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永いふりかえり。プロトアウトスタジオの2ヶ月間

どうもこんばんは、よしだじゅんやです。
私、9月の末から約二ヶ月間『プロトタイピングスタジオ』に通っております。
四ヶ月間のプログラムの折り返しのタイミングを迎えたので、ここまでの振り返りをしていきたいと思います。

いざ振り返りを始めると、あまりにも観点が多く自分でも驚きました。それだけ濃密で学びが多かった二ヶ月間でした。体系的に構成したかったのですがちょっと難しいので、溢れる想いをそのまま記述していきます。ぜひお付き合いください。

実装意識の変化。技術は想いを実現するためのもの


始めに、僕がプロトアウトに入るまでの実装へのスタンスを共有します。
「できる限り人生で無縁でありたい」
これに尽きます。とにかくコーディングを毛嫌いしていました。

僕は名古屋大学の情報学部という学部に入学したのですが、最初の授業が「C言語」の座学だったのですね。それがあまりにも退屈で、苦痛で、入学して半年でドロップアウトしてしまったのです。何に使えるかわからん言語を学ぶくらいなら、日本語を学んだ方が魅力的だなと思って僕はずっと図書館にこもりきりになります(卒業するまでずっと)

なのですが、プロトアウトスタジオに入って、実装へのマインドが大きく変わりました。
プロトアウトスタジオはただ実装を教える場ではなく、「企画」→「実装」→「発信」を一つのサイクルとし、世の中にクイックにプロダクトを発信し改良することの重要性を強調します。このサイクルを通して僕の毛嫌いは大きく解消されます。

要因1:マインドの変化
従来はコーディング力を完全に身につけなければ、どんな良いアイデアがあっても実現できないと思っていました。しかし、それは大きな間違いで、「簡単にプロダクトを制作できるツールは世の中に溢れている」つまり「実装力がプロダクトの良し悪しを決めるのではなく、何を実現したいか(企画)の良し悪しがアウトプットの質を決める」ということに気がつきました。僕は妄想家で、こんなことしてみたいなあと人より多い人間だと思っています。あ、めちゃくちゃ自分に優しい時代なのだ、状況を把握することができました

要因2:実装にまつわる喜び
どんな些細な実装でも、企画が現実のものになると、強い喜びを感じました。

例えば、このブチギレアラートはLEDディスプレイと、ボタンという非常にシンプルな構成です。当初「これで早押しシステム作っておもろいんか?」と懐疑的だったのですが、実際にボタンを押してみるとめちゃくちゃ面白い笑。もっともっとやりたいことが溢れてくる。そんな体験をしました。
企画でテンション上がるか?ではなく、まずクイックに作ってみる。その結果思わぬ喜びが見つかる。そんな実装にまつわる喜びを知れたのでした。

アイデアの根幹は。僕は何のために企画するのか


プロトアウトスタジオでは、「アート思考」「デザイン思考」という思考プロセスに分けて両者の企画→実装を行います。
僕は先ほど記述した通り、妄想家で利己的な人間なので、「アート思考」側の人間なのじゃないかと思っていました。しかし、実際に企画を考えると「誰かの課題を解決したい」「自分以外にもこのニーズを持つ人がいるんじゃないか」、そんなデザイン思考で企画を考えることが好きな人間なのだなあと気づきがありました。そして、「面白いを科学する」ことを日常的に行っているなあと気づきました。

上の『ブチギレアラート』は、一見すると、彼女の怒りを早押しゲームで解決するという「アート思考」に近いプロダクトに見えます。
が、僕としては明確な狙いがあって「面白い」=「意外性」と「共感」の乖離なのだと考えて製作しました。意外性(早押しクイズ)、共感(彼女の怒りを鎮火するのって大変だよね→このプロダクトちゃんと解決できそうだよね)と当てはめていきました。
面白いって、あくまで相対的な何かなので、「意外」も「共感」も世の中のニーズや課題といった「基準値」が理解できていないと演出できないと思います。

それを踏まえた上で、僕は「面白い」人間でありたいのですが、そのために、人間の「基準値」をちゃんと把握できる人間でありたいとプロトアウトの活動を通して感じました。この「面白い」の定義が自分の中で定まってきたのも大いなる学びです。

挑戦にも、狙いがないと意味がない


プロトアウトでプロダクトの発信や、CFの支援者獲得のための記事を書いて発信してきましたが、驚くのは本当に発信後の反響が予測できないということです。
「これは絶対にバズる」と思ったものがあまり拡散されなかったり、「これニーズあるの?」というものがめっちゃバズったりと全然読めません。その難しさが学びでした。
つまり、CFを成功させたいという目的はあるものの、「正解はない」のです。

と、なったときに重要なのは「振り返り」と「改善」です。そして、「振り返る」ための「計画・狙い」がさらに重要になります。「正解はないものの、改善はできる」というスタンスが道なき道をすすんでいくために非常に重要なのだと感じました。
振り返り記事はこちら

発信の重要性。自分のために発信しよう


僕は自己顕示欲は強いものの、メンタルが弱いので、発信するのが本当に本当に本当に苦手でした。正確にいうと、発信自体はするものの、それをみた人の意見は遠ざけていたきらいがあります。

今の僕は『シバコロ』や芝生にまつわる情報の発信を定期的に行っています。そして多くの人にプロダクトを使ってもらえる状態になってきました。
当時の僕はどうだったんだろうと調べてみると、芝生の発信自体はしていました笑

