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ハンドル名に年齢を入れる理由

ハンドル名に年が入っているnoterさんはあまり見かけない。
2022年元旦の決意表明として、
なぜ私がハンドル名に年令を入れているか話してみたい。

※ふつうの自己紹介はこちら↓


2年3ヶ月前・・・困っていた

今まで、守られて生きてきたと思う。
父母に、兄に、夫に。
路頭に迷うような目には、あったことがない。 
とはいえ、半世紀以上生きてきたから、大変な時もある。

相続とか、お墓探しとか、自分の生き方とか、学びたいとか、介護とか、
(あらあら止まらない・・・)

2年と3ヶ月前に状況がガラリと変わった。
夫が会社の継続雇用(60歳以降)を断ったのだ。

夫は営業成績を上げ続けなくてはいけない体制に
すっかり疲れてしまったように見えた。
2番目の娘がちょうど独立して家を出るタイミングだった。

「ボクはもう、働かなくてもいいかなあ」と言われたとき

私は止めるべき言葉を持っていなかった。
夫が体調を崩したり
気持ちが壊れてまで働くのは
賢明じゃなかった。

あなたがそういうならば、と受け入れた。


たくさんの人が夫の退職を惜しんでくれたのは、ありがたいことだった。


結婚30年目にして、夫と妻の立場が逆転


夫はゴミを出したことが1回しかない。
私がつわりで苦しんでいる時だった。

夫に言わせると
「スーツはいわば戦闘服。ネクタイを締めてキリッと喝を入れる。
そんな状態でゴミ袋は持ちたくない」

やってもらった記憶があるのは、年末の換気扇掃除とお風呂掃除くらい。
平たく言えば、家事をしない夫だったのだ。

夫の会社は確定拠出年金の制度を採用しているため、退職金がない。
勝手に辞めたので失業保険もすぐには出ない。

経済的な理由で、私は仕事を探し始めた。
フルタイムの仕事( やっぱりアルバイトだけど)を選び、
ここに夫と妻の立場が逆転した。


やり方が分からない 


夫は理科系出身である。
道理が通っていて、やり方が分かっていれば
ある程度こなせる。
勘や経験が必要なものが、からっきしダメなのだ。

【ゴミ出し】

スムーズに移行することができた唯一のもの。
順番にゴミ当番があるのでその時はほうきとちりとりで場所をきれいにする。
何回か間違ったり失敗していたが、
全部任せていたらできるようになった。


【お買い物】

大苦戦。もう言いたいことがたくさんある。頼んだ物が買って来られない。

・しそを頼んだら「大葉はあったけどシソはなかった」と手ぶらで帰ってきた。
・わけぎを頼んだら何も買ってこなかった。
・お肉を頼んだら、高い肉を買ってきた。

本当に細かく正確に言わないとだめ。
店員に聞けない。
自分で見つけて達成感を得たいそうだ
(何を言っているのかわからない)。


【料理】

大苦戦。調味料の量を正確に言わないと分からない。
理科系の実験である。
醤油と砂糖を「てきとうに」と言うと、途方にくれる。
「てきとうっていうのは
小さじ半分なのか、大さじ一杯なのか」
と言われたときには、笑っていいやら怒っていいやら
反応に困った。

