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私は夫を救えない

昨日は先週分のワークをやっていた。
提案したのは私だけど、夫は自分から「アレやろう」と言うようになった。
頭の中の整理整頓タイム。

ワーク、といっても私自身はテーブルに紙とペンを置いて、椅子に座り、“否定される”とか、“喋るのが怖い”とか、“酒を飲むと楽になる”とか、色々書き連ねる夫の話し相手になるだけだ。

夫は再び上司に批判されただかなんだかで、漆黒の海を泳いでいた。
夫がいつも同じようなことを言うように、私もまたいつもと同じようなことを言う。

私の究極の結論は「鬱なんだから休め」の一択なのだけど、夫の中ではそれは最終手段らしく、そんなことばかり言う私に少し腹を立てたように見えた。
他にも「自分を一番に否定しているのが自分自身だからこそ、そんな出来事しかやってこない(ように見える)んじゃない?」「自分の特性を知って、過去の自分の感情と向き合ってくしかないんだよ」etc.

そんな風に私なりに得た知識で色々と言葉を尽くしても、それを聞く夫の目は虚で、この声が届いている手応えは得られない。
だんだん悲しくなってきて少し私の語気が強くなると、夫はすぐさま拒絶体勢に入り、話を途中で断ち切ろうとする。

今日は何度も席を立ち、髭を剃ったり歯磨きしたり。
その間私はただ、やり切れない心情のまま、黙って席に座っているだけだ。
何か言ってもシェーバーの音や水の流れる音でかき消される。

私はなんだか理不尽だな、と思った。

なんで私はこんなことに付き合っているんだろう、とすら思った。

こちらは家事を中断してこの席に座っているのに。

思えばそう、真夜中に叩き起こされて仕事の愚痴を延々と聞かされていた頃にもこんな気持ちになった(あの頃の方が最悪だったけど)。
夫はこういうとき、始終被害者ポジションで、物事の一点しか見つめていなくて、側で付き合わされる私の時間や感情には目もくれない。

だから私は言った。「理不尽だ」と。

昔の私なら、そのようにぼんやり感じてはいても、言葉までは上がってこなかったように思う。
ちょっと成長したんだな。

言いたいことって、普段、言ってるようで言ってないのかも。
心の奥底に生まれる、形にならない思いを汲み取る作業は、意外と訓練?経験?が必要なのかもしれない(私の場合、母から「角が立つから意見しちゃ駄目よ!」と言われて育ったのも大きいと思うが)。

夫は「じゃあ俺は加害者ってこと?」って応えた。
、、、そう言うことを言いたいんじゃない。
まずは物事を色んな視点から見るようにして欲しい。そう伝えた。

とにかく夫の白黒思考は生きづらさを助長している。

最後、出掛ける夫の背中に向かって「誰もあなたを救ってくれないよ」って言った。「あなたを救うのも、守るのも、あなた自身だよ。答えは外側にはないんだよ、自分の中にあるんだよ。」って。

今日の天気や服装、体調の良し悪し(私ではなく自分の)、会社の人に対して感じが悪かったかどうか、ワクチンを打つべきか否か、その根拠となるデータ、何でもかんでも私に問うてくる夫が悲しい。

自分の感覚を信頼して、自分の頭で考えて、自分の人生を生きて欲しい。

そうだ、私は夫を救えないのだ。

夫を変えようとすることもない(変わってくれることを望んだイタイ過去はある)。

ただ夫が求めるとき、『私のストレスにならない範囲で(これ絶対!)』寄り添うことなら出来ると思う。

それだけ。

私は私をコントロールすることが当面の課題であり、自力で自分の人生を切り開くことが、唯一の目標なのだ。

玄関で何を思ったか、夫が私に言った。
「ありがとね!」


どうか夫も息子も私も、自分で自分の人生を切り開いていけますよう。


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