なぜ、夫婦は「愛されていない」と感じてしまうのか?
「あなたがすごく遠くにいるような気がするの。まるで、あなたの心の中に私がいないみたいに。それが寂しいの」
妻はぼくの胸元に顔を埋め、静かに、だけどはっきりとそう言った。
布団の中でギュッと抱きしめ合いながら、妻の体温をそこに感じながらも、ぼくは確かに妻とぼくの距離感が離れてしまっていることに気がついた。
それは、妻が離れてしまったのではなく、ぼくが後ろへと後ずさってしまったような感覚だった。
ケンカしたわけでもなく、愛がなくなったわけでもなく、それは単に「お世話」と「ケア」の概念の問題だとぼくは思っている。
ふとした瞬間に離れてしまう夫婦の距離感はどうやって生まれるのか?
家族だからこそ生まれてしまう「夫婦の溝」について、今日は書いてみたいと思う。
1人で家庭を取り仕切ると起こること
ことの発端は二日ほど前の朝でした。朝起きると、妻の体調があまり良くなかったので、妻にはゆっくりしてもらうことにしました。
いつも妻にやってもらっている家事はぼくが代わりにやって、子どもたちのケンカの仲裁や遊び相手もぼくがやり、たまにフラフラと(なにかやった方がいいかな)と起きてくる妻に「寝てていいから」と伝え、その日は家庭を1人で取り仕切ることになりました。
もしかしたら、ワンオペ育児に近かったかもしれません。
そんな日が二日ほど続き、妻の体調も良くなってきた夜に冒頭の一幕があったんです。
うちの子たちはめちゃめちゃ元気なんですね。7歳の長男次男は双子なので常に友達が家にいるような状態なので、いつも2人ではしゃぎまくって、小学生ならではのちょっと下品な言葉を言ってふざけたり、ふとしたきっかけでケンカになって泣きじゃくったりしているんです。
そこに3歳の三男も加わるともうカオス状態で、初めの10分くらいは仲良く仮面ライダーごっこや鬼ごっこをして遊んでいるんですが、10分過ぎると誰が叩いたとか蹴ったとかで必ず誰かが泣き出すんです。
兄弟だからお互いに遠慮することがあまりないので(上の子達は三男にちょっと遠慮してますが)、ケンカが始まりやすいんですよね…。
そんな中で、ご飯を作ったり、食べさせたり、「お風呂に入れー」と風呂に追いやったり、お風呂上がりの三男の体を拭いてあげたり、食器を洗ったり、遊び相手になってあげたり、リビングとダイニングに掃除機をかけたり、いろんな家事があるんですよね。
いろんな家事と子どもたちのお世話で1日が過ぎていくわけです。
そう、これは「お世話」なんです。
そして、具合が悪そうな妻に「寝てなさいね」と言ったり「漢方薬飲む?」と聞いたりするのも「お世話」なんです。
家のことを取り仕切って、子どもたちのお世話をするうちに、頭の中がお世話マインドになっていて、妻にも「お世話」モードで接していたわけです。
お世話とケアの違い
妻が「寂しい」と言った理由はここにあって、ぼくが妻に対して「お世話する」感覚でいたからなんですね。
子どもたちに「あれやったか、これやったか」と言うように、妻に「ちゃんと寝てなね」「薬飲んでね」と言う。
一見、相手を思いやっている言動のように思えるけど、それは家庭を円滑に回すための「作業」に近いんです。
色々とやることがある中で、その中の一つとして妻のことを気にかける。
妻を気にかけることだけに集中するのではなく、家庭を回すための作業の一つとして妻を気にかける。
そうしないと、他の家事も回らなくなる気がするから。子どもたちのケンカを仲裁したり、食器を洗ったりといった家事が進まない気がするから。
だから、妻を気にかけた言動をぼくがする時というのは、どことなくせわしないんですね。
そして、ぼくのそのせわしない言動には「妻を気にかける感情」が乗っていなかったんです。
家庭という日常を前に進めるための作業として妻を気にかけていたんです。だから、そこには相手を気にかける「ケア」の概念が抜けていたんです。
だから妻は、家事も育児も妻のお世話もするぼくに「寂しい」と言ったんです。
ぼくは妻の「お世話」はしていたけれど、「ケア」はしていなかったんです。
ぼくの頭は問題解決モードになっていて、すべてを理論的に考え、スムーズにことが進むようにしか考えていなかったんですね。
以前書いたこの記事の時と同じような状態だと思うんです。
「お世話」は相手の身体のことを気にかけた行動だけど、「ケア」は相手の心を気にかけた行動だと思うんです。
元気過ぎる3人の子どもたちのお世話をする中で、ぼくは妻に対しても同じような対応をしていたんですね。
そして、これは多くの男女が感じている「愛されていない実感」の正体なんじゃないのかなって思うんです。
愛されていない実感の正体
子どもが生まれると日常がガラッと変わりますよね。自分の時間は極端になくなり、目の間の子どもたちを生かすことで精一杯になります。
そう、子どもたちの「お世話」をすること、家庭を回すことで頭がいっぱいになるんです。
そうなると自然と頭は問題解決モードになっていきます。
子どもの世話と家庭を回すこと、これに頭のワーキングメモリが占められるようになると、妻や夫の心理的な機微に鈍感になっていくんです。
「今、それどころじゃないでしょ」
となっていく。
それでもうまくいく夫婦もいるし、いかない夫婦もいる。
ぼくらは「それではうまくいかない夫婦」だったんです。
そして、ぼくに夫婦関係のご相談をされる男性たちは「妻から愛されている実感」を求めています。
愛されている実感を性的な問題と混合されている方も多いけれど、だけど性的行為の目的も結局は「愛されている実感」なんですよね。
妻から、そして夫からの「愛されていない実感」の正体は「お世話とケア」を混合していることが原因なのかもしれないなって思うんです。
「お世話」はするけど、1人の人間として、1人の愛し愛される人間としての心理的な「ケア」が抜け落ちている。
「あなたのことを大切に思っているよ」ということを言葉と態度で示せていない。
そこに、「愛されていない実感」の正体があるんじゃないのかなって思うんです。
家庭を前に進めることだけじゃなくて、妻の心を気にかけるケアの概念も同時に持てるようになると、夫婦関係は大きく変わるような気がしています。
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夫婦関係に関するポッドキャストをやっています。男性向けの内容ですが、ご夫婦で聴いていただけるとものすごく嬉しいです。
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