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最後に返ってきた自分の言葉――映画「コンパートメントNo.6」感想

見てきました! かなり好きな映画だった!

言ってしまえばよくある、

・現状に対して本当にこれが自分のやりたいことなのかなっていうのがうっすら見えてる主人公が、
第一印象が最悪の自分とは全然タイプの違う人間と旅を共にすることになって、
その相手と関係性を深めていきつつ、
"本当の自分"的なものを見つけていく

……という話でしたが、やっぱり王道はいいし、王道なポイント以外にも好きなところがいっぱい見つかる映画でした。
何より終わり方が粋で好きだった……! うあ~よかった~~~っていう気持ちで見終わる映画でした。

映画概要

長編デビュー作「オリ・マキの人生で最も幸せな日」がカンヌ国際映画祭「ある視点」部門の作品賞に輝いたフィンランドの新鋭ユホ・クオスマネンが、同国の作家ロサ・リクソムの小説を基に撮りあげた長編第2作。

1990年代のモスクワ。フィンランドからの留学生ラウラは恋人と一緒に世界最北端駅ムルマンスクのペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く予定だったが、恋人に突然断られ1人で出発することに。寝台列車の6号客室に乗り合わせたのはロシア人の炭鉱労働者リョーハで、ラウラは彼の粗野な言動や失礼な態度にうんざりする。しかし長い旅を続ける中で、2人は互いの不器用な優しさや魅力に気づき始める。

2021年・第74回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、グランプリを受賞した。
映画.com 解説

感想(ネタバレあり)

さて、私がこの映画で好きだったポイントは、
・終わり方と、そこに繋いでいく全体の構造
・説明を加えすぎずに物語が進んでいったこと

という主にこの2点です。
細かい好きなポイントは他にもあるのですが!
でもこの2点を中心に語っておこうと思います。

ポイント1:終わり方と、そこに繋いでいく全体の構造

結論から言えば、旅の目的について借り物の言葉でしか語れなかった主人公が旅の終わりに受け取った言葉が、旅の序盤に「愛してる」って何て言うんだって聞かれて嘘を答えた自分自身の言葉だったという構造が、もう、めちゃくちゃ好きでした。。。

ラブストーリーと謳われている映画でしたが、確かにラブストーリーで、色々な愛が描かれていたし、その中には自己愛も含まれていて、特に序盤から中盤にかけては主人公が自分を愛せますように、と祈りたくなるような気持ちになっていました。

主人公は旅の中でずっと、本当に自分が欲しいもの、本当に自分が好きなものは何だろう、みたいな問いに何度も向き合わされていたように思います。
恋人と旅行に行くという楽しさはないのに、それでも旅に出たのは何でか、自分でも分からない。
一番の目的であるはずのペトログリフを見に行きたい理由をリョーハに聞かれても、借り物の言葉でしか答えられない。自分の言葉はそこにはない。

旅の中で「彼女の人生は美しい」「そんな人生の一部になりたかった」というこれまでの望みが揺らいでいるのに気付いて、リョーハとの時間を楽しむようになる。
ペトログリフを見るのが難しいと分かっても、リョーハと何とかコンタクトを取れるようにする。

だから、本当に望んでたわけじゃない目的以外のところに自分で愛や楽しみを見つけられるようになった主人公の手元に、旅の果て、彼との別れを経て〈くたばれ〉が残る、という終わり方が本当に好きでした。

だってあの言葉を愛しているという意味で受け取れるのは主人公しかいないから、それは紛れもなく彼女自身の言葉です。
自分が余計な意味を与えた言葉、教えたときとは全然違う気持ちであることを突きつけられるような言葉が手元に残されて、物語は終わるんですよ。それに対して笑いを漏らさずにはいられない主人公と一緒に。
めちゃくちゃよかったな~。

終わり方で言うと、へたくそな似顔絵が添えられていたの、あれは主人公が描いてと望んだものでしたが、相手を描くって、相手に観察の眼差しを向けることを余儀なくされる行為で、主人公が恋人に対して「恋しいのは眼差しだけ」と零していたことを考えると、リョーハに自分を描いてほしい=自分に眼差しを向けてほしいとねだったのは、もう、愛じゃん、と思ってしまいます。
自分がリョーハの寝顔を描いていたのも。だってあんなに優しい顔の……。

あとは最後の最後までペトログリフは見れなかったのも、吹雪の中、死ぬのかなと言いつつ結局戻ってこれちゃうのも、不完全だとしても旅の時間は終わらせなきゃいけないし、人生は簡単に終わらせることはできない感じが生々しくて結構好きでした。

