『ママはキミと一緒にオトナになる』に出てくるワンシーンと、明代の中国で書かれた『水滸伝』。ここには、「2人の人間の実存に関わる真剣な闘争」という共通点がある、という。
 「ママキミの話を書くのに、こんなところから入るなんて、ズルくないですか?」そう思った。そして、知識があるからこそ、厚みを持って1つのことを語れるんだと、自分の無知っぷりが残念で仕方なくもなった。


 もう一本。私にとって、書評コラムの目指す形は、telling,でのさとゆみさんの連載「本という贅沢」だ。
 このコラムではたいてい、紹介する本とは直接関係のないエピソードからはじまる。そしてコラムの大部分がそのエピソードに割かれる。そのエピソードの吸引力がすごくて、ぐいぐい読み進めてしまう。読んだあとは、しっかり「この本、読みたーい!」と思う、魔法みたいなコラム。

 『千年の読書』の回で、さとゆみさんが書評コラムについて書いている箇所がある。

私にとって「良い本」とは、「良い(思考の)旅」をさせてくれる本のことで、だから、面白いと感じた本ほど内容が頭に残っていない。ページをめくるたびに興奮し、いろんなことを思いついては考え事をしてしまうので、何が書いてあったか覚えていないのだ。

本に何が書いてあったかは覚えていないけれど、その時にした(思考の)旅のことは覚えている。だから、私はこのコラムにいつも、本の内容ではなく、自分が旅した景色の方を書いている。

telling, 本という贅沢#155『千年の読書』

 自分が(思考の)旅をした景色の方を書く、これは大越さんの文章を読んでも感じたこと。そして、さとゆみさんが編集長であるメディア「CORECOLOR〜コレカラ」に掲載されている書評コラムにも共通していると思う。

なるほど!共通点は見つけたぞ。けれど、取り入れられる気がしない……。

書評コラムに思考の旅でみた景色を書くには

 本を読むとき、私はグッときたフレーズや、今までの自分にはなかった視点だと思った箇所に付箋を貼って読み進める。そして、読み終わったあと、付箋を貼った箇所をノートに書き写す。けれど、書き写すだけでは、思考の旅には出られないんだ。

 なんせ読みたい本がうしろに463冊。自宅にすでにある積読本を含めると、500冊は控えている。だから、無意識に本を早く読み終えることをよし、としていたのかもしれない。途中で旅になんて出ている暇はなかったのだ。けれど、私は本を消費したいわけではない。本には、自分の思考の枠を広げたり、深めたりする伴走をしてほしいと思っている。そして、その過程を書評コラムとして残しておきたいのだ。

私が知るべきは書き方ではなく、読み方

 これまでコラムが書けなかったのは、書評コラムの書き方がわからないから。その前提で、このnoteは書きはじめた。けれど、違ったみたい。

 私はまず本の読み方を変える必要がある。早く読み終えることよりも、その本でどれだけ思考の旅にでかけられるかを大切にする、そんな読み方に。

 結局、書評コラムが書けなかったのは、書き方がわからなかったのではなく、文字にして残したい衝動に駆られるほどの何かを本から受け取れていなかったから。ただ、文字を追って、記録していただけだったから。やだ、結構ショックな事実に気づいてしまった……。

 まずは本の読み方を変えよう。そして、旅にでよう。そうすれば、「書き方がわからない」なんてことが気にならないくらい、書きたいことが出てくるはず。まずは、そこからだ。

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