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ジェンダーを話すとき、私は優し過ぎるのではないか

普段、ジェンダーについて、マジョリティ/マイノリティについて、講演やセミナー、授業などでお話させていただいたり、個別にご相談やご質問をいただいてお伝えさせていただいたりすることが仕事なんですが。
最近感じていることー「私は優し過ぎるのではないか」ということ。

なぜ、優しくしてしまうのか

一言でいうと、「聴く耳をもってもらうため」です。
ジェンダーについて共感や関心を寄せている人もたくさんいる一方で、
「失言したら怒られそう」
「誰かを傷つけたらイヤだからあまりジェンダーには触れたくない」
「フェミニストって人の話を聴かないよね」
「ジェンダーを言ってくる人って、主張が強過ぎると思う」
と感じている人も相当多いと感じています。

最初っから苦手意識を持っている人に対して、強め・厳しめに話すと
「やっぱり、ジェンダーの話って難しい、あんまり触れたくない」
「ほら、やっぱりジェンダーのこという人って怖いよね」
と、”やっぱり”と言われて、よけいに苦手意識が強まることを恐れているのです。

『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』(デラルド・ウィン・スー著)では、スー氏自身の飛行機での出来事が紹介されています。

 アジア系アメリカ人であるスー氏が、アフリカ系アメリカ人の同僚といっしょに飛行機に乗った際に、スタッフに「どこでも自由にお座りください」と言われ、通路近くのゆったりした席にすわった。あとから来た白人の乗客も、その近くにすわった。
すると離陸する前に、先ほどと同じスタッフがスー氏と同僚に「飛行機の前後のバランスを取りたいので、後方の席に移ってくれませんか」と声をかけてきた。
後方の席に移ったものの「先に座った自分たちが移るように言われたのは、自分たちが有色人種だからではないか」という思いが頭から離れず、こらえることができずにスタッフに聞いた。
「あなたは、2人の有色人種の客に対して、『バス』の後方に行けと頼んだことを自覚していますか?」
スタッフはぞっとしたような表情でスー氏を見つめた。
「私は今までこんなふうに責められたことはありません!よくそんなことをおっしゃることができますね?私は人種差別などしていませんよ!私はただ飛行機のバランスを保つためにあなたがたに移動をお願いしているだけです。」
・・・・・
スー氏は、アフリカ系アメリカ人の同僚が自分を助けてくれるか、自分を支えてくれるのではないか、と期待していたけれど、同僚はただ微笑んだりするだけだった。
後から「どうして、何も言わなかったんですか?」と尋ねると、
「スー、たまには、怒っていない黒人女性になってみたかったんですよ」と同僚は答えた。

『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』(デラルド・ウィン・スー著)

つまり、スー氏と一緒に怒ったときには「やっぱり黒人女性はすぐに怒る」と思われる、ということなんだと思います。


優し過ぎることの弊害


「相手の話を聴かないフェミニスト」ではなく、「あなたの意見もきちんと尊重するフェミニスト」だと思ってもらって、聴く耳をもってもらうことで感じるモヤモヤが2つあります。
①例外的なフェミニストだと認識されているような違和感
②伝えたいことが伝わっていない

①例外的なフェミニストだと認識されているような違和感
年に1回授業をさせていただいているA大学。担当のB先生から、こんなことを言われました。

菅原先生(私のこと)は、ジェンダーの活動をしているのに、すごく柔らかいですよね。
以前、大学時代の先輩に連れられて、上野千鶴子さんと同じ会合に出たことがあるんですよ。もう、怖くって、一言も話しませんでしたよ。
それに比べて、菅原先生はとてもやさしくて柔らかいですよね。

ほめてるんですよ。
めちゃくちゃいいと思ってご本人はおっしゃっているのですよ。
しかし、私にとっては馬鹿にされている、舐められている、としか思えず。
「上野さん、ごめん。」みたいな、情けない気持ちになりました。

また、他の大学で講演をした際には、アンケートで「初めて、まともなジェンダーの人に会いました」という感想が。
他の質問項目でも、真面目に感想を書いてくださり、きっとこの学生は聴く耳をもってくれたのだと思います。
だけれども…、ジェンダーの人(おそらく、ジェンダー平等について話す人やフェミニストのことでしょう)はだいたいまともですよ。少なくとも、私程度には。

迎合しているフェミニスト、のように自分を思えてしまって、罪悪感とまではいきませんが、ズルいことをしているような気持ちになってしまいます。

②伝えたいことが伝わっていない
こちらの方が、①より大問題です。
どういうことかというと、バランスを取り過ぎてしまって、マイノリティ側の立場からAのことを言ったあとで、マジョリティ側の立場からのBのことも言うようにします。
そうすると、Aのことが頭に入らずに、Bのことだけ印象に残っている、ということがしばしばあるのです。
本当はAを言いたいのであって、Bはバランス取るためだけに、おまけで言ったのに…。
例を上げてみます。

