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『プレリュード―未成の前奏曲集―』ライナーノート(増補)

仲山拓人

『プレリュード―未成の前奏曲集―』ライナーノート

『プレリュード―未成の前奏曲集―』ジャケット表面
『プレリュード―未成の前奏曲集―』ジャケット裏面

夢を追うことは夢から覚めること
夢を叶えることは夢を殺すこと
・・・夢みることは諦めること
眠って見る夢、起きて語る夢
触れずにいれば夢のまま
決して満ちることのない
甘美な呪縛を振り払う覚悟はあるか
嗚呼、目覚めよと呼ぶ声がする

 幼い頃に学校で尋ねられる「将来の夢」というものになんとなく違和感があった。現実的な志は歓迎されず、「大きな夢」を要求されるような空気があった気がする。それでいてその「大きな夢」が叶うことを大人たちが望んでいなかったような気がするのだ。子供の抱く大志に、夢という呪縛をかけて、手の届かないところに遠ざけている。そんなひねくれた考えが頭から離れない。
 「画家になった」と言うと、何故か多くの人たちから「夢が叶っていいね」という言葉をもらう。しかし、いつ私が「画家になる夢」を語ったというのか。絵を描くことは私にとって切実な現実であり、夢であった例はないのだが。もちろん、言った当人に悪気はなく、きっと、どこかで「画家」というのが少なからず現実感のない職業だと思われているのだろう。実際は画家として身を立てるには至っていない、夢見がちな状況なので、言い返せないのが辛いところだが・・・。
 とまあ、流石にこれは大袈裟で偏屈だが、夢に囚われると現実の好機を逃してしまうように思えるのだ。夢と志は似ているようだが、離しておかないと良くない反応を起こしてしまう事があるようだ。

 以上が、2022年11月に東京銀座のミレージャギャラリー様にて開催された展覧会、「夢の入り口展」にて絵画作品とともに掲示した”ライナーノート”です。この記事では、「夢の入り口展」で展示したライナーノート(キャプション)には書ききれなかった解説のようなものを記しておきたいと思います。

 今年も6月頃にミレージャギャラリー様からグループ展のお誘いが届きました。例年6月頃にお誘いを頂いて、11月か12月の展覧会に参加させていただいており、今年もお誘いいただけるのを楽しみにしておりました。余談ですが、気がつけばミレージャギャラリー様での展覧会に参加させていただくのは、今年で10年11回目!10年前は画家になるとは思ってもおりませんでしたし、10年も作品を作り続ける事ができるとも思っておりませんでした。

夢の入り口

 さて、ミレージャギャラリー様からは「夢」に纏わる主題の展覧会にお誘いいただくことが多く、毎回この「夢」をどのように解釈して作品にしようかと知恵を絞っております。「夢」というと、眠ってみる夢もあれば、「将来の夢」などというものもあります。「夢現」という言葉からもわかるように、大雑把に言えば「現実ではないこと」を指す言葉だと言えるでしょうか。
 今回の作品では「将来の夢」を中心に描いています。この「将来の夢」という言葉はなにやら輝かしい前向きな言葉のようにも思えますが、前掲したライナーノートで書いた通り、私はどうにも好きになれない言葉でして・・・。何かを目指すのであれば「夢見る」のではなく、現実の中で日々努力を積み重ねるしかないと思うのです。
 話が前後しましたが、今年は「夢の入口」という主題を頂いた際に、「将来の夢」と「志・目標」の分岐を描こうと思い立ちました。自分の目指すものが、夢の入口をくぐった先にではなく、現実の先にあるのだという作品にしようと。ミレージャギャラリー様からのお誘いが届いたその数日のうちに内容が決まり、『プレリュード―未成の前奏曲集―』という題名まで決まりました。「夢見る」ことは何かを目指すにあたって、その前奏曲にすらならないということで、こんな題名になりました。

夢を追うことは夢から覚めること
夢を叶えることは夢を殺すこと
・・・夢みることは諦めること
眠って見る夢、起きて語る夢
触れずにいれば夢のまま
決して満ちることのない
甘美な呪縛を振り払う覚悟はあるか
嗚呼、目覚めよと呼ぶ声がする