ポイント2:説明を加えすぎずに物語が進んでいったこと

この映画は、実は背景としてこの人物にはこの事情があって……とか、そういう親切な説明はない作品だったと思います。
恋人と主人公がどう出会ったのか、リョーハにはどんな事情があるのかとか結局分からないけど、でも主人公とリョーハがお互いの詳しい事情を知らないまま終わったように、観客にもそれが示されないまま終わったのが、好きなポイント2つ目です。

まずシンプルに明確な言葉で示さなくても人間性が伝わるような見せ方がよかったなと思って、例えば恋人との電話のシーンはまさにそれだったように思います。だって途中からは声しか聞こえないのにね。でも主人公も同じように、旅先からは恋人のことは電話先の声でしか分からないんですよね。
主人公がビデオレターを撮るシーン、あなただったらよかったのにと願っているのがいじらしいし、それだけ想ってるんだなと分かって、でも恋人と電話を繰り返すごとに恋人の薄っぺらさというか……なんか……視聴者にとっては気持ちいいくらいに、大事にしなくていい人なんだなって思わせてくれるあの感じ。。。
主人公が留学生で、その居心地の悪さが窺える序盤のパーティーのシーンとかもそう。
あとは停車中にリョーハが雪玉投げてそこにパンチするのとか回し蹴りしてるのとか、いや、あれは微笑ましく思わずにいられなくないですか……? ずるくない……?

そして相手のことが分からないということは、分かりたいという気持ちを芽生えさせることでもある
分からないから寄り添いたいし、分からなくても愛せるし、感情は伝わるし、共鳴して、関係性は生まれるんだというのが、いいラブストーリーだったなあ。
登場人物たちがお互いのことを知らないのと同じくらい彼らの背景を知らされないまま物語が進んでいくから、分からなくても愛せるんだということの説得力が強まっていたように思います。

二人の距離が少しずつ縮まっていくのを見るの、本当に楽しかった。
縮まった瞬間が爆発した、食堂車からコンパートメントに戻って抱きしめてキスするあのシーン最高でした。主人公からというのが、最高に、いい……。
リョーハは一見男性性が強いのにめちゃくちゃ繊細で、そういうところもなんか……人間同士のラブストーリーだったなあ……。
ムルマンスクで後部座席で一緒に座ってるときも主人公の肩に頭を預けてるのとかかわいかった……。もうね、かわいいと思えてしまったらもう全部許しちゃうから駄目です。

ところであらすじに「恋人にドタキャンされ」としか書いてなかったけど、その恋人が同性で、でも同性であることが特にフィーチャーされないまま物語が進んでいったのがむしろよかったなと感じました。こういう扱われ方がもっと増えてほしい。

ロードムービーだけど、旅に出て帰ってくる物語ではないということ

ちょっと別章にして触れてみると、そういえば、この映画はアウェーからさらにアウェーへの旅なんですよね。

旅に出る物語というと、出立時とは違う自分で帰ってくる(旅に出て→旅先で何か変化が起きて→帰ってきたときにその変化が際立つ)という構造が王道なパターンかと思いますが、この映画はそうではない、というのはちょっと新鮮なところでした。

主人公は留学生なので、ロシア・モスクワは既に旅先で、ホームであるフィンランドでもなく、旅の出発地であるモスクワに帰ってくるところでもなく、旅先であるムルマンスクで物語は終結する

どうしてここで終わるんだろう、と考えてみたら、終着点=目的が分からなかった旅でもあったよな、ということを思いました。

だから、終着点で自分の言葉と愛する人からの眼差しを手に入れて、これで帰れる、という状態になったのがあの終わり方なのかなとも思います。
アウェーなモスクワで、憧れている人生に本当に憧れているのか分からなくなっていたけど、今の彼女なら確かにアウェーの中でも大丈夫でしょう。

全部ハッピーな終わり方じゃ全然ないけど、でも物語の始まりと終わりで主人公が前向きに変化してる、いい映画でした。
好きな映画が1つ増えたなあ。
本当にいい映画体験でした。

あ、それからシネマカリテには今回初めて行きました!
小さいながらも好きな雰囲気の映画館でした。また行こう〜。

わくわくする地下への入口!
ヘッダー画像のトリミング前。
本当にあちこちに色々貼ってあって楽しかったです。エレベーターは確か3つともコンパートメントNo.6仕様でした。

上映館多くはないですが、良い映画だったので本当におすすめです。機会があればぜひ!

ではでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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