「ジェンダーの対話って難しい」と、マイノリティも感じているし、マジョリティも感じています。
マイノリティの立場からの難しさは、
「職場で、自分だけがちゃんづけで呼ばれていて、対等な感じがしないんです。だから、本当はやめてほしいって言いたいんだけれど、かえって面倒なヤツだと思われたらこまるから…。私が我慢すればいいんですよね」
「飛行機に乗っていて、先に乗っていた自分が後方に移れって言われたんです。それって自分が有色人種だからだと思うんです。怒りたかったですよ。でも、やっぱり有色人種は怒りやすいとは思われたくなくって、我慢したんです」
みたいな例として現れます。
一方で、マジョリティの立場からの難しさは、
「職場で女性従業員がスタイルがいいって褒めたんですよ。そしたら、セクハラだって言われて。そんなんじゃもうコミュニケーション取れなくなっちゃいますよ」
「ジェンダーのことに関心があって、エルプラザでやっている勉強会に参加してみたんです。それで自己紹介するときに夫のことを『主人』って私、言っちゃったんです。そしたら、『主人なんて言うもんじゃないよ』と怒られてしまって。もうそれから行かなくなりました」
みたいな例をあげます。
その上で、マジョリティとマイノリティの説明をします。
マイノリティは単に少数派というだけではなく、社会の仕組みがフィットしていないことをいいます、と。
マジョリティは、社会の仕組みが当たり前にフィットしているから、マイノリティの人が経験する困難というものが自動ドアのように勝手に開いてくれるから、イメージしにくいのです。マジョリティは無知でも無関心でも生きてこれたんです。
だから、この対立を乗り越えるには、マジョリティが変わるしかないんです、という説明をします。


この一連の話をした上で、アンケートで「主人って言ったらダメという話が印象に残った。やっぱり言葉狩りとかではなく、お互いに思いやりを持ってコミュニケーションをとっていきたいと思う」みたいな感想が返ってくると、頭を抱えてしまうのです。

私は優し過ぎるのだろうか、という気づき


上記のようなアンケートをもらっても、「全員に届くことはないし」「全員に理解してもらおうなんてそれは傲慢だ」と思って、継続して言っていくしかない、と思っていました。

でも、今年のお正月の「100分deフェミニズム」をみて、「自分は優し過ぎるのではないか」と思ってしまったのです。
この番組では、タレントのバービーさんが進行役となって、女性学の研究者・実践者が本を紹介していく流れでした。
バービーさんは、ジェンダーに関する発信をよくされているので、お名前とお顔は知っていました。進行の中でのご発言には、ジェンダーの視点からはなかなか肯定できない意見もありました。
その時に、上野千鶴子さんが「あなた、それが呪いなのよ」(表現は違ったかも。。)みたいに、言ってたんですよね。
その時に、「あっ、私だったら、一度『そう思っちゃいますよね、わかります。うんうん、でも一方で、〜という意見もあるんですよね』と一旦は受け取るな。上野さんズバッと言っている!」と思ったんです。
わからないですが、「バービーさん、大丈夫かな?」とも心配になりました。「否定され続けて、嫌な気持ちになってないかな?」と。でも、上野さんズバズバいう!
この私のバービーさんへの心配、優しさはいったい何なんだろう‥と、わからなくなってしまいました。

スタンスをきちんと示すこと


この気づきを、テレビ関係に詳しい同僚に伝えたところ、「テレビってスタンスをはっきりさせる必要があるから」と言われて、なるほど、とそれも納得。
もちろんテレビでお互いに配慮しあっていたら、時間内で議論もできませんよね。。
テレビと普段のコミュニケーションは異なる。
しかしそうであれば、授業という時間が限られた一度限りの貴重な場においては、やはりもっとはっきりわかりやすいことも大切だろう。一方で、答えのないこと、正解のないことを考えさせる場にしたい、という思いも引き続き残る。

昨日、とあるオンラインイベントに参加しました。
『対立の声を聞く〜「違い」が浮き彫りになる時代に求められる「エルダーシップ」とは何か『対立の炎にとどまる』出版記念トークイベント』という本に関連するイベントでした。
この本は年末年始に読了し、ジェンダーやマイノリティ/マジョリティの対立を考える上でもとても参考になったのです。
しかし、このトークイベントで、一番印象的だったのは、パネリストの方がアメリカでプロセスワークのトレーニングを受けた時に、「スタンスを示し切れ」と何度も言われたということでした。
やはり、スタンスをきちんと示さなければ対立さえ生まれない、対話のきっかけも生まれない、ということだと理解しました。

優し過ぎて伝えることがが伝わらない状態をやめて、自分のスタンスをしっかりきっぱり伝える、それをこれからの目標にしたいと思います。

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