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兄弟姉妹への生前贈与にモヤった話2

前の記事の続き。

あれから、こちらの意見をもう一度母に書面にて伝えてみた。

概略は下記の通りだ。

・率直に、自分が特別なタイミングでお祝いとしてもらうものを、他のきょうだいは平常時もらっているというのは気持ちのよいものではない

・でも、個人資産の話だから、基本的には個人の自由の範疇なので、思ったとおりにやってほしい

・ただ、他のきょうだいたちに贈与するのであれば、2つの条件を果たしてくれと伝えた。
 ①会社存続のための、資金のやりくり、不動産のやりくりに協力すること
 ②後継ぎである自分は、”後継がない”である他のきょうだいとは、立場が
  違いすぎて、もう公平や平等というものさしで測るのは難しいことを
  全員に伝えてもらうこと。(生前贈与にせよ、いずれ来る遺産分割にせ
  よ)

これらのことを記載した書面を置いておいたら、母から連絡がきた。

結論としては、もうすでに生前贈与を一旦取りやめることを決めていたようで、きょうだいへの連絡も済ませていたようだ。

取りやめた理由は、今回の生前贈与は、自分の考えを子どもたちに押し付ける形で進んでしまっていると感じたためとのこと。

不公平を感じさせない形で、再度相談しながら仕切り直すとのこと。

一旦取りやめることは、書面を出すまでもなく、前回記事のコミュニケーションをした後に、自分で考えて結論を出していたようだ。

これはすごいことだ。

なぜなら、既にきょうだいたちに具体的な金額と計画を提案して了承を得ていたから、撤回するのは勇気がいることだったはずだからだ。

それでも母は撤回することを決断した。

やはり「母は強し」だ。


でも、中長期的に見たら、絶対これでよかったと思う。

生活や資金面で自立して数年の若者たちに、必要でもないタイミングで大金を渡していく必要なんてない。

むしろ、そこで与えてしまったら、自立心や向上心をそいでしまうだけだ。

金が必要なら、どうやってそれを調達するのか、自分で考えさせることこそがいい経験だし、そこにチャンスが広がっているのだ。

突き詰めれば突き詰めるほど、お金っていうのは手段にすぎない。

その先の目的がないのに、先に手段が手に入ったら、手段があるから○○をするという逆転現象が起きかねない。

結果、だれもハッピーにならない。

また、人に何かを与えるというのは"善"とされる行動であると思うが、今回の話は「"善"を行うときの危険性」というテーマにも関連する話だと思う。

臨床心理学者の河合隼雄先生も"善"について、こんなことを言っている。

本当に善を行いたいのだったら「微に入り細にわたって行わねばならない」のである。
・・・微に入り細にわたるような面倒なことはしたくない。ともかく善意でやっているのだから、と言う人は、それは自分が好きでやっているだけのことで、賞賛に値しないどころか、極めて近所迷惑なことをしているのだ、という自覚くらいは持ってほしいと思う。ボランティア活動というのは、よほど気をつけてやらないと、逆効果を生ぜしめたりするものなのである。

河合隼雄 『こころの処方箋』(新潮文庫)より

よくよく考えたらそうだよね。

人へのプレゼントなんかも、人を喜ばせるためにやっているようで、実際は逆効果になってしまっていることもたくさんある。

せっかく喜ばせるためにやっているなら、本当に喜んでもらえることを自分はやりたいなと思う。

賞賛なんていらない。

近所迷惑かもしれないけど、それでもやりたいからやるんだ。

自分がやりたいからやらせてもらうのだから、「微に入り細にわたって行わねばならない」のは当然なんだよね。

自分がやってあげているのに、なんで喜ばないんだ!って思ってしまったら、もうそれ自体がただ相手にとっては迷惑な話になっている。

そんなことも、今回の生前贈与と出産祝いの話から学びました。

この学びはまた先々で生きてくる。ありがたい経験だ。

それではまた。

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