生まれておいで 生きておいで
東京国立博物館で開催中の、内藤礼「生まれておいで 生きておいで」展に行きました。
人間の中に備わる’優しい場所’が抽出されてた空間を感じました。
私が女性だから?女性の世界にも感じました。と言っても、現代社会で活躍する輝く女性のイメージではなく、もっとずっと奥深いところの、あらゆる女性が同じように持っている場所。日々、遭遇する謎なことを理屈抜きに受け止め、変化の時を静かに待ち、生み出す場所。
まるで母親の胎内のような柔らかく温かく優しいところ。
子供の頃から、女は損、男に生まれればよかったとばかり思ってきた私が、なぜか40歳を超えた頃、急に理由もなく、男性の世界への興味が減って、女性の世界に惹かれ、女性をちゃんと生きたいと思い始めました。今まで置き去りにしてきてしまった女性を取り戻したい、女性を生きなくちゃと思えて仕方なくなったのです。そもそも私は女性に生まれ、身体と心の性の不一致もなく普通に女性として暮らしていたので妙な話ですが、なぜかどうしようもなく、理屈を超えて体の奥から伝わってくるのです。その場所が、まさに、今回の展示の世界とピタリと重なりました。
展示会場に設置された高さ10cmくらいの桐の箱の作品は、自由に座ってくださいというもので、中年女性客の二人、壁側の桐箱に座り、世間話をしていました。普通、展覧会場の私語は耳障りですが、不思議と邪魔にならず、むしろ、風や光や影と一緒に、自然の情景の中に溶け込んでいました。
ふと、見ず知らずのご年配女性客が、ニコニコしながら「ホラここみて」とジェスチャーをしながら私を呼ぶのです。彼女が示す先の桐箱の角をよく見ると、糸で繋がれた1センチ角の銀色の紙が、風にひらひらと舞っていました。思わず、感動で開いた口を手のひらで抑えつつ、その笑顔の女性に、笑顔でお礼を返しました。
自然に、語らいが生まれ、人と人が繋がりあう空間が、そこに在りました。
この時空は、恒久的に普遍的に人の中に備わり、人と人はそこでつながり合うのだという感動。
そして、その感動さえも、自然の情景の中に溶け込んでいるのでした。
展示を思い出しながら深呼吸。
すると、あの展示空間に、もう一度誘われます。
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