祖父は浜崎あゆみ似の美人孫だけ覚えていた
『ブスの自信の持ち方』山崎ナオコーラ
著者が容姿をあげつらう酷い言葉をネットで浴びた体験に、ひるむ。なかなか読み進められない。
でもこの本は「ブスも自信を持とうね!」という啓発本ではない。著者の思いは、こうだ。
「ブスの自信の持ち方」とは一体なんなのか、と考察していきたいのだ。
(略)世間が、「ブスはどうやったら自信を持たないでいてくれるのか?」、あるいは「ブスはどうして世間の意見に歯向かって勝手に自信を持たないでいてくれるのか?」といったひどい圧力をかけてきている、と感じるからだ。
祖父が亡くなる前に認知症が進み、わたしを看護師さんだと認識した日があった。美人のいとこは孫だとちゃんと認識されていた。彼女よりもはるかに祖父母の家へ顔を見せていたのに、だ。わたしは祖父母と仲が良く、当然のように祖父母が一番かわいがっていた孫は、わたしだった。
でもたしかにいとこは美人で、2000年頃にヒットを飛ばしまくっていた浜崎あゆみ似だ。認知症ということも作用するんだろうけれど、美人か否かで記憶に残されない可能性があることに衝撃を受けた。
それなのに、友達の配偶者や家族の写真を見て「かわいいね」「かっこいいね」としか言えない自分をアホみたいだとも思う。写真から個性は伝わらないのでしかたないと言い訳はするが、自分は傷ついたことを他者にぶつけたくない。なのにーなーぜー、と合唱曲が頭の中に流れる。
さらに、ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』の表紙に彼女の写真を載せた出版社に腹を立てる。美人を載せればマーケティング的にも良いだろう。でも彼女がブスでも載せましたか?
なにに怒っているのかわからない。
なんの感情なのか、どうしたいのかわからない。
わたしはときどきジャッジされたり、したりする。
こんな自分をすこしでも変えたいし、世の中にも変わってほしい。
昭和の終わりごろは町は今よりもっと汚くて、空き缶や犬の糞があちこちに落ちていた。地域によっては野犬もいた。今はそんな地域は減っているし、思えばきれいになったものだなと振り返るときがある。
はるかな道のりに思えても、犬の糞を放置する人は少しずつ減っていく。ポイ捨ても、あちこちでの喫煙も。
自分がどんな容貌であれ、人がどんなであれ、自分がありたいようにあれたらいい。ゆっくりでもきっと変われる。
それからわたしは人の見た目以外の褒め言葉を10個考えろ。
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