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男性が知らない”産後女性の環境の変化”

「あたしがどう思っているかわかってないでしょ?」

長い沈黙のあとで、妻はそう言った。

沖縄本島にあるリゾートホテルの中庭で、ぼくは自宅にいる妻に電話をかけていた。

沖縄への社員旅行二日目のことだった。

中庭の向こうでは、他の社員たちがビールを飲み、楽しそうに笑っている。

仕事のストレスをすべて忘れてしまったかのように、みんなとてもリラックスしている。

リラックスとはほど遠い妻の声を聞いたとき、1歳の双子と妻を置いて沖縄にきていたぼくは、とても大切なものを見逃していたことに気がついた。

妻は自分がいる環境から逃げ出すことができないのに、ぼくは自分だけが逃げ出したのだ。

そしてぼくは、”妻がなにを感じているのか” これっぽっちもわかっちゃいなかったんだ。

産後の夫婦関係を改善しようと思うとき、”妻の環境の変化”について知ることはとても重要なものでした。

同じ家のなかで暮らしていながら、ぼくと妻を取り巻くそれぞれの環境がこんなにも異なっていることに、少しずつぼくは気がついていきました。

そして、ぼくは自分が”妻とぼくの環境”をわけて考えていたことにも気がつきました。

外に逃げ出せない妻と、逃げ出せるぼく。

子育てが辛くなればなるほど、ぼくは出張や社員旅行といった口実を使い、家庭から逃げ出していたのです。

妻は逃げ出したくても逃げれないにも関わらず。

この記事では、夫婦関係を改善したくてぼくが必死で調べた”産後女性の環境の変化”と、ぼく自身の気づきについてまとめています。

同じように夫婦関係に悩む男性の参考になれば幸いです。

子を生かす授乳が母を痛めつける

子どもが生まれてから1年間、ぼくと妻はずっと寝不足でした。

いつでも気を失える状態で、いつも足元がおぼつかず、土日になるとゾンビのようにフラフラしながら子どもたちと公園を徘徊していました。

ある土曜日の朝、いつものように公園に子どもを連れ出そうとしたとき、あまりの眠気にどうにもできず、妻の実家に行き、子どもをお義母さんに預け、お昼まで寝かせてもらったこともあります。

