見出し画像

「行動変容」を促すためにすべきこと

本稿の要点

・心理学の知見を踏まえると、リーダーは自らが要請することを行動として示して「模範」となる必要がある。それによって、人びとの信頼を獲得し、不安や恐怖を低減することにつながり、行動変容への効果も期待される。  

・マスメディアの報道も「自粛していない例」ばかりを報じているような印象があり、それが逆効果になっていることが懸念される。「自粛している例」や「自粛による(目に見える)効果」を報じることで、自粛要請の効果を高められるのではないかと思われる。

「行動変容!行動変容!」と言うけれど……

新型コロナウイルスの感染拡大にともなって、ついに「緊急事態宣言」が出されるという状況になりました。そんな中で、安倍政権や専門家会議などが一貫して求めているのが「行動変容」です。

しかし、行動変容を求めている割には、求めている側の行動が微妙なのではないかと思ってしまう例がこれまでにたくさんありました。

ジャーナリスト・石戸諭さんの記事もそんな状況を指摘しています。

例えば、政府専門家会議のメンバーで、厚労省クラスター対策班の西浦博教授(北海道大学)。彼は「早急に欧米に近い外出制限をしなければ、爆発的な感染者の急増(オーバーシュート)を防げない」(4月3日付日経新聞)とまで言っている。

とても大事なメッセージだが、ある写真を見て、私は戸惑いを覚えた。

西浦氏は、LINEと厚労省が取り組んでいる全国調査にも関わっている。その西浦氏と厚労省の日下英司課長、そしてLINEの執行役員である江口清貴は密着して写真を撮影し、LINEの公式サイトにアップした。

そもそも、専門家と行政が「自粛」や「リモートワーク」を呼びかけている時に、大事な調査結果とはいえ、それを直接会って、対面で渡して、密着して写真をとる必然性はあるのか

このような例は、はっきり言ってしまえばキリがありません。
つい先日まで、政府の会議の写真はマスクさえつけずに人が並んでいる写真ばかりでした。昨日(2020年4月7日)の安倍首相の会見でも、普段は使用しているマスクの使用がありませんでした。

本当にそれでいいのでしょうか。

リーダーはどのようにコミュニケーションすべきか

アメリカ心理学会 (APA) による "How leaders can maximize trust and minimize stress during the COVID-19 pandemic" という記事の中では、非常時におけるリーダーのコミュニケーションについて、心理学の知見から推奨されることが記されています。

記事は、次のような書き出しで始まります。非常時における「リーダー」の重要性が簡潔に書かれています。

人々は、何をすべきか、何を期待すべきか、どのように行動すべきかについての指針をリーダーに求めます。不確実で流動的な時には、強く、冷静で、信頼に足るリーダーシップの必要性が、これまで以上に重要になります。

原文
People look to leaders for guidance on what to do, what to expect and how to act. During uncertain and fluid times, the need for strong, calm, trustworthy leadership is more important than ever.

そして、様々な領域の「リーダー」(政府関係者、企業経営者、教育者、親など)が、信頼を最大限に高め、ストレスや不安を最小限にするために行うべきコミュニケーションの方法として、次のようなことを挙げています。

・ストレスを管理する (Manage stress)
リーダー自身が起こった出来事に対して感情的に反応しないよう、自分のストレスを把握し、何が感情的な反応の原因になっているかを理解する

・共感性と楽観性をもって情報を共有する (Share information with empathy and optimism)
将来への希望 (hope) と、コントロールの感覚 (sense of control) を与えるために(無力感を与えないために)、より良い未来への道があることを明確にし、人びとがどのように貢献できるかを知らせ、具体的なステップを示していく

・信頼を築くために信用を利用する (Use credibility to build trust)
信用 (Credibility) とは、専門知識 (expertise) と 頼りがい (dependability) の組み合わせである。信用の獲得のためにもその状況のリスクや影響 (ramification) を把握できていることを示し、分からないときには素直に認めて他の専門家などを頼る

