教育再生実行会議はエビデンスに基づいて議論しているのか?ー危険な教育改革ー
教育再生実行会議(教育再生実行本部)の議論というのは、本当にエビデンスに基づいたものなのでしょうか。
普通科は学習意欲が低い? 聞いたことないぞ。
自民党の教育再生実行本部が14日にまとめた提言では、今の高校の普通科について「大学入試に困らない指導をするあまり、生徒の学習意欲が低下している」などと指摘しています。
そのうえで、「学校ごとに特色を出した新たな枠組みを作り、指導方針を明確化することが必要だ」と見直しを求め、新たな枠組みのイメージとして、科学技術分野の教育に特化した「サイエンス・テクノロジー科」や、国際社会で活躍できる人材を育てる「グローバル科」などを挙げています。
また、次世代の学校の指導体制について、ICT=情報通信技術の環境を整備して、児童・生徒一人一人の学習状況などを集積し、個別の状況に応じた学習活動が展開されるようにすべきだとしています。
実行会議の提言では、高校生のおよそ7割が通う普通科について、「一斉的・画一的な学びは、生徒の学習意欲に悪影響を及ぼしている」として、見直しが必要だとしています。
そのうえで、学校ごとに特徴ある教育ができるよう国が学習の方向性を類型化して示し、学校が選べるようにすべきだとして、文部科学大臣の諮問機関、中教審=中央教育審議会での具体的な検討を求めています。
類型化の例としては、グローバルに活躍するリーダーの育成、サイエンスとテクノロジー分野での技能の育成、地域課題の解決を通じた探求的な学びの重視、みずからのキャリアを描く力の育成の4つを挙げています。
また、文系・理系の科目をバランスよく学ぶ仕組みを作り、それに伴って今の大学入試を見直すことも必要だとしています。
(中略)
柴山文部科学大臣は会議のあと記者団に対し、「生徒たちの学ぶ意欲を高めるためにも高校の在り方、特に普通科の改革が極めて重要だ。現場での意見も含めて中教審で具体的な提案を練り上げてもらうことになるが 私も責任者として、提言を着実に実行するために全力を尽くしていく」と述べました。
ふたつの記事で若干書かれていることは異なりますが、メインの提言をまとめると「普通科の高校は大学入試を見据えた一斉的で画一的な学びしかしないから学習意欲が低い」ということでしょう。
心理学を専攻する一人の大学生ですし、このあたりの話の専門家というわけではありませんが、まったく聞いたことがない話なので驚いています。
まず「普通科の高校はそれ以外の高校に比べて学習意欲が低い」という話は本当でしょうか。さらに「一斉的・画一的な教育によって学習意欲が下がる」という話もまったく聞いたことがありません。
「学習意欲」というものがどのようなものを指しているのかについてもよく分かりません。いったい何の指標を見て判断しているのでしょうか。
例えば、スーパー・サイエンス・ハイスクール(SSH)事業が科学に対する意欲を高めるという研究であればいくつか知っていますが……
また、科学技術分野の教育に特化した「サイエンス・テクノロジー科」を作ると言ってみたと思ったら、「文系・理系の科目をバランスよく学ぶ仕組み」と言ってみたり、いろいろと方向が迷走しているような印象も受けます。
まさか、内容なんてどうでもいいから、とりあえず高校普通科を改革したいだけということではないですよね…?