授乳によるひどい寝不足が原因でした。

乳児は生後半年くらいまでは、2〜3時間おきの睡眠を24時間繰り返しますので、授乳のために母親の睡眠が2~3時間おきになってしまいます。

ぼくもミルクで授乳をしていましたが、死ぬほど辛かったです。

これはある方のお子さんの睡眠時間と授乳回数をグラフにしたものです。

左のグラフの青い部分が子どもの睡眠タイミングですが、大人が普段寝ている夜中にぜんぜん寝ていないんです。

しかも寝たり起きたりを繰り返していて、特定のパターンもないんですよね。

右側のグラフは授乳タイミングですが、朝だろうが夜中だろうがおかまいなしで授乳をしないといけません。

つまり、きちんと寝ることがまったくできない状態なんです。

これは子どもがひとりの場合ですが、ぼくらは双子だったのでもうこのリズムがグチャグチャでした。

授乳と寝るタイミングをなるべくふたりとも合わせようとしましたが、そんな簡単にうまくいかないんですよね。

夜中は1〜2時間おきに起こされることもあれば、21時から5時まで双子を代わりばんこに抱っこし続けたときもありました。

ぼくが会社で働いている間も、妻は2~3時間おきに子どもにおっぱいをあげ、その隙間時間で家事をやっているので、毎日気を失いそうになりながらがんばっていました。

それから、授乳で忘れてはならないのは乳腺炎にゅうせんえんです。

男性にはない症状なので、聞いたことがない人もいるかもしれませんが、授乳中の女性の2〜10%がこの症状に悩まされるそうです。

ただ、病院に行かない人もいるので、実際に乳腺炎になっている人はもっと多いんじゃないかなと思っています。

乳腺炎の症状は、乳房のはれや痛みであり、熱が出ることもあります。

原因は母乳が乳腺内にたまって起こるケースと、細菌が乳管に入って起こるケースの2パターンがあります。

●急性うっ滞性乳腺炎(急性停滞性乳腺炎)
母乳が乳腺内に溜まることで発症します。乳房の腫れや痛み、熱感を引き起こします。初産婦に多くみられる乳腺炎です。

●急性化膿性乳腺炎
乳管から細菌に感染することで乳腺が炎症を起こすことで発症します。乳房が赤くはれて痛んだり、高熱を引き起こすこともあります。

日本大学病院ホームページより

ただ授乳をするだけなのに、ほとんど寝れない日が続いたり、乳房がはれて痛くなったりするなんて、子どもが生まれるまで想像もしませんでした。

育児ってもっと幸せに満ちていると思っていたんですが、実際は母親側の犠牲の上に成り立っているんだなと、今では強く感じています。

妻も「子育てって、思ってたのと違うよね」と、よく言っていました。

逃げられない妻、逃げられる夫

最初の出産のとき、ぼくは1週間だけ育休を取りましたが、妻が入院中に育休は終わり、退院後には仕事に戻っていきました。

”取るだけ育休”は、育休を取ってもなにもしない男性の育休のことを言いますが、ぼくの場合も同じようなものだったと思います。

妻とぼくと子どもたち(双子)は、妻の実家で1ヶ月ほど暮らし、ぼくも妻の家から仕事に向かっていました。

子どもの世話をするのは妻が中心です。ぼくは深夜から朝方までの授乳とオムツ替えを担当し、なんとか妻が少しでも寝れるようにさせていました。

深夜3時から6時までの赤ちゃんの面倒をぼくがみれば、妻は深夜1時から6時まで眠ることができます。

それでもかなり睡眠時間は少ないですが、妻は今でもこのことに感謝しているとたびたび言っています。

それだけ、寝れない生活は辛かったのだと思います。

ぼくはできる限りの育児をしていたつもりでしたが、結局のところ、ぼくは”逃げられる立場”だったんです。

そして、ぼくはその立場に甘えていたんです。

この記事に書いたように、社員旅行や海外出張に行くことは、必要だから行くのではなく、ぼくが家庭から逃げ出したかっただけなんです。

ぼくが数日いなくても、妻が子どもたちの面倒を見てくれる。

だから出張や社員旅行に行ってもだいじょうぶだろう。

なにより、これは”仕事”なのだから。

仕事を口実に、ぼくは家庭から逃げ出したかったんです。

もっと自分たち以外の人を頼っても良かったと思うのですが、当時は双子のお世話で頭が働かず、妻も”自分でやらないといけない”と思い込んでいたこともあり、ぼくらはふたりでどうにかしようと思っていたんです。

そして、ぼくはあまりの辛さに、そして仕事という逃げ出せる先があったことで、家庭から逃げたのでした。

ぼくは気がついていなかったんです。

妻には逃げられる道なんてなかったことを。

妻には”逃げる”という選択肢なんてなかったことを。

ぼくは育児はそこそこしていたと思いますが、妻を支えるという観点が、意識からすっぽりと抜け落ちていたんです。

日本では、出産後に女性が自殺したり、子どもと心中する事件が起きますが、それも妻が”逃げられない”ことが原因なんじゃないのかなと思っています。

実際、このグラフの通り、産後一年未満の女性の死因の一位は”自殺”だと言われています。

それだけ、女性は追い込まれているんだと思うんです。

出典:生育医療施センター
※「その他」は出血死など出産時の死亡のため、「自殺」が一位

家父長制が残した”呪い”

”子育ては母親がしっかりやらないといけない”

そんな思い込みに縛られている女性は多く、ぼくの妻自身もそういった思い込みに縛られていました。

なぜそういった思い込みに縛られているかというと、歴史的な背景を知ると理解がしやすくなります。

話は平安時代までさかのぼります。

平安時代、日本では単に畑を耕すだけではなく、政治的な仕事も増えてきました。

官僚制の始まりですね。官僚の仕事はそのイエが継いでいくので、父親が官僚をしていたならば、その子どもも官僚になります。

権力が父親から息子へと引き継がれていくようになったんです。

その後、江戸時代になると武士の仕事はいくさから官僚の仕事へと変わっていき、ここでも役職は個人ではなく、イエに紐づけられたのです。

イエの中心は父親であり、その後継の長男でした。

そして、明治時代になるとその家父長制が民法に盛り込まれ、名実ともに家父長制が日本のルールへと変わっていきました。

当時、武士階級は人口の1割だったため反発もあったようですが、徐々に家父長制は日本のあらゆる階級の人々に意識の中に染み込んでいきました。

明治政府が家父長制を民法に盛り込んだ背景には、権力が幕府から天皇へと移ったことが影響しているようです。

明治政府は、天皇を頂点とした支配体制を強化するという政治的な目的で、家制度を上から押し付けていたのです。天皇は、この家父長制の頂点に立つ存在でした。

出典:家族と結婚のこれから〜共働き社会の限界〜

このあたりの話はコテンラジオの「武士編」を聴くと、より理解しやすくなると思います。

明治民法が生まれたのは今から100年以上前のことですが、今でもぼくらに大きな影響を及ぼしており、その傾向がまだまだ強い地域もあるようです。

上の記事は、家父長制が色濃く残る家庭に嫁がれた女性の方のお話ですが、印象的だったお話がありました。

自分(妻)の存在価値が低いので、夫にたいしてなかなか意見が言えない。

周囲の人が「妻は、男のワガママを笑顔で許して受け入れてあげるもの」だと強く要求してくる。

自分の意見を言おうとすると、罪悪感を感じてしまう。

辛いことがあっても、女性は自分の意見を言うことを許されず、言おうとしたとしても罪悪感にさいなまれることになる。

そうなってしまうと、妻が夫に気持ちを伝えてくれなくなってしまいますよね。

このお話は90年代のことですが、現在でもきっと同じことがどこかで起こっていると思います。

家父長制そのものは、生まれた当時は存在する意味があったのだと思いますが、時代が変わった今となっては、女性だけでなく男性ですら縛りつける”呪い”のようなものだと感じています。

人の心のなかにある意識だからこそ、気がつくことも、変わることも難しいのかもしれません。

育児は出産した女性がするものだ。

母乳で授乳ができる女性がするものだ。

男性は家計を支え、女性は家庭を支えるものだ。

ぼくのなかにそんな意識がなかったのかと言われれば、胸を張って違うとは言えない自分がいるんです。

きっと、これはぼくだけではないと思います。

こういった無意識の思考の背景には、歴史的な原因もあるのだと思うんです。

”やらない男性が悪い”と結論づけるのではなく、なぜそうなったのかを理屈で知ることによって、ぼくら男性は変わりやすくなるんじゃないのかなって、ぼくは思っています。

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