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書くことの個人的な歴史 ザ・昭和

今は誰でも自分の思いを発信できる時代。

私もようやく最近、ネット上に文章をアップすることに慣れてきました。

ここにたどり着くまで、なんと長い時間がかかったことやら。

あれっ? ブログやSNSをやる前はどうしていたんだっけ?

ちょこちょこ文章は書いていたはず。

と、昔を思い返してみると……

雑誌に投稿していた時期もありました。
掲載されるとうれしかったなぁ。
いつもは図書館で読んでいたのに、
掲載誌だけは購入して(笑)
  
学生時代はサークルや部活の文集、手紙や通信を書いたり、印刷したり。
当時は手書きのものを印刷するのが当たり前でした。

鉄筆で書いてガリ版印刷したり、手刷り印刷したりしたのは小学校の頃?

たぶん、若い人には何の話だか全くわからないでしょうね。

昭和50年代の話です。
(その頃を昭和後期と呼ぶと聞き、歴史上の人物になった気がしました)

もっと個人的な書く話だと、交換日記。
小中学校時代、仲良し女子グループ6、7人で1冊のノートを回して書いていました。

書くのが遅い子がいるとコソコソ陰で悪口を言って、仲がいいはずなのに女子は怖い。

令和の時代も交換日記はあるのかな?

文通もしていました。転校した友人と。
とても筆まめの子だったのでお互いの記憶が曖昧になる5年間くらい続いたと思います。

あらためて思い返してみると誰かに向けての文章はずっと書いていました。
でも相手は必ず読んでくれる知り合い。

雑誌への投稿も必ず編集部の人が読んで掲載かボツを判定してくれる。

投稿に何かあっても編集部がワンクッションになる安心感もあります。

でもネット上の文章は、不特定多数の人が対象で、誰が読むのかわからない。
そもそも、誰も読んでくれない可能性の方が大きい。

何気ない投稿が炎上した、なんて話を聞くと怖くてなかなか手が出せない。

そんな昭和のおばちゃんです。

時代が変われば、文章の書き方や発信方法も変わる。

自分も変わらないと取り残されちゃう。

殻を破って動き出せて良かった。

これからも取り残されないようにぼちぼち、ゆるゆるとnoteを書いていきます。


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