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苦悩と輝きに彩られた子育て、”今”という一瞬の輝きを見失いたくないという話。

「もしかしたら、あたしはかけがいのない時間を過ごしているのかもしれないって思うの」

昨日の夜、21時ごろに子どもの寝かしつけが終わり、ふたりで一本の缶ビールを分け合って飲んでいたとき、妻がふとそんなことを言ったんです。

「働く時間が変わって、子どもたちが小学校に行く前に送りができるようになったでしょ。それに、あの子たちが帰ってくるときも家にいるからさ。

『ただいまー!』って帰ってくるのよ。真っ赤な顔してさ、汗びっしょりでさ。あの子、学校から家まで走ってくるのよ。真っ赤な顔で『ママー!』って玄関から飛び込んでくるのよ。

そんな毎日を今こうして送っていられるのって、あたし、今すごくかけがいのない時間を過ごしてるんじゃないかって思うの…

妻は涙ぐみながらそう言うと、言葉を続けました。

「そりゃ、大変なことだらけよ。毎日しっちゃかめっちゃかよ。3人も子どもいるんだからさ。疲れるわよ。

だけど、そういう瞬間に立ち会えるのって、あの子たちと一緒にこうやって過ごせることって、すごく貴重だと思うの

ぼくは涙ぐむ妻にティッシュを渡し、そうだね、そうだねと一緒に泣きそうになりながら妻の話にただうなずいていました。

確かにぼくらの生活は大変です。

朝の5時に3歳の三男が「もう起きる!」と言ってぼくらを起こしにきて、長男が「まだ眠いの!」と文句を言い、次男も「ああー!寝かせて!」と泣き叫ぶ。

リビングに行けばテレビのリモコンをめぐって3人がケンカになる。

学校に忘れものを渡しに行ったり取りに行ったり、宿題のチェックでヘトヘトになったり(子どもたちも宿題をやることでヘトヘトになってる)、長男と三男が毎日小競り合いをしてふたりとも泣き出したり、ご飯をなかなかテーブルで食べない三男を追いかけ回したり。

外食に行こうと言えば、どこに行くかで子どもたちがもめ始める。

毎月のように誰かしら具合が悪くなって、ぼくか妻が仕事を休んで病院に行ったりと、大変なことばかりです。

子どもたちの面倒だけでなくて、自分たちのキャリアのことでも悩むし、自分の時間がほとんどないことでも悩むし。

子どもたちが生まれた頃の方が大変だったけど、年をかさねるごとに大変さの質が変わっていくんですよね。

授乳をしたりオムツを替えたりといった”体のお世話”だったのが、小学校に入ってからは”メンタルのケア”に変わったんです。

学校で誰かにいじめられたとか、こんな嫌なことがあったとか。漢字の書き取りがいやだとか。

昨日も長男が漢字の宿題を延々とやっていて、「まいにちまいにち、漢字ばっかり書いてイヤだ!日本語なんかなきゃいいのに!日本語じゃない国に行きたい!」と泣き叫んでたんです。

小学校の宿題、やたら多いですよね?

子どもが毎日疲れていて、「やんなくていんじゃない?」とぼくらは言うんだけど、先生に怒られるのがイヤだから泣きながらでもやるんですよね。

学校のこととか、教育のこととか、子どもたちの友だち関係とか、体の調子とか、たくさん考えることがあって、トラブルもたくさんあって疲れちゃうんですよ。

今は感情的にならない育児をしようと思っているけど、まだまだ自分の感情のコントロールが難しいなって感じてます。

だけど、そんな毎日のなかでも、ほんの一瞬、まばたきのような一瞬に、子どもと過ごす喜びがあるんですよね。

「ただいまー」とぼくが家に帰ると、7歳の長男は「パパだー!」とリビングから大声で叫びながら玄関に駆けつけて、「おかえりー!」と言って抱きついてくれるんです。

小さな体をぎゅっと抱きしめると、この子に対する愛おしさがグングン出てきて、すごく幸せな気持ちを感じるんですね。

たまにふざけて「抱っこー!」なんて言うんだけど、もうだいぶ重いんですよね。昔は双子の長男と次男を同時に抱っこもしていたけど、今ではひとり抱っこするだけでも大変なくらい大きくなっちゃいました。

双子の次男は恥ずかしがり屋で、家族でお出かけをするときは絶対に手をつないでくれないんだけど、ぼくとふたりだけなら手をつないでくれるんです。

こないだも咳がひどかったので、夕方17時前に急いで病院に行ったんだけど、駐車場からクリニックモールに入って病院の受付まで行く5分間、次男はずっと手をつないでくれたんですね。

いつもなら恥ずかしそうに手をほどかれちゃうんだけど、ふたりだけだったら手をつないでくれるんです。

もうすぐ8歳になる彼の手は少しずつ少しずつ大きくなってはいるんだけど、まだまだ子どもの手なんですよね。

小さなその手をぎゅっと握りしめながら、いつまで手を握ってくれるのかななんて考えながら、まだこうして手を握ってくれるこの瞬間をちゃんと感じようって思いながら、病院まで歩いていったんです。

3歳の三男は、2階にある寝室に行くときに必ず「だっこ」と言うんですね。まだガーゼをしゃぶっていないと寝ないので、ガーゼの端っこを口に入れてあむあむしながら階段を登っていくんですが、抱きかかえている三男をふと見ると、眠そうな目をしながらガーゼをあむあむしている姿がすごくかわいいんです。

子どもたちのことが愛おしくてしかたない瞬間って、ものすごく心を揺さぶられて、幸せというか愛おしさを心の底からじわっと感じるんです。

こういった瞬間は確かに存在していて、まぶしいほどの輝きを放っているんです。

素直に(幸せだな)って思える瞬間があるんですね。

だけど、とてつもなくあわただしい日々の中で、そういった輝きが埋もれてしまうのも事実なんです。

”日々を回す”ことにやっきになってしまって、ご飯や宿題やお風呂や寝かしつけに追い回され、子どもたちのことも追い回して、いったいぼくらはなにをやってるんだろうって思うときもあるんです。

子育ては輝きにだけ満ちたものじゃなくて、苦悩も存分に含まれているものだと思うんです。

どっちもあるんですよね。どっちかだけじゃないんです。

苦悩に満ちた日々も、”かけがいのない一瞬”も、両方が存在するんです。

だけど、妻が言う”かけがいのない一瞬”がそこにあるということ。

もう二度と戻ることのできない”まばたきのような一瞬の輝きに満ちた日々”をぼくらは過ごしているんだという認識が、少しでも毎日を楽にしてくれるのかもしれないなって、そんなことをぼくは思うんです。

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