吹奏楽に捧げた高校生の夏を大人になってもずっと引き摺っている
夏になると、全日本吹奏楽コンクールに捧げた高校生活の日々を思い出す。あの人数であれだけの熱量で何かに向き合うことはもう無いのだろうと思うと、やっぱり毎年悔しい気持ちになる。
私たちは全国どころか、支部大会にも駒を進められなかった。かつては強豪校だった。だから入学した。けれど、私たちの代を含む数年間だけ寂しい結果が続いた。今の世代の部員たちは全国大会には進めていないものの、再び支部大会の常連となっている。
空白の数年間を母校の成績に残してしまった。
また栄光を取り戻してくれていることは嬉しいけれどどこかやるせない。あの数年間はなんだったのか?なぜこんなにもあの夏を引き摺ってしまうのだろう。
団体で音楽を行うことの難しさ
作曲が幼い頃からできたし、鍵盤は一人でメロディもハーモニーも同時に演奏できるので大抵のことは一人でできた。一人で向き合ったらエレクトーンではそれなりの成績も残すことができた。
だからこそ団体での音楽は悔しかった。部員が多く、100名以上いたので既定の人数以上はコンクールに出ることが出来ず、楽器によって人数は決まっているため私は高3の年しか出られていない。そもそも出場の権利すら与えられない。誰かが秀でて上手くても仕方がない、全員が同じ方向を向いた音をしていなければ。
特に私は低音楽器だったので旋律を任されることもない。今でこそ低音部の大切さは理解できるけどね。
指揮者兼指導者の技量が大いに関係するということが確信に変わったのは、自分でも教職課程をとり教育現場を目の当たりにしたからだ。生徒たちの力は勿論重要だけれど、指導ありき指揮ありき。だからこそ顧問が変わったら強豪校は一気に落魄れることもあるし、逆に顧問が移った先が強豪校になる。
先生を責めたくはない、休日返上で本当によくやってくれていた。部員みんなで頑張った、出演順だってトリを引くことができた。だけどやれることはやった、と思える努力の先が県大会のダメ金だったのは結構屈辱的で、目標を果たせなかったのは初めてだったかもしれない。その後の大学受験、大学院受験、就職。紆余曲折ありながらも全て叶ってきたからこそ自分の力ではどうにもならなかったことを今でも悔しく思ってしまう。
目標に向かう過程にある「豊かなもの」が大切
林先生の初耳学で米津玄師が出ていた。
ほとんどテレビ出演をしない彼の心の内を聞くなかで本当に大切に言葉を紡ぐ人だなと思うと同時に、言語化の天才だなと思った。
目的を達成するかどうかは些細なことで向かう過程にある「豊かなもの」、夢から生まれてくる運動・感性の方が重要である、 と。
私は確かにあの夏普門館で演奏したかった、その夢は叶わなかったけど感じたことのない感情や体験をした。そこからの人生でも同じ。結果が報われたり報われなかったりするけど過程が大切なんだと。仕事は成果が問われる部分があるけれど、やりきったと思えない仕事が成功しても何の意味もない。
ベストを尽くせ
年に何度かある仕事の山場がちょうど今。納期に間に合わせることはできるが果たしてこれがベストなクオリティだろうか、と自問自答しながら作ってきた曲。最後までできることをしたい。最後まで妥協せずに作りきったなら、評価されてもされなくても納得して世に送り出せる。
吹奏楽コンクールも8月末になると支部大会まで進んでいる。現役の学生に言いたい。今後の人生に確実に響いてくるからベストを尽くせ。
結果よりも過程。やりきったかどうか。自分がやるべきことを部内で果たせたか。所属した団体で頑張れる人間だったかどうかで頑張り続けられる人間になれるかどうか決まると思う。
ここまで過程が大事だとか言っておいて、一つ言っていい?
やっぱり支部大会で演奏したかったァァァァア!!!!!!!
この悔しい気持ちたまに思い出してぎゅっとなって振り返る夏があってもいいよね。
何にせよ、みんなで頑張った思い出があることは幸せなことだね。
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