「全てのセカイに」
あるコミュニティ。
健康促進のための運動サークル。
そこには、65歳のハル。
3歳のアイがいた。
もともと中高年層を対象とした運動サークル。
3年が経つと、参加者も少し様変わりして。
乳児、幼児とその父親、母親も参加するようになっていた。
アイはハルが大好きだった。
いつも褒めてくれる。
何よりハルが手を握ってくれる。
あったかいその手で。
しわを重ねたその手で。
その手で触れてもらえること。
アイは大好きだった。
新しいプログラムがあるとアイは一生懸命に覚えて。
一生懸命やろうとしていた。
そして。
すぐに覚えては。
アイはハルに率先して教えて。
ハルも一生懸命教わって。
終わったあとにはいつも通り。手を握って。
アイにこう言ってくれる。
「いつも、ありがとう」
「アイちゃんは本当に優しいね」
アイは満面の笑みを浮かべた。
「うん」
「ハルちゃん、また教えてあげるね!」
アイはハルをそう呼んでいた。
そう呼ばれることは、ハルにとっても幸せであった。
「ありがとう」
ハルはその心を包む。
アイは小学生になってからバスケを始めた。
ハルの孫の影響もあって。
それでも、サークルには顔を出して。
ハルと一緒に活動していた。
地域にあるバスケスクールにも通って。
小学校4年生には、試合でも活躍できるようになった。
同じ学年では一番に点を取っていて。
アイはその話もハルにたくさんした。
「今度、アイちゃんを見にいってもいい?」
ハルはアイに尋ねた。
「うん、来て!」
「わたし、いっぱい点決めるね」
試合の日。
ハルは約束通り来てくれた。
他のサークルの仲間も来てくれて。
いつもより緊張しているアイ。
プレーもうまくいかなくて。
それでもがむしゃらにプレーして。
ようやく1本のシュートを決めた。
しかし、その日はそのシュートだけ。
試合後。
アイはハルに合わす顔がない気持ちだった。
それでも、来てくれたお礼をしようと。
ハルに会いに行った。
「ハルちゃん、来てくれてありがとう」
「アイちゃんすごいね」
ハルはいつもの眼差しで微笑んだ。
「ううん、いつもはね、もっと決めるんだよ」
「今日はハルちゃんも来てくれたし」
「みんなも来てくれたし」
「頑張ろうっと思ったんだけど」
「1本しか決まらなかったの」
「ごめんなさい」
アイはもう、泣きそうだった。
「アイちゃんは本当に優しいね」
「えっ?」
アイは少しびっくりした。
ハルの微笑みは変わらない。
ハルは続ける。
「一生懸命頑張ってくれたんだね」
「私たちが見てるから」
「頑張ろうとしてくれたんだね」
「アイちゃんは、いつも頑張ってくれるよね」
「ありがとう」
そう言うと、ハルはいつもの通り手を握ってくれた。
その手は前よりしわが増えたけど。
いつもより、あたたかくて。
いつも以上に。
優しく感じた。
気づいたら。
アイは頬にはたくさんの涙がこぼれていた。
数か月後、訃報は突然届いた。
「アイ、落ち着いて聞いて」
「ハルさん、亡くなられたの」
「えっ?」
「死んだってこと?」
「なんで?」
「だって、こないだまで元気だったし」
「今度の試合も見に来てくれるって」
「うそだよね?」
「本当よ」
「今晩、会いに行こう」
母親は神妙な面持ちのまま。
アイも茫然としていた。
アイはまだ信じていなかった。
行けば、ハルがまた手を握ってくれる。
そんな気がしていた。
でも。
そこにいたのは。
冷たい手をしたハルだった。
その顔は安らかだった。
だからか、余計に信じられなかった。
ただ、手の冷たさだけがアイに伝わる。
茫然とするしかなかった。
「アイちゃん」
ハルの孫、カナが声をかけた。
「おばあちゃんね」