「いじめ」提言のことを振り返る
過去の提言を振り返ると、教育再生実行会議というものはエビデンスに基づかない議論をしているのではないかという疑いが出てきます。
教育再生実行会議の第一次提言(2013年2月25日)では「いじめ問題」について述べられていました。その中にこんな記述があります。
心と体の調和の取れた人間の育成に社会全体で取り組む。道徳を新たな枠組みによって教科化し、人間性に深く迫る教育を行う
そして、実際に学習指導要領は改正され、「特別の教科 道徳」として教科化されるました。すでに、小・中学校で全面的に実施されています。中学校学習指導要領解説(道徳編)の中にもこんな記述があります。
とりわけ,道徳の時間が道徳教育の要として有効に機能することが不可欠である。今回の道徳教育の改善に関する議論の発端となったのは,いじめの問題への対応であり,生徒がこうした現実の困難な問題に主体的に対処することのできる実効性ある力を育成していく上で,道徳教育も大きな役割を果たすことが強く求められた。(p.3)
ところで、いじめ対策の議論が一気に進むきっかけとなった事件は2011年に起こった「大津市中2いじめ自殺事件」(以下、大津事件と表記)と言われています。
しかし、その報告書(2013年1月31日)の第 Ⅰ 部の中の第3章の7に「いじめ防止教育(道徳教育)の限界」という節があります。すごく重要な記述が多いので、長いですが、全文引用させていただきます。
本件中学校は,平成21・22年度文部科学省指定の「道徳教育実践研究事業」推進指定校として,道徳教育を推進してきた。研修主題として,「自ら光り輝く生徒を求めて〜心に響く道徳教育実践」というテーマを設定し,教育目標を,①たくましく 生きる生徒,②情操豊かな生徒,③社会性のある生徒をめざすとし,学校像は,①確かな学力と規律のある集団づくり,②当たり前のことが当たり前にできる,③ビギン・オン・チャイム(チャイムと同時に授業を始める。)というものであった。そし て,環境宣言として,一,いじめのない学校づくり,一,ゴミのない学校づくり,一, あいさつあふれる学校づくりが定められた。
以上の理念のもとに. 2年間にわたって様々な道徳教育の実践が行われた。
この道徳実践が全く無意味であったとは思えないが,本件のようないじめの事案を防げなかったという事実を教員たちは真塾に受け入れなければならない。
現在社会問題となっているいじめの解決は決して容易なものではない。文部科学省もいじめはどの学校どのクラスにも起こりうるものとしている。社会はますます競争原理と効率を求める方向に進んでおり,大人たちの多くはこの原理に浸った結果,職場でのパワハラ,セクハラが社会問題となり,あるいは,従業員に対するメンタルケアが緊急の課題となっている。子どもたちもこうした社会の価値原理から無縁であることはできず,また,学校間格差,受験競争の中で子どもたちもストレスを受けている。これらはいじめの社会的背景として識者によって指摘されてきた。なお,こうした価値原理から子どもたちを守るべき家庭はその価値原理の浸透に有効なシェルターとはなっていない。
現代の子どものいじめは社会の在り方と根深いところで繋がっているが故に,いじめ発生の土壌が存在するとともに,いじめ解決の困難さが理解されるのである。この点について教員に自覚してほしい。
以上のように考えると,それ自体の意味を否定しないが,道徳教育や命の教育の限界についても認識を持ち,むしろ学校の現場で教員が一丸となった様々な創造的な実践こそが必要なのではないかと考える。特に,いじめの加害者の被害者のところの痛みへの共感の低さに鑑みると,他人のこころへの共感というこころの営みが,知何に社会を豊かにするだけでなく,人生における生き甲斐等の自分のこころの充足にも結びつくか,ということを生の事実で繰り返し執拗に教える必要性がある。
いじめ自殺が起こってしまった中学校は、奇しくも「道徳教育」の推進校でした。報告書の中でも道徳教育や命の教育には限界があり、それに偏重しない指導が求められるという旨が書かれていることがわかります。報告書を詳しく見ていくと、道徳の授業直後に悪質ないじめが起こっていることもあったようです。
すなわち、この事例は、どう考えても「いじめ問題を道徳教育で解決するには限界がある(むしろ厳しい)」というエビデンスとなるはずです。
しかし、教育再生実行本部は、この事件も踏まえて、いじめ問題を解決するために道徳を教科化するよう提言しました。時系列を見てください。大津事件の報告書は2013年1月31日ですが、教育再生実行本部の提言は2013年2月25日です。1月31日以降にも会議はあったようですし、彼らが「エビデンス」に基づかない議論をしていたことは容易に想像がつきます。
「教育再生」などと謳っていますが、本気でいじめ問題を解決する気はあった(ある)のでしょうか。
また、先ほど引用した『中学校学習指導要領解説(道徳編)』を細かく読んでみました。いじめについて触れられているのは、「相互理解,寛容」と「生命の尊さ」という二つの項目です。しかし、その内容は大津事件の報告書を踏まえているとは言いがたいですし、本気で解決する気があるとは思えないくらい内容が薄いのです。興味のある方は是非読んでみてください。具体的な内容はほとんど書いてありません。いったい、何のために道徳を教科化したのでしょう。
エビデンスに基づいた議論を!
