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専門知は,もういらないのか

今日は,最近読んだ本の紹介をしてみようと思います。

紹介したい本は,トム・ニコルズ著『専門知は、もういらないのか――無知礼賛と民主主義』(みすず書房, 2019)です。

コロナウィルス感染症のなか,SNSではさまざまな議論が行われています。その中では,感染書の専門家もいればその他の医療関係者,また研究者も,多くの意見を書き込んでいます。そして,特段なにかの専門でもない人も,多くの情報を集めて発信し続けている人がいます。

そういう状況を見ていると,十分にネットを中心に情報を手に入れることができるのだから,専門家は必要ないのでは,という感想を抱く人がいてもおかしくはありません。

専門とは何か

大きな問題のひとつは,何かを論じるときに「専門とは何か」を定義することがとても難しいという点にあります。専門家とそうではない人の垣根は低く,たとえ何かの専門家であっても,別の専門について話をするときには素人同然になったりすることも多々あります。そういう様子を見ていると,ますます専門家とそうではない人々との垣根が明確ではないと感じてしまいますよね。

どのような専門家であっても,完璧な知識を持ち合わせているわけではありません。そのような知識を得ることは,現代の学問が扱う範囲の広さを考えれば,不可能です。でも,その中でもやはり,専門家というのは一定の教育を受け,訓練を行い,経験を重ねているはずです。その積み重ねの程度が,専門家であるかそうではないかをわける目安になります。

知らないと自信がある

ところが,ダニング=クルーガー効果という現象があるように,その分野について知らない人ほど「自分はよく知っている」と思いがちです。これは「賢くない人は自分が賢いと思う」という全体的な話とは少し違います。誰しも,特定の分野のことはあまり知らず,にもかかわらずその分野のことを「まあまあ知っている」と思いがちな傾向があるということです。

確証バイアス

また,確証バイアスもやっかいな影響を及ぼします。私たちは,自分がもともと信じていることを支持する情報に注目しやすく,信じていることを否定する情報は無視しやすい傾向をもっています。この傾向は,私たちがさまざまな偏見や陰謀論に簡単にはまっていくことを説明します。

そして,何かの専門家ほど,少し範囲のズレたところでは突飛な考え方に固執することもあるのです。それは,陰謀論のような考え方の背後にある理論はとても強固で,反論に対する耐性を備えているからです。「○○について明らかにされないのは,そこに陰謀があるからだ」という議論が典型的です。

専門家はどうしたらよいのか

では,私たちはどのようにふるまったらよいのでしょうか。

専門家としては,「発言を拒否する勇気を持つ」ということが重要です。たとえばマスコミ関係者が「○○について教えてください」と尋ねてきたとき,その質問が専門とはズレていても,サービス精神でついついあれこれと発言してしまうことがあります。そしてその内容に尾ひれがつき,拡散していくことも。

自分が何かの専門家であれば,専門家としてどこまでの範囲の知識に責任をもつことができるのかを考えておくことが必要であるのかもしれません。つい,よく知らないことも発信してしまうものですし,そこには「知っている」「知らない」という二分法があるわけでもなく程度の問題なのですが,自分自身の問題として「ここは知らない」ということを自覚しておきたいですね。

専門家ではない場合はどうしたらよいのか

ニュースの消費者についてのアドバイスも本の中に書かれていました。

◎謙虚になること:少なくとも専門的な立場から情報を発信している人は,その情報の受け手よりもその問題をよく知っているということを自覚するということです。もしも本当に自分のほうがその問題を知っているのなら,そのニュースを見ることは時間の無駄です。

◎バランスよく観ること:毎日同じ食事をしないように,特定のメディアの情報ばかりを見ないことです。できれば海外のニュースにも目を配って,ひとつの問題について多面的な意見を取り入れる姿勢をもつことです。

◎冷笑主義を抑えること:斜に構えて常に目にした意見を否定するのではなく,そのような姿勢はほどほどにしておくことが大切です。こういう姿勢は,日本でもよく見るように思います。

◎情報を選択すること:メジャーなメディアで報道される内容が「おかしい」と思っても,中途半端なウェブサイトの情報を信用しても,もっと質が悪い可能性があります。なぜなら,情報に対する姿勢が全く違うからです。この記事を書いているのは誰か?この記事は誰かに編集されているのか?他のメディアはこの報道内容を支持しているのか?そこには政治的な偏向があるのか?その内容は検証可能なのか?ということを考えておくとよいようです。

選択肢と決定

専門家が提示できるのは,選択肢だけです。その選択肢からなにをとるかは,その時々の政府であり,私たち有権者であるということも書かれていました。確かにそうです。

たとえばコロナウィルス感染症の人数が報道されるなかで,専門家は「危険だ」「大丈夫だ」とさまざまな選択肢を提示します。その中から何を選択して決定するかの権限は,研究者にはありません。決めるのは為政者であり,その政治家に投票した有権者です。

そういう観点を提供してくれるのが,この本の優れたところだと思いました。

分厚い本ですしとっつきにくいかもしれませんが,思った以上に読みやすい本でした。まだ読んでいない方は,ぜひどうぞ。

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