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仮面ライダーゼロワン 最終回(45話)感想

只ひたすらに、滅を語る

まずは最終回、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。

令和初の仮面ライダー、途中の撮影休止などのトラブルは計り知れないが、最後まで感動を届けてくれた作品に心から感謝。

最終回。
とにもかくにも、滅である。

もともと滅のビジュアル(素面、ガワ、CV速水奨さんとの最高の相性など含む)、敵の司令塔としての立ち位置、ぶれない信念、等等が大好きだったが、贔屓目なしに最高の滅回だったのでは。

あの、冷静沈着で、他人に弱みを見せない滅が、自分の中に生まれた感情への戸惑いや恐怖を或人にぶつける。

迅を息子と認め、それを奪った或人への怒り、悲しみ。
しかし、迅を失ったのも、同じように或人が家族を失ったのも、自分のせいだったと気づく。

「本当は怖かったんだ」

コンピュータでは処理できない、予測もできないのが、感情。
その感情と、どう向き合ってよいか分からなかった滅。

心を持たず、指令通りに動くAIとして生きていければ、楽だっただろう。
それでも、自分の感情と向き合い、乗り越える強さを持つことが、「仮面ライダー」(或人が滅を、心が強い=仮面ライダーと認めていたのも良かった)

本当に強いということは、心が強いこと。

自分の中の悪意すらも認め、それを乗り越える強さ。
本当に憎むべきは、或人でも人類でもなく、自分の中にある弱さ。
普通の人間でもなかなかできない地点に滅は到達することができた。
これこそが、ヒューマギアの進化であり、AI×心の新しい可能性なのだろう。

そしてラストシーン。
新橋駅をビルの上から見下ろし、人間の悪意を見張る番人役になった滅・・・

和服!!!和服!!!!かっこいい!!!!!!

悪意を持った人間に斬りかかる謎の剣士。この設定だけで物語になりそう。Vシネ希望。
久々にストーリー前半の雰囲気を持った、やんちゃな迅君も懐かしい。

とにかく、滅の成長と進化が、仮面ライダーゼロワンのストーリーのキーだったように思う。
思い返せば第一話で父親を失ったことがヒューマギアへの原体験となる或人に対し、父親型ヒューマギアである滅の存在が何かしらのアンサーになることは当然だったのだろう。(だいぶ気づかなかかったけれど…)

或人の心も、滅との関わりによって成長していった。
ヒューマギアは、従順でやさしいAIだから、人間の生活の中で役立ってくれる、と盲信していた前半から、悪意をラーニングされたヒューマギアとの出会い。
暴走するヒューマギアが悪いのではなく、人間のラーニング次第だと訴える心の中には、どこかまだ「ヒューマギアは人間によってラーニングされる存在」(人間>ヒューマギア)という意識があったように思う。
その姿が「人間とヒューマギア、対等に扱っていないじゃないか」と視聴者に思われていたようにも感じる。

それが、自分の心の弱さや悪意をも乗り越えることが「強さ」であり、その強さは人間もヒューマギア(滅)も、内発的に生み出すことができる、と気付けたことで、ようやく人間とヒューマギアの可能性の一つの結論に到達したのだろう。

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第1話を彷彿とさせる高速アクションもエモかった。
滅の鎖を避けながら、縦横無尽に飛び回るゼロワンと、泰然とそこに佇む滅の、静と動のバランス。
ライダーキックのぶつかりあい。
全力でぶつかり合うことが、お互いのけじめになったような、そんな戦いだった。

あと、亡がAIMSに入隊したのも良かったよねぇ・・・。
唯阿と亡のコンビ、映画でも活躍してほしい。

ゼロワンが終わってしまったのは寂しいけれど、来週からはセイバー!
楽しみにしております!

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(我が家のグッズたち)

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