・正直かつ透明である (Be honest and transparent)
誤った認識を持たせたり、余計なパニック・過剰反応を生まないよう、悪いニュースも隠さずにわかりやすく伝達する

・定期的にコミュニケーションをとる (Provide regular communications)
最悪の事態を想像しやすくなることを防ぐために、信頼のおけるコミュニケーションのルーティンを作る

・フィードバックのためのフォーラムを提供する (Provide a forum for feedback)
人びとが「関与できている」「聞いてもらえている」という感覚は信頼につながっていくので、人びとが持つ質問・疑問や要求・提案を聞くためにも、合理的で適切なチャネルを用意する

・模範となる (Be a role model)
人びとがどのように振る舞うべきか分からないときに、ロールモデルとしてリーダーに注目することから、リーダーは自分が他の人に求めていることを一貫して行動する必要がある

(※内容の簡単な要約なので、詳細は上記の記事を参照してください。また、英語に堪能ではないので誤っている可能性もあります)

「模範になる」ことの意義

APAの記事の中では、一番最後の指摘の中でリーダー自身が「模範になる」ことの重要性が言及されていました。似たような指摘は、他にもなされています。例えば、日本語で読めるこちらの記事。精神科医の Jacek Debiec 氏による指摘(原文)です。

 また情報を伝える側は、言っていることとやっていることが一致していることも重要だ。

 たとえば、「マスクは人にうつさないようにするには有効だが、感染しないわけではない」という記事があったとしよう。その記事に、厳重な医療用マスクを着用しているスタッフが映る医療現場の写真が添えられていれば、人を安心させることはできないだろう。

 むしろ、医療関係者が使用しているくらいだから必要に違いないと、人々は慌ててマスクを買い込むことになってしまう。

リーダーが人びとの模範になる、記事の言葉を借りれば「言っていることとやっていることが一致している」ことは、過度な不安や恐怖を防ぐために役立つという指摘です。

二つの記事の指摘を合わせて考えれば、最初に紹介した石戸さんの記事でも指摘されているように、「専門家たちは社会に外出制限を求めるのなら、積極的にリモートワークを行い、そうした写真を公開しなければいけない。」ですし、専門家たちだけでなく、多くの「リーダー」たち(政府関係者や企業責任者など)が率先してそうした行動をとる必要が間違いなくあると思います。(現実にはそうなっているように思えないのですが……)

露骨にマスクに触れる首相の写真

ところで、別の記事ではこんな事例を見かけました。記事の内容というよりも、首相のマスクの触り方の問題です。

この写真のシチュエーションは分かりませんが、このようにしてマスクに触れることは良いとは言えないでしょう(外すときなら最悪です)。安倍首相の行動もさることながら、このような写真がそれへの批判という文脈でもなく記事の画像になるというのが私には理解できません

まさか、この写真をみて「こういう風にマスクを外してもいい」とまで思う人はいないような気もしますが、マスクの表面の危険性を甘く見ていいというようなメッセージ性を持っているような印象を受けます(あくまで個人の感想ですが)。

正直、どうしてこの写真を使わなければならなかったのかが気になります。というのも、マスメディアは社会に情報を発信することで、社会に影響を与える存在であり、感染拡大の「加害者」ともなり得る存在です。この写真からは、それに無自覚であるような印象を受けます。

日本の薬物報道については、精神科医の松本俊彦さん、評論家の荻上チキさんなどを中心に、ガイドラインが策定されました。そこでも「マスメディアの加害性」という問題、すなわちマスメディアが日本の薬物問題に悪影響を及ぼしているという問題が指摘されています。同様の指摘は、自殺報道をめぐってもしばしばなされています。

今回の新型コロナウイルス対策も同じではないでしょうか。現在のメディア報道は「〇〇が全然できていない」というものばかりのように思います。もちろん、そうした報道が必要な時もありますが、「やっていない」というメッセージばかり出せば、「みんなやってないんだ⇒だったら大丈夫だ」というメッセージになりかねません。いや、実際になっているのかもしれません。行動経済学者の大竹文雄先生も、同様の指摘をしています。

