『アウシュビッツの歯科医』
『アウシュビッツの歯科医』ベンジャミン・ジェイコブス
上田祥士 監訳 向井和美 訳 紀伊国屋書店
1941年ポーランドの小さな村の21歳ユダヤ青年はナチスドイツの強制収容所に送られる。歯科医の勉強を始めたばかりの彼に、母親は歯の治療用具をもっていくよう強く勧めた。これが彼と彼の家族を救った。
ユダヤ人迫害についての自伝的小説や映画はたくさんある。
この本ではタイトルにもなっているように、技術者(医療従事者)としてどう彼が過ごしたかが大きい。
彼は慎重にものごとを進め、収容所内の診療所で仕事ができるようにまでなる。
『数えきれないほど多くの患者を治療し、歯科大学の学位を得られるくらいの経験は積んでいた。「痛い!」を意味する10か国以上のことばも知っている。』
屋外での仕事は体力を消耗させ死に近づく。
それに比べると、はるかに運の良いことである。
が、そこでも人間の尊厳を踏みにじることは起こる。
物語のスタートが1941年・・・ということは終戦まであの厳しい収容所で暮らすにはかなりの年月分が語られることになるという、読者にのしかかる重さ。
最後の最後まで「死と破滅」の鎌が筆者家族に襲いかかる。
しかしその中でも収容所にいる彼が出会う地元の女性とのエピソードや、ナチス側にいてもユダヤ人を迫害することに良心の呵責を抱く人々のエピソードがあり、少しずつの善意のかけらが奇跡を起こしてくれないかと祈るように読み進めた。
物語の中での人間の怖さ。
仲間のはずだったユダヤ人が支配する側についたり裏切ったり。
ユダヤ人を簡単に殺し迫害したSS司令官がふと見せる「ふつうの友人みたいな顔」。
終戦後、温かな支援の手を差し伸べてくれたドイツ民間人。
傍観者の怖さを筆者は思い知り、わたしたちに伝える。
普通の人が普通でなくなり、普通でいることも悪になる。
『ドイツは不思議な国だ。ある意味、ドイツ人はヨーロッパのほかの国民に比べれば反ユダヤ主義がさほど強くない。ユダヤ人に対してあれほど狂気じみた仕打ちをした人たちを、ヒトラーは一体どこで見つけてきたのだろう。』
この言葉も、ヨーロッパの歴史にあまり詳しくないわたしには衝撃だ。
(カバー絵はかわいらしい)
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