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迦陵頻伽の音楽論

最初に、迦陵頻伽(カラヴィンカ)とは、仏教において極楽浄土に住むとされる神秘的な鳥である。その声は、仏の声を形容するのに用いられるほど美しく、その音楽は、人間の耳には聞こえないとも言われている。では、迦陵頻伽の音楽とは、どのようなものなのだろうか。本稿では、迦陵頻伽の音楽について、その特徴や意義を論じてみようと思う。

迦陵頻伽の音楽の特徴として、まず挙げられるのは音高である。迦陵頻伽の声は、人間の聴覚で捉える範囲を超えるほど高いとされる。例えば、『阿弥陀経』には、次のように記されている。

「迦陵頻伽の声は、人間の聞くことのできる声の中で最も高く、最も美しい。その声は、八万四千の法を説く。しかし、人間の耳には聞こえない。なぜなら、人間の耳は、その声の高さに達することができないからである。」

このように、迦陵頻伽の声は、人間の聴覚の限界を超えるほど高いとされるが、その高さはどの程度なのだろうか。音高は、音の振動数によって決まるが、人間の聴覚の範囲は、おおよそ20Hz~20,000Hzである。では一方の迦陵頻伽の声の振動数をどのように推定できるのだろうか。一つの方法として、迦陵頻伽の声が説くとされる八万四千の法に着目することができる。八万四千という数は、仏教において、人間の煩悩の数とされる。すなわち、迦陵頻伽の声は、人間の煩悩をすべて除去することができるということである。では、その人間の煩悩を除去するには、どの程度の音の振動数が必要なのだろうか。仏教の伝統的な解釈によれば、人間の煩悩は、五つの根本煩悩と六つの次発煩悩からなるとされる。根本煩悩とは、貪欲、瞋恚、癡、慢、疑の五つであり、次発煩悩とは、愛欲、嫉妬、憎悪、悲哀、喜び、恐怖の六つである。これらの煩悩は、人間の心を乱し、苦しみを生むとされる。仏教では、これらの煩悩を除去することが、悟りに至ることとされている。そして、この人間の煩悩は、五つの根本煩悩に対応する五つの色と、六つの次発煩悩に対応する六つの音によって表現される。貪欲は青色、瞋恚は赤色、癡は黄色、慢は白色、疑は黒色に対応し、愛欲は長音、嫉妬は短音、憎悪は高音、悲哀は低音、喜びは和音、恐怖は不協和音に対応する。これらの色と音は、人間の煩悩を刺激するとされる。つまり、人間の煩悩を除去するには、これらの色と音に対して、逆の色と音を用いることになる。青色には赤色、赤色には青色、黄色には紫色、白色には黒色、黒色には白色を用いることで、色の煩悩を除去することが可能となり、また長音には短音、短音には長音、高音には低音、低音には高音、和音には不協和音、不協和音には和音を用いることで、音の煩悩を除去することが可能となるが、これらの対照的な色と音の振動数は、どの程度なのだろうか。これについては、科学的な根拠はないことを断っておくが、対照的な色と音の振動数の和(赤色と青色の振動数の和、紫色と黄色の振動数の和、白色と黒色の振動数の和、短音と長音の振動数の和、低音と高音の振動数の和、不協和音と和音の振動数の和)が、それぞれ八万四千になることが必要とされる。そして、この対照的な色と音の振動数の和が、八万四千になることで、人間の煩悩を全て除去することができるとされるが、八万四千になるということは、どのように理解できるのだろうという疑問が残る。仏教の伝統的な解釈によれば、対照的な色と音の振動数の和が八万四千になるということは、迦陵頻伽の声の振動数と等しいということである。つまり、迦陵頻伽の声の振動数は、ここまで説明してきた人間の煩悩を表現する対照的な色と音の振動数の和というこである。これは、迦陵頻伽の声が、人間の煩悩をすべて除去することができるということの根拠でもあり、迦陵頻伽の音楽の本質ではないだろうか。

最後に、冒頭でも述べた通り、迦陵頻伽の音楽は人間の耳には聞こえない。だからこそ、私は人間が真理で音楽を聴取することを望んでいる。人間の心に響く音楽とは、人間の感情を表現する音楽であり、人間の生きる意味を探求し、人間の可能性も開拓する。つまり、人間が音楽を聴いて、これからも人間としての喜びを感じて生きていくことが大切だと思っている。迦陵頻伽の美しい音楽の意義とは、その心で聴く真理だと信じている。

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