【お掃除】

こちらも細かい指示が必要。
こだわりたいところに鈍感だったり。
どうでもいいところを張り切ってきれいにしたりする。
夫婦の感覚がかみ合わない。


夫婦仲が険悪に

二人暮らしが始まってから
言い合いをすることが多くなった。

アルバイトとはいえフルタイムの仕事で疲れて帰ってくる。

洗濯物をとり込んではいるが
洗濯バサミや、さおはそのままでしまわれてない。
欲しかったものが買い物できていない。 

「なんで洗濯バサミやさおも片づけてくれないの」
「この場合は豚肉じゃなくて鶏肉でしょ」
「掃除機どうして自分の部屋しかかけないの」 

夫は冷静な人だが
ふとした瞬間に口けんかがはじまってしまう。

話すことが少なくなった。
夕食の間ずっとお互いに無言だったこともある。

もう、離婚かもしれない。
寝ていると、涙がでてきた。
大好きで結婚したのに。
一緒にいるだけで良かったのに。

夫婦仲について悩んで、話題になっていた本を読んでみた。
脳科学の立場から男の考え、女の考えを探るものだ。

確かにそういう部分があるのかもしれないが、
女性だからこうだと決めつけられているような違和感があった。
残念ながら私の悩みの解決には結びつかなかった。


自分の心の中の意地悪な本音に気がつく


そんなある日、
「朝日新聞Reライフプロジェクト」が開催した Web セミナーを視聴した(期間内なら何回でも見れる→現在は総集編を公開)。

リンクはこちら


講師は家事研究家の佐光紀子さん。

「家事をきちんとやるという思い込みを捨てる」
「家事を手伝うではなく最初から最後まで任せる、尻拭いはしない」
という考えに共感した。

「ああ、わたし、いい奥さんをやろうと一生懸命だったんだ」と気づいた。

夫はいつも仕事が第一だった。

子供を二人抱えて大変なとき、
夫は仕事で不在だった。
ときどきお散歩に連れて行ってくれたりしたが。
オムツ替えの、うんちは無理だった。

家事に育児に疲れていた。

「どうしてできないの、こんなの買って来られないの」と責めることで
あの時の悔しさを埋めていたんだ。

手伝ってくれなかったから
今できないんでしょう。
だから私に責められるんでしょ。

自分の心の奥底の
意地悪な本音に気が付いてしまった。


自分も、相手からも歩み寄ってもらうために


夫も誘ってもう一度このセミナーを見た。

「家事ができないままで、
私に何かあったら
パパは一人じゃ生きていけないよ」と言ってみた。

この時から私は

・「頼んだなら任せてみる」
・「頼むことは言語化してプロセスを伝える」
・「直してほしいことは感情を交えず事実を淡々という」
・「できたらかならずほめる」
ということを実践し始めた。
佐光紀子さんの本をかたっぱしから読んだ


効果はわりと早く現れた。

私がありがとうと言うと、 夫もありがとうと返してくれるようになって
そこにはちょっとほんわかした空気がただよう。

私だけが歩み寄るんだけじゃなくて、夫の方からも歩み寄ってもらう。
そしたら半分で済むじゃない。

結局人間は経験しないと分からないことがある。
もちろん私のパターンは
星の数ほどある夫婦のパターンの中のひとつだ。


50歳で見えた景色と60歳で見える景色は違う


私が夫と一緒にいられるのはきっとあと20年から30年というところ。

けんかばかりして生きていくよりも、
頑張るところは頑張って
手を抜けるところは手を抜いて
二人でいい人生だったねと言って
終わりの日を迎えたい。

シニア向け雑誌を見ると「卒婚」「熟年離婚」
という刺激的な言葉が飛び交い、つい 興味を持って見てしまう。

 DV 夫だったり、モラハラ夫だったりしたら
離婚も卒婚も、大いにありだ。

 でも大多数の人は、
なんとなく心のすきまを埋められないまま
同じような生活を続けているのではないか。

私も夫と向き合わなかったら
つらい思いを抱えて同居していた。
弱虫なので離婚できない、きっと。

家事を頑張りすぎないこと
任せてみること。尻ぬぐいはしないこと。
お互いに歩み寄れるよう
作戦を持って行動すること

50歳の時に見えた景色と
60歳の時に見えた景色は違っていた。

体力がなくなってきた。
これはその年にならないとわからない感覚だ。
その代わり知恵がついてきた。

今、私が考えていること
体験していることは、
まぎれもなく61年間の試行錯誤の結果。

その年齢で見えている景色をきちんと伝えたい。
事実ほど強いものはない。
それが誰かのお役に立てればこんなにうれしいことはない。

だから、私は自分の年齢を名前の後につける。
人生100年時代を迎えるたくさんの夫婦の
参考になればいいなと思いながら。

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