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受付のあいさつ警備員さん

あつこの働いているビルは雑居ビルだ。
1階の入り口には、案内カウンターがある。
役所の一部門も入っているので、警備員さんが受付も兼ねてカウンターの中にいる。

朝、ビルの中に入っていくと、警備員さんが
「おはようございます」
「おはようございます」
と、律儀に挨拶をしてくれる。

もちろん、不審者が入ってこないか見るお仕事も兼ねているわけだが。

ところが入ってくる人の半分くらいは無言で通り過ぎていく。
警備員さんの声が
むなしく一方通行で消えていく。

あと半分の人々が、小さな声でボソボソ返事をしたり。
軽く頭を下げたり。
大きな声で挨拶を返す人はそう多くない。  


あつこは、大きな声で返事をする。
もともと声が大きい。
挨拶は基本だと教えられて育ったから。

ーーー
警備員さんは5人ぐらいで、ローテーションを組んでいる。
同じ挨拶でも、人間がやることなので、そこには個性が出る。

ひときわ目立つ警備員さんがいた。

まっすぐに立ち、ちゃんと90度頭を下げて挨拶をする。
入ってくる人が、3人4人と重なった時も、そのひとりひとりに対して
直角のお辞儀を繰り返す。

ひそかに「直(ちょく)さん」というあだ名をつけた。

彼が受付にいるときには、よりはっきりと通る声で
「おはようございます」を返すようにした。

ーーー

では、帰りはどうするか。

あつこは帰りも挨拶をしている。
「お先に失礼します」

そうすると、カウンターの中から
「お疲れ様でした」と声がかかる。

その声にほんわかする。

ーーー

秋の夕日がきれいな午後5時過ぎ。

いつもの通り、帰り際に
「お先に失礼します」と言って、1階の受付の前を通った。

「ちょっといいですか」
呼び止められた。
(あれ、何か不審なところがあるのかな)
不思議に思いながら近寄っていくと。
それは、90度お辞儀の直さんだった。

直さん「お疲れ様でした」

あつこ「何か、ありましたか??」

ーーー

直さん「そうではなくて。実は私、退職するんです。今日が最後の日で」

白髪混じりの頭で、少し微笑みながら、そう言った。

あつこ「そうなんですか。大変お世話になりました」

直さん「定年後警備員になってここで3カ所目なんだけど、
とうとうここも辞めることになりました」

あつこ「いつもていねいな挨拶ありがとうございました。」

直さん「いやいや、あなたはひときわ大きな声で、朝も帰る時も挨拶をしてくれたから。
ちょっと声をかけてみたくなって」

ーーー


直さん「あいさつの返事をしてくれない人も多いんだけど」

あつこ「そうですね」

直さん「でもそんな人には、ひときわ大きな声で声をかけるようにしてるんですよ。
まぁ、言うなれば、自分のために挨拶してるようなもんですね」

あつこ「いつも挨拶をしてくださって、力をもらっていました。

朝は爽やかな気持ちになるし、帰りは、なんだかほっとするし」

直さん「いや、そう言ってもらうと嬉しいです」

そう言って、笑った。
優しいおじいちゃんの表情が見えた。

あつこ「これからどうされるんですか?」

直さん「家でのんびりします。
まぁ、働ける機会があれば働くかもしれませんが、なかなか難しいでしょう。」

あつこ「そうですか。少しゆっくりなさってください。」

ーーー

そして、帰宅途中に歩きながら考えた。

そうか、あのていねいなお辞儀は自分のためだったのか。

彼なりの誠実な仕事のあらわれだったのだ。

ちゃんと挨拶をしておいてよかった。

明日から、受付の前を通ると
ちょっとだけ寂しくなりそうだ。

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