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コロナと妊娠と休園と。

とても久しぶりの投稿です。
世の中大変なことになっていますね。
そして、私のおなかには7ヶ月になる赤ちゃんがいます。
幸い悪阻は軽く、でもコロナ騒動が起き、娘の休園が2ヶ月目を迎えています。
夏までに頂いていたえほんのご予約が数件あったのですが、妊娠初期は如何せん頭がまとまらず、娘の休園に入ってからは昼間はべったり彼女の相手で、残念ながら夜なべ仕事をする体力が今は無く(いつもなら夜の部がけっこうはかどるのですが!)、制作そのものをストップさせてもらう判断をしました。ご予約のキャンセルにも関わらず優しく妊娠を祝福して下さったお客様には本当に頭が上がりません。
しばらくの間、自分の判断が“甘え”なのか?“自愛”なのか?と、正直、悶々とした日々でした。でも、今はどうしても心身ともにそこに集中できないことを悟り、お休みすることに決めました。私の体の中ではどうやら並々ならぬ創作活動が行われているようなのです。頭が血流を奪われるほどに。

そんな、お仕事を一旦脇に置いた喪失感のようなものと、目に見えないコロナへの得も言われぬ恐怖と、24時間娘と一緒の日々と、日々重たくなるお腹を抱えて、3月はとりあえず流されるままに過ごしました。家事と育児とよく寝ること、ただそれだけで精一杯。
そして迎えた4月。
更に一ヶ月の休園延長。
この連絡を受けたときの自分がわりと冷静で意外でした。

“ああ、この子と更に向き合う時間が与えられた。”

7月にはお姉ちゃんになる娘。
色々察してか甘えん坊になった彼女を受け止める時間。
普段なら幼稚園に任せている日中の成長を生で観る時間。
この子の感性に習う時間。

もちろん、時間を全部持っていかれて苛立つ瞬間もあります。そんな綺麗に日々は流れては行かないけれど。

くっしゃくしゃの顔をしていて何事かと思えばウインクの練習をしていて、ある日、片目だけ器用に瞑れるようになっていたり。

パン屋さんになりたい夢が高じて、キッチンで眠っていたホームベーカリーを見つけ出し、腰の重い母に強力粉を買わせ(今、品薄!)、我が家の朝に焼きたてのパンの香りを呼び覚ましてみたり。

ぶら下がっているだけだった公園のうんていにトライし続け、ゴールできるようになったり。(これは3月中で今は殆ど公園には行ってません)

淡々とした日々の中で、小さな積み木を重ねるように成長していく娘に幾度となく驚きをもらいました。

私自身が、こどもが文字を知る前の神秘的な感性みたいなものに憧れているところがあって、平仮名なんかもあまり積極的に教えていなかったのだけど、彼女は明らかに書きたがっていて。ヒョイとアシストすると面白がる。新しいことを知るスリル。どうやら遊びを覚えるのと同じらしい。興味のあることはどこまでも食いついてくる。そうでないものの前では堂々と鼻くそをほじる。
子どもの、とても原始的、本能的な“学びの欲求”のようなものを日々目の当たりにしています。この経験は、恐らく母親としては得難いもの。

イモムシがチョウになることは知っていたけれど、今正にその羽化の瞬間を見ている、というような感じ。

コロナ騒動と、妊娠とで、社会からかなり遠のき繭玉の中で暮らすような日々ですが。そこで浮き彫りになる小さな宇宙を観察する心を、忘れずに暮らしたい。
日常と創作は必ずどこかで繋がっているから、今を寂しいと思うことは辞めてみようと思います。

色々な角度でいのちと向き合うことになった2020年。
改めて、1日1日大切に過ごして行こうと思う今日この頃なのでした。

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