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「想う」ことで暮らしが豊かになった話

9月30日。妹の17回目の誕生日だった。

小さなころから1つ屋根の下、家族4人で祝ってきたが、ここ数年は叶っていない。4つ歳の差がある妹は、誕生日が近づくにつれて、当日の献立とプレゼントで頭がいっぱいになり、浮き足立ちはじめる。この微笑ましい日常の一コマは、みている自分も、自然と誕生日当日が楽しみになる。大好きな光景だ。

しかし、僕は去年から実家を出て一人暮らし、高校時代は県外の高校に通っていたから、この6年で妹の誕生日を祝えたのは1度だけ。なかなか一緒に祝えていないのだけど、誕生日のまえにはかならず母がメッセージを送ってくれる。

明日の〇〇(妹)の誕生日はね。
ホットプレートでおうち焼肉の予定だよ。明日でも週末でも
△△(僕)の都合が合えば、ご飯を食べに帰っておいでね🎶(原文ママ)

心が暖かくて、気遣い屋さんである母の性格が、送られたメッセージから滲み出て感じる。誰よりも、妹の誕生日を楽しみにしている母。きっと、できるなら家族4人でお祝いをしたかったに違いない。だから毎年、こうしてメッセージを送ってくれるのだろう。そう気づいたとき、いてもたってもいられなくて、電話をかけていた。

電話越しで妹に伝える「誕生日おめでとう」のメッセージ。妹の声は、いつもの日常と変わらない声だった。その妹の声の奥から聞こえる母の声は、いつもより豊かに聞こえた。

届いた1つのメッセージに対して向き合う時間を伸ばし、記された言葉を紐解いたことで気づいた、母の想い。想いに対して、自分が想う最適解を提示した結果、母(妹・父)と僕の日常に幸福感が生まれた。誕生日のお祝いをしている非日常的な日にうまれた幸福感は、これからの日常の暮らしに対して豊かさを与えてくれたように感じる。また、「住んでいる場所は違っていても、一緒にお祝いをすることはできるのだ」という体験が、家族のつながりを更に強めたようにも感じる。誰もが携帯をもつ今の時代、一緒にお祝いや食事ができることはあたりまえではあるが、これまでの僕の日常では家族と電話で繋いで食事をするという発想は全くなかったし、場面を想像することは難しかった。もし、家族の一員が遠方に住んだとしても、これからは一緒にお祝いをすることができる。寂しくて、家族に話を聞いて欲しいときには、zoomでつないで食事をすることもできる。新しいつながり方を体験したことで、互いに暮らしの余裕ができ、暮らしを豊かにする伸びしろができたように思う。

僕ら家族にとって、9月30日は、妹が生まれた日であり、家族の新しい一歩を踏み出した記念日だ。



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