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早稲田大学心理学教室の歴史

私の研究室に『日本心理学会五十年史 第1部』(金子書房, 1980年)という本があります。以前,大学の図書館で除籍本扱いになって,廊下に並んでいたのを拾ってきたものです。

ある日ページをめくっていたら,「戦前の各心理学研究室の状況」のセクションのなかに,早稲田大学心理学教室の項目がありました。著者は本明 寛先生です。今回はその内容を紹介してみたいと思います。

明治から大正時代

明治15(1882)年に創設された東京専門学校が,早稲田大学の前身です。明治35(1902)年9月に専門学校から大学へと昇格し,早稲田大学へと名称が変わりました。

明治時代には坪内逍遙が心理学の授業をしていたとか,東京帝国大学から元良勇次郎(1858-1912),松本亦太郎(1865-1943),久保良英(1883-1942)などが授業をしていた記録もあるようです。

また,早稲田大学教授だった金子馬治(金子筑水, 1870-1937)も心理学を教えていましたが,大正12年にコロンビア大学から赤松保羅(あかまつぽうろ, 1891-1980)が帰国して心理学の講座を担当していたそうです。

心理学専攻

その後,実験室を開設して本格的に授業を始めたのは,内田勇三郎(1894-1966)でした。内田クレペリン精神作業検査で知られていますよね。ただし,内田勇三郎が早稲田大学に籍を置いていたのは昭和6(1931)年から昭和14(1939)年までの短い期間です。

昭和8(1933)年に早稲田大学の改革があり,文学部哲学科に心理学専攻が誕生しました。当時の教授陣は,赤松保羅,内田勇三郎,戸川行男(1903-1992)らでした。第1期生,第2期生はともに1名,その後少しずつ学生が増え,昭和20年までに38名の卒業生を出したと書かれています。

内田勇三郎

「当時の教室の研究は,内田勇三郎先生の影響が大き」かったとも書かれています。

内田勇三郎と言えば,息子さんの内田純平氏が書いた内田勇三郎の生き様を描いた『迷留辺荘主人あれやこれや』という本がとても面白いので,機会があればぜひどうぞ。この本を読むと,内田勇三郎が少々変わった人であった一方で,研究に対してもとても多くのアイデアを出していたことが想像されます。

3つの研究領域

当時の早稲田大学心理学教室の研究は,GSR(皮膚電気反応)の研究,性格検査の研究,臨床心理学や異常心理学の研究という,おおきく3つの研究の領域が行われていたそうです。

性格検査の研究の一部は,内田勇三郎が開発した内田クレペリン精神作業検査の開発です。当時,大学の新しい試みとして,早稲田大学第二高等学院の入学試験に用いられたこともあると書かれています。また,内田クレペリン精神作業検査の定型曲線(平均的な作業曲線)を作成する際に,教室の学生たちの参加したとのことです。

他にも,戸川行男による一連の性格研究や松沢病院をフィールドにした臨床心理学・異常心理学の研究もよく知られているところです。

山下清

「戸川教授を一躍有名にさせた山下清君の発見と,その作品集の出版は注目に値する」とも書かれています。山下清と言えばちぎり絵で知られていますし,私が子どもの頃にもドラマ「裸の大将放浪記」が放送されていました。

山下清がいた知的障害施設である八幡学園を訪れた戸川行男は,子どもたちの作品に感銘を受けます。そして,早稲田大学のなかに作品を展示したり,自費出版で作品集を出版したり,書籍『特異児童』もベストセラーになったりと,戸川行男教授の名前が一気に知られるようになったきっかけであったようです。

早稲田大学心理学五十年史

ちなみに私の研究室には,こちらも図書館の除籍本になっていた『早稲田大学心理学五十年史』(早稲田大学出版部,1981年)もあります。

そのうち,こちらに書かれた歴史についても,詳しく紹介してみたいと思います。

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