また、以下の記事ではより具体的に指摘されています。

 「不要不急の外出を控えて」という政府や東京都の呼びかけがあった以降のニュースや情報番組を思い出してほしい。さまざまな観光地や繁華街に生中継を出して、「不要不急の外出をしている人々」の映像を大量に流していなかっただろうか
(中略)
 つまり、マスコミが警鐘を鳴らそうと「禁止行為」を取り上げることで、「禁止行為」に踏み切っている人間が世の中にはわりと多いんだな、という誤解を人々に与えて、「禁止行為」の心のハードルを下げてしまったというわけだ。
(中略)
 テレビや新聞で「外出自粛に従わない人」を繰り返し、繰り返し報道することによって、皮肉なことに「外出自粛に従わない人」の背中を押してしまっているのだ。

そんなバカなと思われてしまうかもしれません。ただ、人の行動は他者の行動に少なからず影響を受けるというのは否定できない話です。たとえば、人がやっていることを見ると、自分もやりたくなる、そういう経験は少なからずあると思います。

先の記事では『マスコミが警鐘を鳴らそうと「禁止行為」を取り上げることで、「禁止行為」に踏み切っている人間が世の中にはわりと多いんだな、という誤解を人々に与えて、「禁止行為」の心のハードルを下げて』しまうことを指摘していましたが、同時に自粛要請されている行為そのものを想起させて、インセンティブを引き起こすという懸念も大きいと考えられます。

たとえば、渋谷の映像を見ると渋谷に行きたくなったり、渋谷に行く用事を思い出したりすることが予想されます。このようにして「行きたいな」というインセンティブが生まれ、ましてや同年代の人がそこに映っているという状況です。「行っても大丈夫だろう」と思う人が出てくるのは、むしろ普通なくらいではないかとさえ思います。

だからこそ、外出を自粛している例をもっと報じるべきなのではないかと考えています。言い換えれば、ちゃんと自粛をして成功している例や、外出自粛による実際の(目に見える)効果を積極的に報じていくべきではないかと思います。

志村けんさんが亡くなられたときにも感じたことですが、人びとの心を動かすのはデータよりも、具体的な「事例」です。いま、マスメディアの多くは、データや専門家の意見を通じて自粛の有効性を伝えているのに、事例レベルでは自粛の有効性を伝えられていないのではないか、そんな風に感じています。

この点については、ジャーナリスト・石戸諭さんの別の記事も参考になります。

科学的な事実をいくら突きつけたところで、人の意見を変えることは難しい

こうした科学的な事実の「弱さ」という現実と向き合ったとき、外出を自粛しない人びとを大々的に報じることの意味をよく考えた方がいいと思いますし、それ以外の面でも「この報道、この写真がネガティブな影響を持たないか」ということをよく考えた発信が求められるのではないかと思います。

繰り返しになりますが、メディアは「加害者」になるという前提を絶対に忘れてはいけないと思います。

おわりに

今回は、リーダーやマスメディアに焦点化して書きましたが、いまや誰もがメディアになれる時代であり、この記事も(影響力はほとんどないでしょうが)その一つです。本稿で書いたことは誰もが意識すべき話でもあると思います。

言葉だけでなく、行動を伴わせる。
そして、実際に行動している例を拡散する。

これが、今後気をつけるべきことです。

そういう意味では、新日本フィルさんによる自宅で「パプリカ」を演奏する動画とか、星野源さんの「うちで踊ろう」とか、YouTubeとかもそうですが、「家で積極的に楽しむ・楽しめる」事例がたくさん拡散されているのは、良いことだと思っています。

こうした例が、今後も広がっていくといいなと思います。

長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

おまけ

ちなみに、本稿の趣旨とは逸れますが、本気で「行動変容」を心理学の立場から考えるなら、私もやっぱり「環境」を変えるべきだと思います。(以下は尊敬している先生のツイート)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?