「アイちゃんといれて、本当に楽しかったみたい」
「いつも、アイちゃんの話をしていて」
「亡くなる直前まで元気でいられたの」
「アイちゃんのおかげよ」
「ありがとうね」
「うん…」
アイはまだ茫然としている。
「おばあちゃん言っていたよ」
「アイちゃんは本当に優しい子で」
「いつも感謝しているって」
「ありがとうって」
そう言うと、カナはアイの手を握った。
その刹那。
アイの眼から止めどなく涙があふれ出た。
自分では表現できないほどのたくさんの気持ち。
今まで止めていたもの。
それがいっぺんに流れ出てきてしまう。
「ハルちゃんの方が優しいし」
「もっと、ありがとうって言いたい!」
「ハルちゃんは、いつもあったかかったの」
「なんで、死んじゃったの」
「いやだよ!」
「まだ、一緒にいたいよ…」
それは悲痛の叫びにも似ていた。
周りのいる親族やアイの母親も、その想いでまた、涙する。
「ありがとう」
「アイちゃんの中にはまだ…」
「あばあちゃ…、ハルちゃんがいるのね」
「えっ?」
一瞬、アイの涙は止まる。
「アイちゃんの中のハルちゃんはどんな人?」
「えっ?」
戸惑ったが、答えようと思えた。
それがハルへの感謝の気持ちを表すような。
そんな気がした。
「えっとね…」
「優しくて、あったかい人で」
「いつも褒めてくれて…」
「いつもありがとうって…」
追憶の中には優しいハルしか出てこない。
また、涙が溢れ出てきてしまう。
「ありがとう」
「しっかり、アイちゃんの中にいるんだね」
「アイちゃんの中で生きているんだね」
カナは少し溢れそうな涙を拭う。
ハルの手を握る。
「ここにいる、ハルちゃんは亡くなったけど」
「それは人には命があるから仕方がないの」
「いつかはみんな、亡くなる」
「だけどね」
「こうやって、アイちゃんの心に残ること」
「それはできたんだね」
「そして…」
「大切にしてもらえている」
「アイちゃん」
「アイちゃんの中の」
「私のおばあちゃん」
「これからもよろしくね」
カナはハルがしてくれたように。
優しく微笑んでくれた。
「うん、わかった」
「大切にするよ」
涙を堪えようとしたが、うまくいかない。
でも、それよりも。
アイもハルの手を握った。
いつも、ハルがしてくれるように。
優しく、あったかさを伝えるように。
そして、呟いた。
「ありがとう、ハルちゃん」
ハルが少し笑ったような。
そんな気がした。
アイはそれまで以上にバスケに打ち込んだ。
運動サークルもなるべく顔を出した。
地域のバスケスクールを卒業してからも。
率先して手伝いにいった。
そこで、伝えていた。
たくさんに届けていた。
ハルからもらった、大切な宝物を。
最後の大会を終え、中学の部活を引退したアイ。
バスケスクールには久しぶりに顔を出す。
ここ数か月は自分の試合に専念したためだ。
久しぶりに訪れたバスケスクール。
相変わらず楽しい場所であった。
みんな、本当に楽しそうだ。
アイの顔も綻んでいた。
しかし。
ふと、あることに気付いた。
「あれ?」
「タクヤがいない」
タクヤとはもう、10年の付き合いである。
運動サークルで、タクヤは1歳になる前から来てた。
その時アイは5歳。
ハルと一緒によく面倒を見ていた。
バスケスクールに誘ったのはアイだった。
アイがしばらく来ていない間に、タクヤはこなくなっていた。
スクールのコーチはそう言っていた。
「来たばかりの頃はあんな楽しそうにしてたのに」
アイは不思議だった。
「運動サークルには来てるかな」
「今度顔を出してみよう」
数日後。
アイは運動サークルに顔を出した。
そこにはタクヤがいた。
「タクヤ」
声をかけると、タクヤは申し訳なさそうにした。
「最近スクール行ってないんだって?」