冒頭の疑問に戻りますが、高校普通科の改革に関する件はエビデンスに基づいた議論なのでしょうか。後半で触れた「いじめ」問題に関する動きを見れば、教育再生実行会議対策は明確なエビデンスに基づいて議論していない可能性があると思います。他の政策については詳しくは分からないので、詳しい検証は必要だと思いますが、今回の「高校普通科」の話を聞いた時に、直感的にエビデンスがないような予感がしており、またもや同じ失敗を犯すような気がします。
教育政策において「思い込み」や「イメージ」で議論することはとにかく危険です。今回の高校普通科の件についても、しっかりとしたエビデンスがあれば私の心配も杞憂に終わるわけですが…
柴山文部科学大臣は「生徒たちの学ぶ意欲を高めるためにも高校の在り方、特に普通科の改革が極めて重要だ。」と述べていますが、どうしてそう思うのか是非その真意を聞いてみたいところですね。(このような、理由を明確にしないコメントはとても多い気がしますが、普通に検証しづらくて困るんですよね。)
ぜひ、今回はエビデンスに基づいた議論が行われることを期待しています。
彼らの本当の目的は?
最後に、少しばかり私が恐れていることを述べておきます。個人の意見です。
今回のnoteでは「道徳の教科化」の背景に潜んでいた問題点について取り上げました。ここまで私は、エビデンスに基づかない議論を問題視してきましたが、個人的にもっと恐れていることがあります。
それは、教育再生実行会議にとって「道徳の教科化」こそが一つのゴールであって、「いじめ対策」というのはそのタテマエに過ぎなかった(本当は興味がない)のではないかということです。
「道徳の教科化」は保守派にとっての悲願でしたし、学習指導要領解説に「いじめ」の記述が少ないことや、エビデンスに基づいた議論を行わず、根強かった反対意見を無視した(議論しなかった)ことともつじつまが合うように思います。
そして、今回の改革も「高校普通科の学習意欲」というのはタテマエであって、実際は「普通科高校の改革」がゴールなのではないかと考えています。そう考える理由は、二番目に引用したニュース記事の中にあります。
そのうえで、学校ごとに特徴ある教育ができるよう国が学習の方向性を類型化して示し、学校が選べるようにすべきだとして、文部科学大臣の諮問機関、中教審=中央教育審議会での具体的な検討を求めています。
この記述をそのまま受け止めれば、教育再生実行会議が目指していることは、普通科高校の教育に対して「方向性の提示」という名目で国が積極的に干渉する、つまり、普通科の高校に対する支配を強めたいということではないでしょうか。
これは、国家による教育への介入行為です。教育基本法の理念にも反します。しかし、最近こうした動きが強まっていることもまた事実であり、今回の件もそうした流れの一つではないかと考えています。
もし、私の予想が正しいとすれば、この改革は国の根幹を揺るがす大変な事態を引き起こしかねません。これこそ杞憂であると良いのですが……
今後も、注意して見ていきたいところです。
参考文献(いじめ問題・道徳教育)
*次の2つの著作は「いじめ」の問題と「道徳教育」の問題を丁寧に考察している書籍です。良書だと思います。
*次の書籍は、本稿の趣旨とはだいぶ反しているのですが、「道徳の教科化は必要だった」という意見の一つとして紹介します。(問題の捉え方がかなり一方的で筆者のイメージ論も多いため、読む際には注意が必要です。)
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