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アップデートしたDigitakt/疲れているときこそやる

さて、まずはいつも動画から紹介しよう。

Digitaktにドラムやパーカッションを叩いたループをサンプリングしてチョップしたものに、山の音をレコーディングしたものなどを構成して作った作品。MICROCOSMではGlideエフェクトをかけて、音を波立たせている。

余談になるけれど記事冒頭に動画を載せると割とみてもらえることがYouTubeのアナリティクスでわかっている。YouTube内の検索でだけで動画を見つけてもらうのはなかなか難しいからこういう外部リンクがあると有意にはたらくようだ。

さて今日の日記を書こう。3月も最後だ。

今日は午後から子供の元いた学校の友達がうちの近所の公園に遊びにくるという催しがある。朝は軽く済ませて、昼はベーグル屋さんでサンドウィッチを購入して持っていた。飲み物などはクーラーボックスへ入れる。なかなか量があって重たいので、車で持っていった。

近場の駐車場が埋まっていたので、車は駐車場へ戻し自分は歩いて公園へ向かった。別に自分がいる必要はないけれど、保安要員としては役に立つ。子供が多いので何が起こるかはわからない。

特に問題なく、遊具で遊んだり、平原を駆け回ったり、木に登ったりして遊んでいたようだ。子供は十数人集まった。保護者はみんな子供達のお母さんが同伴していた。

17時くらいには解散した。車で荷物と妻や子供達を回収して帰宅。夕飯は省力化のために鍋にさせてもらった。

疲れてはいるがここから動画と日記の作業を始めた。疲れているからやらない。よくあるし簡単な選択肢である。しかしそうすると物事は進まない。もちろんパフォーマンスが明らかに発揮できないのであればやらないべきだと思う。でもできそうだけどやらない、というのはただの怠惰かもしれないと思いませんか?まずは手を動かす。やる気は手を動かすと出るという話もある。手を動かせば方向性は決まってくる。それは音楽も文章も同じだと思う。この文章を書いている今現在(この日記は数日前のことを記述している)も車に乗って半日かけて往復100kmほど走ってき帰りの夕方であり、正直疲れを感じているところだ。でもタイピングが全くできないわけではない。であれば、書くべきことを書いておくべきだと思うから書いている。別に誰か成果物を納品しているわけではないけれど、一種の自分との約束なのだ。やる、という選択肢はいつだって面倒なことには違いない。しかしやらなければ何も積み上がらないのも確かなことだ。

作業を終え、寝る前に微かな頭痛を感じたのでストレッチをしてから就寝。今日は疲れたなあ、しかしある種の達成感もあったね。


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