「どうしたの?」
タクヤはもう泣きそうだった。
「だって…」
「僕、下手だから」
「えっ?」
「シュートも決まらないし」
「パスも取れないし」
「タクヤ、でも一生懸命やってるじゃん」
「一生懸命やっても、みんなに迷惑かけちゃう」
「そんなの…」
そこまで言いかけて、アイは言葉を飲み込む。
そして。
目を瞑り、心の中に触れた。
呼吸を少し整えて。
アイは笑顔で想いを伝える。
「タクヤは優しいね」
「えっ?」
タクヤはびっくりした顔をした。
「だって、みんなのこと考えてるんだもんね」
「うん、みんなうまいから」
「迷惑かけちゃう」
「うん」
「みんなのこと考えているんだね」
「タクヤは優しいね」
「ありがとう」
そう言うと、アイはタクヤの手を握った。
そして、優しく、その心を包んだ。
「もし、バスケが嫌いになってなければ」
「また、来てね」
「そしたら、私と一緒に頑張ろう」
「タクヤなら上手くなれるよ」
「そして、一緒にバスケ、楽しもう」
そう、微笑みながら、伝えた。
心にあるハルを大切にするかのように。
タクヤは声にならない声を出しながら。
たくさんに頷いた。
コータにはすごい衝撃だった。
それを言葉にするにはまだ幼い。
それでも。
確かに何かをたくさん感じていた。
母親が参加している運動サークル。
そこに来ている中学生に試合。
その決勝。
母親がバスケ経験者もあって。
コータも連れられてきた。
しばらくは見ていたがすぐに飽きてしまっていた。
試合残り5分。
その歓声は強まっていった。
コータは何か感じた。
何かすごいことが起こっている。
何より、みんなが見ている。
コータもコートに目を向けた。
すごく輝いている人がいた。
それ以上に、みんなに力を分けているような。
そんな感じだった。
理由を言葉にはもちろんできないが。
それから、コータはその選手を固唾と見ていた。
残り3分。
タクヤのチームは負けていた。
決勝。
勝てば目標達成である。
タクヤは仲間を鼓舞する。
「最後までみんなで頑張ろう!」
「あぁ!」
仲間もそれに応える。
残り1分。
1点差。
自分たちの攻めだ。
チームはタクヤで攻める作戦に出る。
タクヤは果敢に攻めた。
しかし、相手チームもそれを読んでいて。
タクヤの攻めは失敗した。
残り40秒。
相手チームに決められると負けが濃厚になる。
しかし、タクヤにはそんなことは関係なかった。
「まだ、みんなとやるんだ」
「最後まで」
言葉にならない想いがタクヤの中に走る。
相手が少しドリブルミスをした。
タクヤは見逃さなかった。
すぐさまボールを奪い。
そのままゴールへ。
相手は追いかけるのをやめた。
一人、ゴールに向かうタクヤ。
その試合の勝利へと向かうように。
館内の人間が全員、タクヤの姿を追った。
もちろん、コータも。
決まった瞬間の大歓声。
コータもよくわからないが興奮していた。
その姿に。
その熱気に。
この空間に。
「タクヤ君かっこいいね」
母親は興奮気味に言った。
まだ放心状態のコータは頷くだけだった。
コートには、仲間と大喜びするタクヤの姿があった。
試合後、タクヤはコータたちのもとへ向かった。
「タクヤ君、おめでとう」
コータの母親も嬉しそうだった。
「ありがとうございます」
タクヤも満面の笑みを浮かべた。
「コータもすごい興奮していたのよ」
「ねっ、コータ」
「タクヤ君、かっこよかったよね」
コータはそれは大きく頷いた。
眼をたくさんに輝かせながら。
「ははっ」
「じゃあ、コータもバスケやればいいな」
タクヤは笑いながら、しゃがんだ。
「うん、やる!」
コータは大きな声で答えた。
「そっか」
タクヤはそう言うと、コータの手を握った。
