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立法学入門コラム 野菜と果物 いちごが野菜? 2023年9月6日追記

 令和3(2021)年3月13日放送の「チコちゃんに叱られる」で、野菜と果物の違いについて扱っていた。チコちゃんの答えは「バンラバラ」、つまり野菜や果物の区別の基準は色々あるということだった。番組では、農林水産省、文部科学省、園芸学者から代表が出て、野菜か果物かを答えたが、「いちご」「スイカ」は農林水産省、園芸学者が野菜、文部科学省が果物と答え、パイナップルは全員果物とした。

 番組では、このようになっているのはその定義を用いる目的が違うためだとしていた。農林水産省では、生産者に対する政策については、その生産分野の考え方として、田畑で生産される農産物が栽培期間、特に一年を超えるかどうかによって政策が変わってくるため、「野菜」とは田畑で栽培される草本植物で副食物であるものをいうこととしているということだそうだ。文部科学省では、食品別の栄養成分情報を提供し、実際の食生活に反映しているため、一般に果物とされているものは果物としている。これ以外にも厚生労働省は食品安全、総務省は消費動向把握など、目的が様々であるため、分類が変わってくるということになる。

 ただ、立法ということで考えると、このように考えることがいいのかは問題となるように思う。特に農林水産省のように一般に考えられている意味とは違うという場合にどう考えるべきかは問題である。

 法令は法令用語だけでできているわけではない。法令用語以外では、基本的に通常の日本語によって表現される。しかし、その場合には通常の意味で考えることが原則である。「野菜」と「果物」は、有斐閣の法律用語辞典の項目にはないことを見ても、日常用語ということができる。そして、先に述べたように定義は省庁によって異なっていることがあるし、日常用語から離れた部分もある。
 例えば、野菜生産出荷安定法(昭和41年法律第103号)第14条を受けた野菜生産出荷安定法施行規則(昭和41年農林省令第36号)第8条について見てみよう。
 まず、野菜生産出荷安定法第14条は次のようになっている。なお、同法では「野菜」について定義はしていない。

 (法人に対する補助)
第十四条
 機構は、一般社団法人又は一般財団法人が行う対象野菜以外の野菜(指
 定野菜以外の野菜にあつては、指定野菜に準ずるものとして農林水産省令で定め
 るものに限る。)の安定的な供給を図るための業務で第十条又は第十二条の規定
 により行う業務に準ずるもの(農林水産省令で定める要件に適合するものに限
 る。)についてその経費を補助するものとする。

 これを受けて、野菜生産出荷安定法施行規則第8条は、次のように定めている。

 (指定野菜に準ずる野菜)
第八条
 法第十四条の農林水産省令で定める野菜(以下「特定野菜」という。)
 は、アスパラガス、いちご、えだまめ、かぶ、かぼちや、カリフラワー、かんし
 よ、グリーンピース、ごぼう、こまつな、さやいんげん、さやえんどう、しゆん
 ぎく、しようが、すいか、スイートコーン、セルリー、そらまめ(乾燥したもの
 を除く。)、ちんげんさい、生しいたけ、にら、にんにく、ふき、ブロッコリ
 ー、みずな、みつば、メロン(温室メロンを除く。)、やまのいも、れんこんそ
 の他特にその供給の安定を図る必要がある野菜として農林水産大臣が定めるもの
 とする。

 この条文から明らかなように、いちご、すいか、メロンが野菜ということになっている。これは、先に述べた農林水産省の考え方に基づくということである。この法律が主として生産分野についてのものであることから、政策としてこのようにすることは理解できる。また、この法律は助成のための法律であることから問題とはならないとも言える。
 これが、規制の法律や課税の要件を定めるという場合には、言葉の用い方として問題となるだろう。原則としては、法令に使われる日常用語は、そのままで用いる限り、国民に通常理解されている意味で用いるべきである。この観点からは、法律上は「野菜」としている以上、委任された省令で、通常の意味で「野菜」ではないものを含めることはできないというべきである。したがって、このように、省令で、いちご、すいか、メロンを野菜として規定するのは、委任を逸脱していることになると思われる。この場合には、法律上、「野菜」について定義をするなどにより上記のような考え方であることを明確にしておくべきことになる。

 なお、アメリカでは、トマトが関税法上果物(非課税)か野菜(10%の課税)かで争われたニックス対ヘデン〔Nix v. Hedden, 149 U.S. 304, 307 (1893)〕で、連邦最高裁は、植物学的にトマトはつる植物の果実であるが、人々の普通の言葉ではトマトは野菜であって果物ではないとして、トマトは野菜であると判断したということがある。この判例は、アメリカの立法学で教材として取り上げられている(John F. Manning & Matthew Stephenson, Legislation & Regulation and Reform of the First Year, 65 Journal of Legal Education 45, 2015 at56を参照)。
【追記】国立国会図書館のデジタルコレクションで、鵜飼信成『アメリカ法学の諸傾向』(新文芸社、1948)で、このニックス対ヘデンを引用しているのを見つけた。サーマン・アーノルドが例として挙げている判例として引用している。

ところで説教というのは、解り切つたことを難しい言葉でいい、簡單なことを何回も繰返すことが肝心で、合衆国最高裁判所の次の判決文などは正にそのいい例だ、アーノルドはいつている。
 (ニックス對へドン)Nix v. Heddon (1893)『本件における唯一の問題は、食糧品たるトマトが、一八八三年關税法上の「野菜」なりや、「果實」なりやにあり。唯一人の證人は、「野菜」も「果實」も、通商上、辭書に示されたる意義と異なりたる意義に用いらるるものに非ざること、及びそれらは一八八三年三月と今日とに於て、同一の意味に用いらるることを證言したり。(中略)かかる通常の意味について、裁判所は司法的見地より考慮を加えざるべからざること、日常用いらるる他のすべての用語に於けると同じ。かかる問題については、辭書は、證據に非ずして、裁判所の記憶と了解との補助に過ぎざるものと認めらる。ブラウン對パイパー事件、ジョーンズ對合衆國事件、ネルソン對クッシング事件、ページ對フォーセット事件、テイラー證據法論(第八版)第一六節、二一節。
 植物學的に論ずれば、トマトは、胡瓜、南瓜、豆と同じく、蔓草の果實なり。しかれども、食糧品の賣手買手を問わず人々の日常語に於ては、これらはすべて菜園に生ずる「野菜」にして、生にして食せらるると、料理せらるるとに拘らず、馬鈴薯、人参、蕪、大根、コリフラワー、キャベツ、セロリー、レタスと同様、通常ディナーに於て料理の主要部分を構成するスープ、魚又は肉と共に、又はその直後に供せらるるものにして、果實の如く通常デザートとして供せらるるものに非ず……』
 裁判所がどうして、こんな簡單なことに、縷々百萬言を費して、博學な議論をしなければいけないかというと、要するにこうすることが平和と安定とをもたらすという假定があるからである。判決があるまでは、この人間にはトマトとは何かはつきりしなかつたが、これまでその點が解決された上に、一般的に果物と野菜の區別もはつきりし、將來同じような問題が起ればたやすく解決できることになつた。即ち法律人はこういう形式の訓告がないと、混亂の中で、ただもがくだけになる、というのが、このようなやり方の基礎にある考えなのである。

167〜169頁

 引用文4行目は、「Nix v. Heddon」(太字引用者)となっているが、「Nix v. Hedden」のことである。


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