 そして、題名が決まってから数ヶ月かけてこの文章が出来ました。ちなみに私の作品制作は、まずは文章を作り、その文章をもとに絵を描くという手順で、作品としての比重もどちらかというと文章のほうが勝ります。なので、展覧会で絵画作品とともに掲出しているキャプション(今回は気取ってライナーノートとよんでいますが)が主で、絵のほうが従だったりします。
 今回はこの文章をどんな絵に起こすかでずいぶんと悩みましたが、最終的に、満ち欠けする月の姿をした「夢の入口」に、主人公が誘惑され一度はその入口をくぐり、夢に取り込まれていまいますが、最後には目を覚まして現実に戻ってくるという形になりました。主人公の傍らにある望遠鏡は、現実の目標を観る道具のつもりで、主人公が夢を見ている間にも時間が経過し、朽ちてしまいました。目覚めたあとは、望遠鏡を直すところから始めなくてはいけません。

『プレリュード―未成の前奏曲集―』展示風景


 会場では、7インチレコードを模した11個のキャプションに対して絵が10個しかない(キャプションも実は1つは空袋でした)という展示でした。月の姿をした夢の入り口がだんだんと開いて(満ちて)ゆき、また閉じて(欠けて)ゆく。扉が完全に閉じる間際に主人公は目を覚ましたという内容でした。順に並んだ絵の真ん中、空白になった部分は本来なら満月に当たる部分でしたが、この連作において満月の絵は存在しません。夢は満ちることがないのです。夢であるということは実現していないということで、見ている夢は叶わないのです。

目覚めよと呼ぶ声がする

 この作品の末尾の「目覚めよと呼ぶ声がする」という一文は見覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。J.S.バッハのカンタータ第140番Wachet auf, ruft uns die Stimme(BWV140)という楽曲の邦題を借りました。この曲はプロテスタント教会の礼拝で歌われる賛美歌を取り入れた作品ですから、その内容にはプロテスタントの教えに基づく教訓が含まれます。ここでは詳しくは解説しませんが、この賛美歌のもととなっている福音書で示されている教訓を非常に大雑把に紹介すると、救世主の予期せぬ再臨に際して、正しく備えていたものにのみ最後の審判において天国への扉が開かれる、といったもののようです。
 私は信仰を持っておりませんが、目指すものがあるのであれば、常日頃から研鑽を積み、好機が巡ってきたときにそれをものにできるように備えていたいと考えているので、かなりの曲解ではありますが、共感を感じる内容でもあります。一方で、神仏に祈る暇があれば、今手の届くところで現実にできることを考えていきたい、天命を待てるほど人事を尽くしてはいないという私自身への戒めの思いも込めての引用でした。とはいえ、このようなことが言えるのは、私が非常に恵まれているからなのでしょう。だからこそ、私は神仏へのではなく、私を支えてくれている人たちへの感謝をあらたにしたいと思いました。うけたご恩を繋いでいける人間になれるようにと、夢に見るのではなく、現実にできることをしていきたいものです。

遊星レコード

 ところで、「夢の入り口展」のための新作『プレリュード―未成の前奏曲集―』は”遊星レコード”という架空のレーベルからリリースされた、仲山拓人の新譜という体裁で揃えました。この”遊星レコード”というのはもとは私の落書きで、昨年には『遊星レコード』という作品をGalleryハルイト様主催の「星明りが響く夜」というグループ展のために制作しました。日周運動をする星の軌跡をレコード盤の溝に見立てた作品でした。
 

遊星レコードのもととなった落書き。そのままレーベルロゴに使用した。
「星明りが響く夜」向け『遊星レコード』作品カタログより

今回はこれを架空のレコードレーベルということにして、7インチ盤のディスクに見立てた円形の絵と、センターレーベル、ジャケットに見立てたキャプションという構成での展示いたしました。この”ジャケット”も満月の部分に実体がなかったり、”センターレーベル”は回転数の表記が月の満ち欠けの周期になっていたりと、細かいところで遊んだりしています。
 この”遊星レコード”からは今後も”新譜”が出ると思いますので楽しみにしていてくださいね。

 随分と取り留めのない記事になっていまいましたが、展覧会の会場で私が話したり話さなかったりしたことを記録しておきたいと書いてみました。今後は展覧会ごとにこういったものを書いていければと思います。次はもうちょっと早く、そしてしっかりと資料なども揃えて体裁を整えたいところですが・・・。なにか書く度に勉強不足を痛感するばかりです。
 それでは、また次の展覧会でお会いしましょう。

2022.12.31
仲山拓人

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