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部下と上司とエトセトラ③

徒然に一人

 目的達成における所要時間より、それに至る移動時間の方が長かったという体験はないだろうか?
 
 大学時代の友人が個展をやるというので、芳香は休日に葛西臨海公園へやって来た。
 公共施設が休館日になりやすい月曜日である。
 これといった時間指定もなく、前日が遅番勤務で帰りが深夜一時過ぎだったから、お昼頃に起きて家を出たのは15時。
 片道一時間強の道のりを、電車を2つ乗り継いでやって来たわけだが、いざ目的の会場にたどり着いた芳香は困惑した。

 個展と言うから、大きくないにしても一室程の規模を想定していたが、規模というには余りにも小さすぎた。
 それはカフェの一角を借りた、即売会の1サークル分のスペースだった。

 動揺をひた隠し、接客業で培った営業スマイルと祝いの言葉を述べ、用意していた差し入れを渡した。展示された作品を鑑賞して、芳香は店を出た。
 
 個展自体はとても良かった。
 規模が想像より小さかったものの、展示されていた写真はどれも、友人の持ち味を十二分にも表していた。
 
(30分も居なかったな……)

 所詮はカフェの一角を間借りしているわけだから、個展というより、ジャズバーのグランドピアノ程度のものでしかない。
 生憎、夕方で人の入りも多かったから、長居は出来なかった。端から展示をメインで来たのだ。

 店を出ると、日もだいぶ傾いて、辺りもうっすら暗くなり始めている。
 そのまま帰るのも癪で、芳香は公園に入って行った。
 有名な観覧車。残念ながら今日は休業だったが、ライトアップだけは日没になると点灯するようで、ここまで来たなら、ライトアップされた観覧車を見てから帰ろうと思った。

 当然ながら駅へ向かう人がほとんどで、これから公園に入っていくのは芳香だけだった。
 案内図を見る限り、「とりあえずグルっと一周」はとても叶わなさそうなので、メインの大通りを歩いて、東京湾側へ進んでいく。
 段々と暗くなって、観覧車のライトが空に映え始めた。
 海浜公園へ向かう大橋が見えてきた辺りで、急に辺りが異様に赤くなる。

「ジャストタイミングだ」

 丁度、日が沈んでいくのが見えた。
 遮るものが何もない、夕日の光。
 思わず写真に納めたくなったが、今見ている光景そのままを切り取る腕が芳香にはなかった。
 そうしている間に、夕日はみるみる内に彼方へ沈んでいった。

(日が沈むのってこんなに早かったっけ?)

 辺りに人は疎らだ。 
 これから帰る人。ランニングしている人。遠くで弾き語りをしている人。
 あわよくば海浜公園に行こうと思ってここまで来たが、当然のごとく、既に閉鎖されていた。

(今度、最上さんに案内してもらおう)

 そんなことを思いながら、水辺に向けられたベンチに腰をかける。
 行きに駅でホットココアを買ったのは偶然だったが、芳香は自分を褒めたくなった。
 2月に入り、春のような陽気が続いていたが、日が陰ると途端に冷える。特に海辺ともなればそうだ。

 遠くから、歌が聴こえた。弾き語りだろうが、聴く限り、ギターとは違う弦楽器を弾いているようだ。
 曲名は分からない。恐らくオリジナルなのだろう。
 芳香は飲み終えたココアのペットボトルを捨てると、バッグからペンケースよりも一回り小さいポーチを出した。
 中から、黒いペンのようなものを出すと口に咥える。加熱式タバコに分類されるが、ニコチンやタールを含まない電子タバコーーVAPEだ。
 香りと味を楽しむもので一般的なタバコとは別物だが、分かる人にしか分からない。
 これを吸っていることすら、芳香は周りに伝えていないし、外で吸う時は喫煙所を利用する。とはいっても、依存症という程でもないから、外で吸うのは稀だ。
 それでも仕事や原稿、生きづらい世の中に嫌気が差すと、深呼吸の仕方を思い出すように吸うのである。
 

 寮のベランダで吸っているのを、初めて最上に目撃された時のことを思い出して、芳香は噎せた。
「鳩が豆鉄砲を食ったよう」という言葉をそのまま表したような顔で、しばらく凝視していた。

(……あんな顔は後にも先にもあれが最後かな)

 メンソールの煙が気管に入り、咳き込んでいる内に弾き語りの歌も聴こえなくなっていた。
 スマホの液晶を見ると、時刻は17時半。
 空にはまだうっすらとオレンジが残っていたが、いい加減寒くなってきたので芳香はもと来た道を戻った。

 駅が見えて来ると、左手に観覧車の全貌が見えた。
 ダイヤと花の大観覧車という名だけあって、その様は圧巻だった。
 
 先ほどの複雑な虚しさはどこへやら。そもそも虚しさというべきかすら曖昧だったが、芳香は満足げに公園を後にした。

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