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オムライス

写真は家人の弁当である。
もう少し緑を加えたので完成ではないが、まあ見てのとおり「オムライス弁当」である。

ぼくがオムライスを作ったり、あるいは食ったりするようになったのは実は近年の話である。
前にも書いたが、ぼくは両親の遅い子どもであるから、食に関しても「年寄りめいた」ものがほとんどであった(両親は共に戦前の生まれであった)
ぼく自身はそれを何とも思っていなかった。
食事とはそういうものだと思っていたのだ。
やがて小学校にあがり友達から「ハンバーグ」や「オムライス」の話を聞いた。
どんなものだろう、とは思ったが、それを母に頼んだりもしなかった。
家は子ども用の別メニューなどなく、大人と同じものを食った。
なので家ではそういうものは出ないのだ、と思ったのだろう。
だからオムライスを初めて食ったのは、自分でも驚くが社会人になってからの話だ。

たぶん平日のランチで、その日のメニューがオムライスだったとかだろう。
自分から頼むことはないのだ。
嫌いとかではなく、ぼくの舌には目新しいものなので、食いたいもののリストではずいぶん後の方に出てくるのだ。

家人や娘は言うまでもなく、もっと言えばそれまでにお付き合いしたガールフレンドも皆オムライスが好きだった。
だから結婚してからは付き合いで食ったり、あるいは今日のように作ったりするようになる。

最初に食ったオムライスは、正しく「食堂のオムライス」であった。
流行りの「ふわトロ」ではなく、なんなら焦げ目が付くくらいしっかり焼き込まれたたまごにチキンライスがみっちり押し込まれているやつだ。
なのでぼくが作るのも、そういうやつだ。
オムライスとはそういうものだ、と思っている。
たまごも大雑把に混ぜるからきれいには整わない。
それがまたいい。

今日はケチャップがあまりなかったので、バターライスを入れた。
ごはんが多かったので、少し残しておいて昼飯にも食った。

家人にこの話をすると笑われる。
彼女は「母の味」のひとつとしてオムライスを挙げる。
ぼくは母の味といえば「みそ汁」や「煮物」である。
それもいいじゃないか。
大人と同じものを食っていたせいか、ぼくには好き嫌いがほぼない。
何でも旨いと思って食う。
この点は両親に感謝している。

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