生命科学クライシス
今回は,『生命科学クライシス』というタイトルの本の紹介です。
私も,新型コロナウイルス感染症のワクチンを接種しました。今回の新型コロナウイルス感染症の拡大と,それに対するワクチン開発の迅速さについては,驚いたことのひとつです。
この本は今回のパンデミックが起きる前に出版されたものなのですが,新しい薬品の開発がいかに困難に陥っているのかということがひとつの問題として提起されています。
新薬開発に時間がかかる
まず,そもそも何か新しい薬を作ることに,とても時間がかかるようになってきているのだそうです。それを「イールームの法則(Eroom’s law)」と呼ぶこともあるのだとか。これはコンピュータの発展の逆ということで,ムーアの法則を逆向きに読んだものです。
新薬の承認率は1950年代から下がり続けている。2012年,ジャック・スキャネルらは,新薬開発状況が悪化の一途をたどっていることを表現するため「イールームの法則(Eroom’s law)」という言葉を作った。「イールーム(Eroom)」は「ムーア(Moore)」の綴りを逆にしたものだと彼らは説明した。ムーアの法則は,コンピュータ・チップの性能が指数関数的に向上することを示しているが,製薬産業は逆行している。その傾向を1950年を起点として延長すると,新薬開発は基本的に2040年で止まることになる。それ以降は,開発費が果てしなく増大するのだ(そうした予測は間違いなく悲観的すぎるとはいえ,印象的な点を突いている)。(p.29)
どうして困難なのか
この「どうして難しくなっているのか」ということがこの本のテーマなのですが,挙げていくと多くの問題がそこにあるということが明らかにされていきます。
たとえば「再現性の危機」です。ある論文で発表された研究結果が,なかなか別の研究者によって再現されないという問題です。その背景にも多くの問題があって,必ずしも研究者の問題とは言えないものも含まれています。
マウスやラットを使った研究でも,多くの要因が関与してきます。たとえば,実験者が男性であるか女性であるか,マウスをもつときに手袋をしているかどうか,などによっても実験結果に影響が生じることがあるそうです。
ガーナーは,遺伝的に同一のマウスを用いても実験の場所によって結果が異なるのかどうかを調べるため,ヨーロッパの六カ所のマウス研究室による実験に参加した。マウスたちはすべて,週齢がまったく同じで雌だった。それでも,実験場所がドイツのギーセン,ミュンスター,マンハイム,ミュンヘン,スイスのチューリヒ,オランダのユトレヒトのどこかによって,これらの「同一の」実験による結果は大幅に異なった。科学者たちは,考えうるすべての違いを挙げてみた。たとえばチューリヒでは,マウスを扱った者が手袋をしていなかった。ユトレヒトの実験室では,ラジオがかかっていた。床敷,餌,明かりもさまざまだった。マウスを扱う人間の性別もマウスに大きな影響を与える恐れがあることが認識されてきたのは,ようやく最近になってからだ。「マウスは男性を怖がりますので,それによって実際に痛覚の消失が引き起こされます」とガーナーは言った。そのような痛みを麻痺させる反応が起こると,あらゆる研究が台無しになるという。部屋の中に男性の汗臭いTシャツがあるだけで,この反応が引き起こされる可能性がある。(p.97)
それだけでなく,世界中で研究者向きに実験用に販売されている細胞などについても,オリジナルのものがちゃんと販売されているのかが問題になることがあるそうです。途中で別の細胞が混入していたり,培養するなかで別の系統になってしまっていたり……予想外のさまざまな要因が関与してくるものです。
研究活動の中で
また,近年,心理学の研究のなかでも話題になっていることと同じことが指摘されます。たとえば,統計的に有意な結果を追い求めていく「pハッキング」です。「もう少しデータを追加したら有意になる」「この外れ値を間引いたら有意になる」などなど。
それだけでなく,結果を確認してから仮説を立てる「HARKing(hypothesizing after the results are known)」についても,大きな問題です。この行為は,たまたま手にした結果に合わせて,あたかも最初から研究が遂行されたかのように論文を書いていくことを意味します。そして,素晴らしい結果だったと思っていたのに,のちにその結果が再現されない(たまたま起きたことだったので)という経過をたどってしまうことを量産していきます。
これは,探索することと確認することを混同するところから生じる問題です。
ハーキングは,科学者が探索研究と確認研究を混同したときに,そうとは知らずに始まることがある。探索と確認の混同は微妙な点に思えるかもしれないが,そうではない。本当の効果とランダムなノイズの区別に用いられる統計的検定は,科学者がまず仮説を立て,その仮説を検証するために実験を計画し,そのうえで実験の結果を測定している,という想定に基づいている。p値などの統計学的ツールは,そのような確認試験を明確に意図して作られている。しかし,科学者がデータを探って興味深い意外なことを見つけると,その実験はひそかにさりげなく性質をがらりと変える。突如として,それは探索研究になるのだ。それらの結果を,予期せぬ興味深い結果だと報告するのは結構だが,研究結果に合うように仮説を作り直し,それを証拠で裏づけられた新たな仮説とするのは明らかに間違っている。手の込んだ統計は不適切なだけでなく,間違った方向へ導く恐れがある。(p.164-165)
どうすればいいのか
最後に,どうすればいいのかについても書かれています。たとえば,研究者の評価方法について,過度な競争とならないように考えていくことや,研究のペースを落としてじっくり研究に取り組んでいく土壌を作っていくことも大切なことかもしれません。
これは昔から予言されていたこともであります。
1963年,物理学者で科学史家でもあるデレク・デ・ソーラ・プライスは,科学文献が指数関数的に増えており,科学研究のインセンティブを変える対策がなされなければ,いずれ手に負えない状況になるだろうと警告した。アリゾナ州立大学のダニエル・サレウィッツは,プライスの心配が現実になりつつあると述べた。「現在起きている,科学研究の量と質という相互に関連づけられた問題は,プライスが見通したことが恐ろしい形で現れたものだ。(p.274-275)
また,研究で報告された結果に一喜一憂して飛びつかない,という態度も重要です。
私たちは,文献に載っている一つ一つの論文が,「よい」あるいは「ひどい」にすっきり分類されると思い込まないようにすべきだ。ほとんどの論文の価値は一時的なものだし,その真価がわかるまでに数十年かかるかもしれない。今日の医学に見られる進歩のなかには,数十年前の発見に由来するものもある。そして,今日なされた発見のなかには,何十年も経ってからようやく価値があるとわかるものもあるだろう。私たちが過度な期待を少し抑えれば,科学者は分化転換(第1章)のような疑わしいアイデアにあまり突っ走らないだろうし,市民が最新流行の食事療法に飛びつくことも少なくなるだろう。これは,病気の処置法や治療法の探索が急速に進むことを期待している患者や患者支援団体にとっては悲観的な見解に違いない。しかし,迅速と拙速を区別することが重要だ。(p.275)
きっと,これからも世界を危機に陥れるようなパンデミックが生じる可能性はあることでしょう。また,それだけでなく,まだまだ克服すべき,予防すべき病気もたくさんあります。世界中でより良い研究を行っていく環境を整えることは,私たち全員の利益になることだと考えておくことも必要ではないでしょうか。
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