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ハングリー精神 version2.0

最近、僕の事業に高校時代の友人がインターンに来てくれています。

ビジネスを立ち上げ、友人がインターンシップで遊びにきてくれるのは、とても幸せな事です。

今日、友人と過去の話をしました。

僕は相当なハングリー精神を持っていたとの事。

勿論、彼は是を褒め言葉として、僕にくれました。

なので、それに関するエピソードトークを続けたのですが、何か違和感があります。

自分の中に「攻撃性」や「批評精神」が湧いているのを感じました。

場面場面の判断などは、ちゃんと論理立っていて正しい筈なのに、成功体験の話をしているのに

全然、達成感や幸福感を思い出さないのです。

その後、妻とも過去の話をしました。

妻と出会った職場の話。

僕はまた、正しくはあるものの、攻撃的でした。

確かに僕は飢えていました。

高校時代、友人と出会った時、僕の家庭は狂い始めていました。

借金、そして、不信、精神的不調和。

僕は家を出ました。

お金がなく、住む場所もない。

スキルも人脈もない。

生きていく為には技術や経験を獲得しなきゃならない。

何かをするにも、道具もハウツーもない。

その渇望感から、僕は人一倍行動しました。

自分が思いつく範囲の全ての事をして、なんとか前に前に進もうとしました。

家が借りられました。

貯金ができました。

自分のビジネスができました。

好きな事を仕事にできました。

なのに、全然、この時期の事を思い出しても、満足感や幸福感がないのです。

僕の好きな言葉があります。

かなり有名な言葉です。

stay hungry.  stay foolish.

僕は今まで、この言葉を疑った事はなかったのですが、今日、僕が友人との会話で感じた感情は、この言葉を疑わせました。

僕はなんで、この時期、どん底から這い上がってきた時期の事を幸福に思えないのでしょうか。

これは今の僕の状況と、過去の僕を比較した仮説です。

ハングリー精神 version2.0

僕はハングリー精神を武器に、好きな事を仕事にし、自分の事業を立ち上げ、また中卒同然の学歴で大手企業の下請け会社で課長職まで出世し、バイト入社の会社では社員になり、売り上げトップ店舗の店次長になりました。

これらの時期に僕は全く幸福感を感じません。

これらは17才〜22才くらいまでの出来事だったと記憶しています。

僕が幸福でなかった最大の理由。

飢え続けていたから。

僕が、このライフスタイルをやめたのは、今の妻と出会ってからでした。

妻と出会っても暫くは飢えに飢えていました。

最低賃金近い給与でも月収30万を超えるまで働き、出世しました。

ある日、突然、糸が切れました。

食事ができなくなり、強烈な目眩に襲われるようになりました。

僕は働く事ができなくなりました。

そんな中、僕達は結婚しました。

情けなくて、涙が出ました。

休業手当と妻の収入で暮らし、体は動かず、次の手も思い浮かばない。

妻に「今は休もう」と言われ、有り難くて、妻が仕事に行った後、1人で泣きました。

悲しくて、辛くて、それでも有り難くて、暖かくて。

体が少し、回復してきた時、僕は少し変わっていました。

相変わらず飢えてはいたけど、なんだか、心の底に得体の知れない安心感がありました。

挑戦する恐怖を挑戦すらしない恐怖と比較するような意思決定ではなく、好奇心を武器にし始めました。

僕達の事業が年商数千万円になり、当時の僕が目玉が飛び出るような税金を納める事になったのは、その3年後の事です。

僕は、この頃から変わり始めました。

周りの流れを見ようとする努力に苦もなく、取り組むようになり、好奇心が恐ろしい程に湧いてくるようになりました。

僕は好奇心に貪欲になりました。

怖くて、力んでいた子供は、好奇心旺盛な子供になりました。

最早、渇望感や恐怖心は僕の行動動機ではなくなりました。

手に入れても手に入れても、無限に沸き続ける向上心という名の飢えから解放されて、満たしても満たしても尽きる事はないけど、満たしていく過程に幸福を与えてくれる好奇心という飢えに従うようになりました。

速度はもしかしたら、遅くなってしまったかも知れません。

人を動かすカリスマも無くなってしまったかも知れません。

それでも、僕は好奇心に突き動かされる生き方が好きで満足しています。

だから、今でも、この言葉が好きでいられるのだと思います。

stay hungry.   stay foolish.


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