要らない資格をとる地主
こんにちは。あとつぎじぬおです。
今回は、地主と資格というテーマについて書いてみたいと思う。
実は、最近、ある本の中で、僕に刺さった言葉があったので、最初にそれを紹介したい。
賃料減額請求しか来ない地主ってワシのことやないかww
というのはまあいいとして。
大事なのはその前の「資格取って自分のアパートだけ管理している」という部分だ。
いや、それもワシやないかwwww
そうだ。
私がまぎれもなく、資格を取って自分の物件の管理だけしている地主の息子である。(どや)
(資格上は)他社物件の売買の仲介もできるし、他社の物件の管理もできるけど、特に人さまの物件に対してのアプローチはせずに、自分の物件だけ対応しているというのが僕だ。
この指摘は正直、刺さった。
地主というのは、基本的に自分が所有権を持っている物件を管理している。
そして、自分の物件をどうにかすることに基本的に資格は必要なくて、他社のものを扱うときに一定の実務レベルを保証するものとして初めて資格が必要になってくる。
だから、自分の物件を持つ地主にとっての資格とは、必要だから取るのではなく、暇だからとる、くらいのものなのだ。
そして、資格を取ったからといって、それを事業化していくかといえば、それをする必要はない。
なぜかというと、自分の物件の賃料収入で、自分は食っていけるからだ。
だから、資格を使って、事業をやっていくことについて、そのこと自体に金銭面以外に自分をモチベートする部分がなければ、結局資格は持っているだけで、それを使って仕事をするという状態にはならないのである。
(もちろん自社物件を管理する際に、そういった資格関連の知識が役立つことはある)
それは当事者としてはありがたいことだし、恩恵を感じているけれど、それで本当に暇を持て余してしまうと、人間がロクなことしないというのが書籍で指摘されていることだし、僕自身もその通りだと感じる。
やはり人間何かに真摯に向かっていないと、そのエネルギーが別のしょうもないことに向いてしまうというのがあると思う。
だから、ある意味では、自分が本当に暇になって、その暇が虚無に変わって、その虚無を何かで埋めようとする状態になってしまうことを、恐れている自分はいる。
だからこそ、社会的な意義がある何かに常に向き合っていたいし、そうすることで「ロクなことをしない地主」に自分がなってしまうことを避けたいと思っている。
なんか哲学者フロムさんの「自由からの逃走」って素晴らしい本があるけど、そんな感じの話になってきたな。
ここらへんで一旦区切ろう。
そもそも資格とは何か
そもそも資格ってなんだろうか。
誤解を恐れずにいえば、僕は資格とは、「雇用される側」にとって必要なものだと思っている。
例えば、経営者には資格はいらない。
おそらく、多くの職業の中で、最も対応する問題の幅が広く、難易度が高いのが経営者だと思う。
でも、その経営者には資格はいらないのだ。
資格とは事業をやっていくために必要なものではあるけれど、会社経営では、その資格保有者を雇用できれば、その資格のメリットは享受できるので、経営者自身がとる必要はない。
そして、もしある人が資格を持っていたとしても、資格保有者は他にもいるので、資格を持っているだけでは優位性にはならなくて、資格保有者の中でさらに競争に勝たなければならない。
だから、資格は雇用される側にとって、一定の価値を持つものではあるけれど、資格さえとれば、という万能なものではないというのが僕の意見だ。
だから、資格というのを手段として考えるのではなく、資格取得がゴールや目的になってしまっている人を見ると、何とも言えない気持ちになる。
こちらから見たら、スタート地点でも、この人にとってはゴールなのか、と。
もちろん資格取得に誇りやプライドを持っている人に対して、わざわざ「資格は資格でしかない」というのも野暮だとは思うから、本人には言わないけどね。
ただ、自分の子供に対しては、「資格を取って雇用される側」になろうという発想ではなく、「事業を作って資格保有者を雇用しよう」という発想で動ける人間になってほしいと思う。
最終的には、前者になっていてもいいんです。でも、後者の発想は必ず持っていてほしいなと。この資本主義で生きる人間の最低限のリテラシーとして。
そしていつか俺を雇用して、高級で雇ってくれ!!!(👈これが雇われ思考のお手本だw)
何か随分熱く語ってしまったな。
何かあればぜひコメントください。それでは。