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「(子供の)鼻水が出てるよ?」という言葉がなぜ夫婦喧嘩を引き起こすのか?

こんにちは。

こないだ、このTweetを見て、「こんな男の人いるんだねー」と妻に話しかけたら、「いや、あなたも言ってたし、あたしもこういう返ししてたよ?」と言われてしまいました。


まったく記憶になかったのですが、妻と話しているうちに色々と思い出してきまして、なぜ「○○が壊れているよ?」などどいった、夫としては単に気づいたことを口に出しただけなのに喧嘩になるのかを考えてみました。

「(子どもの)鼻水出てるよ?」で夫婦喧嘩

ある日、朝起きると子供の鼻水がすごい出ている時があり、妻にこう言いました。

「ねぇ、鼻水すごい出てるよ」

,妻はうんざりした顔をしながら「だから何?あたしが病院連れてけばいいんでしょ!」と言ったのです。

ぼくは、なぜ妻が怒ったのか分からなかったのですが、分かってないばかりに、この「鼻水問題」でなんども妻をげんなりさせたことがあります。

鼻水以外のトピックで、きっと世の男性たちは似たような経験をされたことがあると思います。

具体的提案が欠如した報告は不要

最近このトピックについて妻と話してましたら、妻としては、こういう気持ちだったことがわかりました。

「鼻水出てるよ」という報告にはなんの意味もない。「じゃあどうするか」という具体的提案が欲しい。

確かに、「鼻水が出ている」というのは見れば分かりますし、自分よりも子どもたちのことをよくみている妻の方が分かっているわけです。

鼻水が出ているという現象の報告をされても、妻としてはなんの生産性もないわけです。

「鼻水が出ているよ。明日病院連れて行ってくれるかな?」

などどいった具体的提案が欲しいのだと妻からは言われました。

それと、この問題には妻をイラつかせる大きなポイントがあります。

「子供の体調管理担当は妻」という思い込み

子どもの鼻水が出ていることを放置している妻への軽い叱責の感情が、「鼻水出てるよ」という言葉に隠されていることです。

「この案件、納期遅れてるよ?どうするの?」

仕事ならば、こういったイメージですよね。

(君の担当案件で問題が起こっているのを、ぼくが見つけてあげたんだよ。ぼくに感謝して、君は君の仕事をしなさい)

というと、かなり意地が悪いですが、でも極端な話、こういう感情が自分にはあったのだと思います。

子どもの体調管理は妻の担当だから、妻に子どもの体調不良を早く教えてあげて、妻が早く病院に連れて行けるようにしてあげているということです。

ただ、夫婦における育児の役割分担というのは、妻100%夫0%ではないんですよね。

自分(夫)の子どもでもあるので、自分も「どうするか?」を考える必要があるなと思います。

ですが、自分(夫)がフルタイムワークで、妻が専業主婦であったり、パートタイムであったりすると、妻に病院に連れて行って欲しいのですが、そういう時にあからさまに「病院連れて行って」と頼むのが頼みづらいという気持ちがあるかと思います。

ぼくもそうでした。

自分はこれから会社に行くけど、妻は育休中だったり、午後から仕事だったりすると、(妻に病院に連れて行って欲しいな・・・だけど言いづらいな)という気持ちが生まれて、「鼻水出てるよ」というしょうもないコメントを発していました。

妻としては、そういう時は「病院に連れて行ってくれる?」という言葉が欲しかったのだそうですが、ぼくがこれを言えるようになったのが三男が生まれて3ヶ月の育休を取ってからでした。

夫が平日に子どもを病院に連れていくということ

育休中は仕事がないので、子どもの体調が悪くなったらぼくが病院に連れて行くことができます。

今まで、ほとんど行ったことがなかったので、いい機会だと思い、よく病院に連れて行っていました。

平日に子どもを病院に連れて行ったことがある人なら分かりますが、男性ってほとんどいないんですよね。

一度も見かけなかったような気がします。

ほぼ100%、子どもの母親らしき人が子どもを病院に連れて来ていました。

こんなに男は子どもの体調管理に関わっていないのかと、ちょっとびっくりしたのを覚えています。

育休中に子どもを病院に連れて行く癖ができたので、育休が明けてからも出来るだけ子どもを病院に連れて行くようにしました。

子どもが体調不良の際に仕事が休める仕組みが社内にあったため、有給ではないですがそれを使って子どもを病院に連れて行っていました。

大事な打ち合わせや会議がある時は、妻にお願いしていましたが、「病院に連れて行ってくれる?」という言葉を自然に言えるようになりました。

育休前はそんなことを言えなかったのですが、育休中に子どもへの愛着がより湧き、子どもの体調管理を妻と同じように(同じレベルにはまだまだ届かないですが)意識できるようになったのです。

これが当事者意識というものなのかもしれません。

妻と「(子どもが)○○しているよ」問題で喧嘩になる場合は、具体的解決を自分が自ら行うことで、その作業の大変さと重要性を認識し、またそれによって、妻の貴重な時間の存在についても認識することができるようになりますので、なにごとも行動に落とし込み、習慣化することが大事だなーと感じています。

今日の日記

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