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電子レンジは幸せな夫婦の夢を見るか?/第2話 おでんと広告業界

次々に電車が目の前を通り過ぎていく。

2歳になった双子の子どもたちは、フェンスにしがみついて嬉しそうに大きな目を見開いている。

通り過ぎる電車の風圧で、子どもたちの髪がかすかに舞い上がる。

フェンスから離れてベンチに座った子どもたちの口にたまごボーロを放り込んだ。

夫は朝早く出社したようで、朝起きたらいなかった。

昨日のことが気がかりで、朝なんて言ったらいいかわからなかったので安心したけど、のどに引っかかってどうしても取れない魚の小骨のように、なにかが心の中に引っかかっている。

「そろそろ行こうか」

電車に飽きた子どもたちを横型の双子ベビーカーに乗せて、駅の反対口へと向かった。

朝から2箇所の公園を回って子どもたちと遊んだせいか、まだお昼なのにだいぶ疲れてしまった。子どもたちが夜中にたまに起きることもあって、夜泣きの対応はまだ終わりそうもない。慢性的な寝不足なんだろう。

明日は雪が降るという。かじかんだ手に息を吹きかけて、これからどうしようかと、日に日に重くなる双子ベビーカーを押して悩んでいると、母から電話がかかってきた。

「うちでお昼食べる?アオちゃんとハルちゃんに納豆巻きを買ってきたのよね」

疲れていた私はすぐ行くねと返事をし、母の家に向かった。母の家はうちから歩いて15分くらいのところにある。

子どもができたら色々助けてもらおうと思って、母の家の近くに引っ越したのだけど、いざ子育てが始まったらあれやこれやうるさいことを言われたりで、ちょっと母との距離感に悩んだりもしていた。

でも、今日は疲れた。

「おじゃましまぁす」

玄関をくぐると実家の匂いがした。子どもの頃はあたりまえだったこの匂いが今はなんだか懐かしい。

「あら、あんた、顔色悪いじゃない!寝てきなさい!だめよ、あんたそんな顔して!」

出会って早々そんなことを言われ、わたしは寝室に押し込められた。

「ちょっと、アオイとハルトはどうすんの!」

「わたしが見てるから、あんたは寝てなさい!あとでおでん持ってきてあげるから。昨日のが残ってるの」

「お母さん、ふたりも見るなんてムリだよ」

「いまのあんたの方がムリよ。はい、じゃ、ちゃんと寝てんのよ」

テキパキと布団を敷き終わった母はそう言うと、双子の手を握って台所へと消えていった。

数ヶ月ぶり、もしかしたら一年ぶりに一人で布団に横たわったわたしは、懐かしい実家の匂いに包まれ、意識が遠のいていくのを感じた。

遠くから、母がガチャガチャと電子レンジの扉を閉める音が聞こえた。わたしが子どもの頃から使っているから、もう30年は使い続けているはずだ。

ブゥーンという電子音がなる頃には、わたしはすっかり眠ってしまっていた。およそ一年振りの安心感に包まれて。

※前回までの話
第一話:話さないふたり

朝8時のオフィスには誰もいない。

昼から働きだして、夜の12時ごろまで仕事をするのがあたりまえの業界だから当然なんだけど、おれはなかなか慣れることができなかった。

朝の方が頭も動くし、誰にもじゃまされないんだから、朝のうちに企画作りや事務作業を終わらせてしまった方がいいに決まってる。

どうせ、午後になれば取引先の広告代理店から矢のように電話やメールが飛んでくる。

企画書のちょっとしたフォントの修正やら画像の差し替えやら、自分でできるだろと思うようなことまでこっちにやらせてくる。

「そこも含めて完璧にやんのがプロだろ」と先輩は言うが、はっきりって最近はよくわからなくなってきた。

自動車会社や飲料会社の広告やキャンペーンを考えて、その企画が通れば嬉しいし、「あれ、おれがやったんだぜ」と自慢もできる。

だけど、こんなに身を削って、他人の会社のために働いて、いったいおれはなにをやっているんだろう。

今では、クライアントの会社がどうなろうとはっきり言ってどうでもいいと思ってしまう。

自分が関わった広告で車がいくら売れようが、ビールがいくら売れようが、それがどうだって言うんだ。

数え切れない人間が睡眠不足になって、過労死して、いったいみんな、なんのために働いているんだ?

ITが虚業だなんて昔言われていたけど、この広告業界こそが虚業なんじゃないか?

おれは午前中のうちにすべての仕事を終わらせると、上司に「今日は体調が悪いんで帰ります」と告げた。

「じゃあ、この企画書、家でやっといて」

上司はまるで「あそこの自動販売機でコーラ買ってきて」とでも言うように、軽くおれにそう言った。

「山村さん、ぼくは体調悪いんですよ。それに自分の仕事はもう終わりました。その企画の期限は明日の夜ですよね?おれ、明日の朝やりますから」

案の定、追加の仕事を振ってきた上司をなんとかかわし、俺はさっさとオフィスを出た。

(これから取引先に行くんで)と周りに思わせないと、他のチームから(あんで、あいつだけ)と言われてしまうので、わざとデスクは散らかしたままで、パソコンも開いたままにしておいた。

いつもは電車に乗っている時間が貴重な睡眠時間だけど、今日は普通に家で寝られる。そう思うと気持ちが楽になってきたのを感じた。

家に到着し、冷凍庫にストックしていた冷凍パスタを電子レンジに放り込みスイッチを押した。

ソファにドサっと寝転ぶと、身体中の力が抜けていくのを感じた。大きく深呼吸する。顔にうずめたクッションの柔らかさが心地いい。

ブゥーンという電子音がリビングに響き、おれは久しぶりに心地いい眠りに包まれていった。

(続く)


※続きはこちら
第三話:怒りの下にあるもの

※この話はフィクション(小説)です。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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