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戸隠山と皆神山、覚醒の旅

この間、嫁と長野に行って来た。目的はタイトルにもあるが、戸隠山と皆神山である。そこには全国的にも有名な戸隠神社がある。両社とも神社とあるが、実は元はお寺。また、両社とも、ぼくの最近、興味津々の神仏習合の修験道のお寺である。これらは例の神仏分離令により、お寺から神社としての生きる道を選ばされたお寺で、ぼくは最近、それらに興味を持っている。それはなぜか?修験道、別の名を山伏、彼らの生き方に興味があるのである。彼らは山を駆け巡り(最近のトレッキングランナーのようだな・笑)、山に鍛えていただき、感性をみがき、そして、民衆のため?、神通力を得ようとする。前述した明治の神仏分離令のことだが、ある山伏の話では、山岳信仰、すなわち、アニミズムの彼らは、自分の行動規範や考えを自然から学んでいるので、一定の宗教や国が指定する教義や理念をあまり鵜呑みにしない傾向があったようで、それを国が危険視というか、そういう存在がいると国を治めずらかったようで、神仏分離令なる、摩訶不思議な命令を下したようなのだ。ぼくはこれら山伏の感覚が好きで、なにも、国に指図されずとも、自然からすべてを学び、そして、自然とともに生きる、山伏の姿勢に非常に共感を覚えるのである。で、嫁が誕生日祝いにそれらに行きたいとのことで、元々、そこに興味のあったぼくは何の躊躇もなく、今回の旅行に賛同したのだった。初日は天気がいいとのことで、今回の旅行のメインであった戸隠山に行き、その足で宿泊は皆神山が見えるホテルを選んだ。戸隠山では13キロも山を歩き、高地であるそれらは白樺並木もきれいで、そこら中で色んな鳥のさえずりが聞こえ、疲れはしたが、相当癒やされることができた。ホテルでは、ビュッフェスタイルの夕食が出て、しこたま腹を満たし、温泉にも浸かれて大満足といったところだった。夕食後、久々に酒に酔ったせいか、嫁から珍しくタバコが吸いたいというオーダーがあったので、ホテルの外に出て、長野の星を眺めながら吸いましょうということで、2人、夜の皆神山へと向かったのだった。皆神山は単独山であり、町にぽっかり浮かんでいる不思議な山で、世界最古で最大のピラミッドとも言われているが、なんとも不思議な感覚の山であった。もちろん、夜に山へ入ったわけではなく、皆神山近くまで夕食後の散歩をしたという図式だ。皆神山のまわりの町はたまに通る車以外、ほとんど歩いている人がいない。残念ながら、薄曇りのため、長野の満天の星はまったく楽しめなかったが、なんだか、授業を抜け出したカップルのようで、どこかワクワクする感覚を覚えた。久しく歩いてから、適度にタバコを吸える場所を見つけ、2人、タバコに火をつけた。これも、なんだか、悪いことしているようで、少し若返ったような気がした。ホテルに帰り、嫁はまた温泉に向かったが、前日の寝不足と長野までの運転、さらには戸隠山の散策で疲れたようで、ぼくは先にひとり寝てしまった。そして、なぜか、夜中に急に起きた。時計を見れば朝の4時半きっかり。カーテンを開ききったホテルの窓からは、夜露に濡れる幻想的な皆神山が浮かんでいた。なんと美しいんだろう。隣のベッドに寝る嫁の躰の傾斜と皆神山が、シンクロしているようにみえた。最近、こんな神秘的な経験はしたことがない。そのあまりにもの美しさ加減にしばし皆神山に見惚れ、スマホで写真を撮ることも忘れ、その景色をじっと眺めていた。そして、そのまま、知らぬ間に眠りに落ちた。次の朝、また、ビュッフェにて、たんまり、好きなものを堪能し、また、温泉に入り、雨の中を2人、皆神山を目指した。天気予報にて次の日は雨と知っていたので、雨の完全防備はできていた。ホテルからは車で約10分と、目指す皆神山は、山頂まで簡単に行けて、山頂途中にある、まさにピラミッドの入口のような祠をまず訪れた。雨の日に、基本、山登りなどしない。だから、ぼくら2人だけだった。雨の皆神山はさらに神秘的で、ぼくらの探検魂を刺激した。祠の上にはいつ造ったのか、雑な造りの小さなお社が2つあり、ひとつは天照大神、もうひとつは稲荷の神様を奉っていた。なんで、こんなに雑なんだろうね?近隣の人の氏神様的なお社だったんじゃないのと話しながらそこを後にし、山頂にある皆神神社を目指した。途中、山が開け、昔は人が畑をつくっていたような場所を抜けながら、山頂に到着した。天気は完全に雨となり、車の中で完全防備をして、神社に向かった。こんな天候にも関わらず先人がいて、地元の人であろうか、そんな感じの初老の参拝客とすれ違った。神社に着くと、当たり前のごとく、ぼくらしかいなかった。カッパに身を包んだ2人は、誰もいないのをいいことに、神社を端から丁寧に探索した。しかし、摩訶不思議な神社である。前述した通り、そこは昔は修験道の寺であったそうなのだが、そこには色んなお社があり、特に興味を引いたのが、天地カゴメ之宮というもので、なんとも、霊界でも相当高い位の神様が降臨された?ところであるそうな。また、別の場所には、最近、非常にとりだたされるようになって来た「日月神示」の大本教の大尊師である出口王仁三郎の言葉が記念碑に印されているではないか!!こんなところで出口王仁三郎氏に出遭うとは!!みんなこの山をピラミッドとかなんとかオカルト的な話ばかり囃し立てているが、この出口王仁三郎の話に注目していない。これはどういうことを示しているかというと、希代の霊覚者とされる大霊能者ルドルフ・シュタイナーと肩を比べる?、否、それ以上の霊能者とされる日本を代表する大霊能者である出口王仁三郎が、ここは地球の中心地である、と宣っているのである!!!これを興奮せず、なにを興奮するというのだろう!ぼくは確信した。ここが完全なる聖地であるということを。なんと深い旅になったことであろうか。不覚にも自分にとって、マイルストーン的な旅になってしまったのである。もしかしたら、昨夜は尊師に起こされたのではないかとひとり思った。なぜなら、皆神山に登ってからというもの、自分の中に不思議な安心感が広がり、怖いものや不安感が払拭されたのである。恐ろしき、エネルギーチャージである。それからというもの、仕事をしながらでもぼくの中ではその感覚は続いている。これはぼくの覚醒の旅だったのだろうか。そこを後にし、車の中で嫁の長い間告白を聞いた。内容はプライベートなため、詳しくは書けないが、以前、このnoteにも記したことがあるが、ぼくの暗黒時代で嫁と不仲であったことが、すべて、払拭されたのだ。なんとということだろう。できうれば、ぼくはこれを機に、新たな生き方を模索したいと思っている。それは単に躰の為だけに生きるのではなく、やはり、精神的に生きるということだ。ぼくらは躰以前に精神であり、霊、そのものなのだ。この自分の根源的霊として、それを覚醒し、日々を生きること。それのみが、ぼくがこれから、否、昔から目指していたことなのだから。今回の戸隠山と皆神山の旅は、げに深き、覚醒への旅と相成ったのであった。ここまでの長文を読んでくださり、誠にありがとうございました。

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