けどこれ、全く広がりはなかったんです。結局一部の芝生好きがただ集まってだべるだけだった。見る側の人たちのことを全く意識していない、自己満足な発信だったのですね(たぶん人から否定されるのが怖かったのだと思う)

当時の僕に言いたい。勇気を出して発信した方がいいぞ。
それはなぜかと問われたら、「自分自身がより幸福になれる」から。

僕が芝生の発信を続けてよかったなと思う点は以下です。

①自分のWILLの理解が深まった。鋭利になった。
他人に何かを伝えるには、より本質的な想いを言語化する必要があります。そして発信した内容のFBを受けて、自分の想いはよりシャープになっていきます。
今「芝生」のプロダクトを発信していますが、僕が根本的にやりたいのは「人間が内省しやすい環境や機会を作る」ことにあります。ここに関しては絶対に人生でブレない自信があります。これに気がつけたことで、もし芝生がうまく行かなかった時も、原点となるWILLにいつでも立ち返ることができるようになります。
自分の根源的な想いに気が付くというのは本当に価値があることだと思います。

②他人が利用してくれることが、自分の喜びに変わる。
『シバコロ』を運営する理由として、利他的な想いがある一方で、僕自信が「日本中のめちゃ良い芝生に出会いたい」という利己的な想いもありました。
で、実際にユーザに利用してもらうと、なんと鹿児島のやばい芝生が追加されたのですね。これには本当にテンションが上がったし、もっとシバコロを広めていきたいと思いました。

他人に向けて発信する、批判的な意見も含めてしっかり受け止める。これは本当に怖いことです。しかし、そこを乗り越えると、自分自身、想像もつかないような素敵な体験が待っていたりする。自分1人だけでできることには限界があります。他人も巻き込むことで結局、自分も幸福になれる近道なのだなあと実感しました。

仕事で起こった変化


プロトアウトは仕事の傍で参加し、活動してきましたが、仕事でも変化が見られました。

①実装面の話
実装の実現方法や工数感がなんとなく把握できるようになったので、提案に説得力が増しました。
先日クライアントから「このローデータをダッシュボードにしたいんだけど」という話があったのですが、直感的にあのAPIを使えば簡単に実装できそうだな、と把握できたのでその場で円滑に議論することができました。普段だと、いったん社内エンジニアやベンダに確認する工程があるのですが、個人である程度リードして会話できるようになったのは成長を感じました、、、

②プロトアウト的思考の話
社内で新規企画を検討する際、今ままでは、まずコンセプトを作りきる→大掛かりなモックを製作するというめちゃウォーターフォール型の進め方をしていました。プロトアウト的思考を身につけると、モックの中でもこの機能を切り出したら簡単に動くもの作れそうだな→一旦このミニマル機能でユーザに当ててみようかなという思考になりました。まず作ってみて消費者の声を聞く→改良するという一連のサイクルはそのまま新規事業に流用できる考え方だと思います。

今後の課題:自走できるか?


研修を受けて、様々な技術にふれ、自分で表現できる幅も広がってきました。
しかし、それは「技術の選定」や「エラー対応」を講師の方々が親身に行ってくれたから成り立っていたのだと痛感しています。
「まずは動くものを」「完全に理解しようとしない」というようなプロトアウト思想で今まで活動をしてきましたが、自分自身の力で進めていこうと思うとスキルや理解・経験が圧倒的に不足しています。
今まではただただ前へ突っ走ってきましたが、自分が何ができて、何ができなのかをしっかりと棚卸しする時間を設けたいなと思っています。

有限の時間で何を選択し、何を成すのか。


実はこれが、僕にとって人生における最も大きな学びだったのではないかと思っています。
24時間とい有限な時間の中で、何を選択して時間を使うのか(あるいは何に時間を使わないのか)の判断は、「何を成すべきなのか」という意思決定のもと自分自身で取捨しなければならないということです。

プロトアウトに参加した期間は、おそらく人生の中で最も忙しい、かつ自分の将来を決める上で重要な決断を迫られる期間でした。
今まではどれだけ仕事が忙しかったとしても、純粋に時間を投下したら24時間のうち何時間かはお釣りがくるような状況だったのですが、プロトアウトの活動、仕事の業務、プライベートを含めると時間が足りないという状況。そしてただ時間がないというだけではなく、仕事のキャリア的に重要な局面、プライベートのライフステージ的に重要な局面があり自身の決断も試させるような状況でした。

その時、僕が陥ったのは、「時間に追われて大変・余裕がない」という心境ではありませんでした。
全てに対してなんとかアウトプットを出そうとするものの、全体的にアウトプットの質を下げるしかなく、振り返って見たときに、「何も成し遂げていない」という状況に不甲斐なさや無力さを覚えました。

時間があったので、ただなんとかなっていただけで、自分自身「何を成すべきか」という意思決定のないまま生きてきたように思います。このままでは、とりとめのない人生になってしまいかねないとこの期間に気づかされました。
「人生全取りする!」というビジネス本みたいな甘いこと言ってらんねーんだなということですね。
今後は長いスパンで目標を設定し、その上で自分が努力するポイントを取捨できる人間になりたいと思いました。

最後に


今日も読んでいただいてありがとうござます。
『シバコロ』は僕にとって成し遂げたい重要な要素です。
残り二ヶ月間、と言わず人生をかけて取り組みたい。

代わりにカンボジアに募金します。