「もうちっと大きくなったら、スクールに来な」
「バスケ、すげぇ楽しいし」
「バスケがすげぇ好きになるから」
「俺もそうだったし」
「うん!行く!」
コータは精一杯の声で答えた。
優しく、そして力強く握った手。
タクヤはその心を包んだ。
コータは確かに何かが伝わってくることを感じた。
帰り際、コータは母親に何回も言っていた。
「バスケやるからね」
「そんで、すごいシュート決める」
「そんで、すごい選手になる!」
母親は、何回も笑顔で返していた。
アイは娘を連れて会場に向かった。
娘はもう8歳になる。
9年前に結婚したアイ。
この街に引っ越してから、もう5年は経つ。
今日はプロバスケの試合が、この街で開催される。
そこへ向かった。
試合は接戦の末、神奈川のチームが勝った。
試合後、アイは娘と選手が出てくるのを待った。
他のファンも待っていた。
選手が出てくる。
ファンがサインを求めるため、近づく。
アイの娘も色紙を持っていた。
一人の選手がそれに気が付く。
そのチームで一番人気がある選手だ。
「みなさん、すみません」
「小さい子からサインするようにしてるんで」
そう言うと、その選手はアイの方に近寄った。
「コータ君」
その選手はしゃがみながら、アイを見た。
「覚えていないかな?」
「運動サークルで2年ぐらい一緒だったんだけど」
「コータ君、3歳くらいだったよね、確か」
「あぁ、サークルの!」
コータはなんとなく思い出したような。
そうでもないような。
それを察したアイ。
「タクヤ君に教わったんだよね、スクールで」
「あっ、タクヤさん、知ってるんですか?」
「うん、弟みたいな感じかな」
「あぁ、私アイって言います」
「あぁ!」
コータは思い出した。
タクヤが言っていたことを。
「アイさんには本当に感謝してるって」
「タクヤさんそう言ってましたよ、いつも」
「そのアイさんですか」
「うん、そのアイさんだと思う」
アイは微笑んだ。
「んで、娘さんですか?」
コータはサインを色紙書き始めた。
「そう」
「今年から、バスケやってるの」
「へぇ~」
「そりゃ頑張ってほしいなぁ」
「っと」
「あっ、名前書きます?」
「お願いするわ」
「え~と、名前は何かな?」
「ハル」
アイの娘は少し照れながら、答えた。
「漢字は?」
「カタカナ」
「そうなんだ」
「はい、ハルちゃんね」
コータは何かに思い当たった。
書き終えて渡したとき、それを思い出した。
「あぁ」
「ひいおばあちゃんの名前と一緒だ」
「確か」
「そう」
「名前ね、もらったの」
「あなたのひいおばあちゃんから」
アイは満面の笑みで答えた。
気づくと、ハルにコータは手を握られていた。
その手はちっちゃくて、かわいかった。
何より、優しさがいっぱいに詰まっていて。
とても、あったかかった。
コータにはそう感じた。
ハルはその心を包んでいた。
~~~~~~~~~
みたいな世界の傍らで。
そのセカイを感じながら。
見守り、愛すること。
それが夢の一つです。
起こり得る一つの可能性。
それがこんな世界。
夢が現実に。
その小さな一歩は。
もう此処にあること。
確かな実感があります。
うん。
素敵なことだ。
もし。
こんな世界が築けたら。
僕は。
こう言いたい。
「全てのセカイに」
「この世界に」
「ありがとう」
~~~~~~~~~
という夢を描いてから13年。
8割方は達成できたような気がしています。
そこにあったのは仲間との軌跡。
想いの享受。
心というつながり。
あらためて
「ありがとう」
今ここに。
新しい物語を描くために。
願い、祈ろう。
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