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はじめまして、Aチーム社長です〜社交不安ありの起業家でもビジネスできる〜

みなさん、はじめまして。

株式会社Aチームというビジネスマッチング・営業支援の会社を東京に設立して、そこの代表をしています。
noteをはじめるにあたって、取り急ぎ自己紹介を書いておこうと思いまして、パソコンをカタカタ叩いています。

現在は、Web業界・IT業界に特化するビジネスマッチングサービスを展開しておりまして、日々営業活動をしたり、異業種交流会などに参加して、色々な方とお会いしてビジネスの芽を育てています。

タイトルにも記載しましたが、少し社交不安な性格があり、飲み会など人が集まって話したりする場が苦手です。以前は営業やプレゼン、打ち合わせなどもかなり苦手で、打ち合わせ中に自分が話しているわけでもないのに、大量の汗をかくという有り様だったのですが、自身が起業して、自ら営業しなければいけない立場になったことと、場数を踏んだこともあって、今は営業やプレゼンも得意ジャンルとなりました。セミナー等で講師をすることもあるのですが、さすがにこれは未だに苦手意識があります。

簡単に私の経歴を記載したいなと思います。

大学:日本体育大学 体育学部
大学院:青山学院大学大学院 国際マネジメント研究科・MBA
出身:新潟県
生まれ:1976年

大学卒業後に、ITベンチャー企業に就職して、そこで主にWebディレクターを経験。
初めての社会人&未経験だったのですが、大和証券やリクルートなどの大手企業のWebディレクション・メール編集などを任され、大きな自信になったことと、同年代の同僚が多く、服装も自由だったり、同僚と深夜まで会社に籠もって仕事をしたりと、IT業界特有の楽しさも経験できたのがこの頃でした。

2社目は、日産自動車の元子会社で、日産自動車のパンフレットやWebサイト制作をしているという広告代理店に入社。ここでも日産自動車に関わるWebプロデュースやディレクションをやらせていただきました。
この2社目の会社は、1社目のITベンチャーとは真逆で、基本的にスーツ&9時出社みたいな、ザ・サラリーマンの会社。
また、売上のほとんどが日産自動車に頼っていたので、日産自動車の担当者の言うことは、「何が何でもやります!」みたいな体質だったこともあり、自分には合わないなというのと、1社目に就職したITベンチャーのような自由な会社を自分で作りたいという想いが芽生えはじめ、1年弱で退社。

その後に初めての起業で、
有限会社モボモガという会社を設立。

2社目の会社は、社風は合わなかったのですが、仕事自体はしっかりやっていたこともあり、同じ部署の課長から、仕事をいただくことができ、なんとか生活できていたという状況。

ただ、それだけでは、売上が安定しない時期もあり、たまたま受けていたITベンチャー企業の面接で合格してしまい、そのまま入社。このIT起業が入社して1週間後くらいに、当時ホリエモン率いるライブドアに買収され、そのまま私もライブドアの社員となることなりました。
ライブドアでは、Webコンサルタントとして、Webディレクションやプロデュースをしていたのですが、主にクライアント企業を獲得するプレゼンを任されることが多くなってきておりました。

前述したとおり、私自身は社交不安があり、営業とかプレゼンが苦手、人前で話すことも苦手だったのですが、意思が強く、過去にITベンチャー企業を経験していたこともあり、「絶対こうした方が良い、こうした方が良くなる」という想いが人一倍強かったこともあり、その想いがクライアントに響き、コンペで勝てることが多く、プレゼンを任される役割を担ったわけです。

あとは、物事を整理することが得意だったということもあるかもしれません。例えば、このWebサイトの弱みはどこだなとか、世の中的に、こういうことを意識すればSEO対策できるなとか、こういうコンテンツを増やせば、集客に繋がるなとか、単なるWebサイト制作だけではなく、マーケティング全体を網羅することができていたというのも大きかったのかなと今振り返ると思います。

※ホリエモンとは、社長と一社員という関係だったため、ほとんど接点がなく、面白いエピソードが何もないのですが、エレベーターで一緒になったり、急ぎの請求書のハンコをホリエモンに押してもらいにいったりと、その程度の事しか話題がなく…面白話を語れなくてゴメンナサイ…。

そのライブドア時代に、自分の上司と一緒に営業やプレゼンに行くことが多かったのですが、あまりの受注率の高さで、自分たち二人でビジネスできるじゃない!と意気投合。もともと私が設立した有限会社モボモガの登記や代表を変更して、

有限会社SWITCHという会社を二人で設立。
これが私にとって2社目の起業でした(私が副社長という肩書)。

この会社でも、二人でかなり営業をしたり、Webプロデュースやディレクションをして、山本寛斎事務所やバンタン、VOGUE JAPANなどと取引をし、かなりの売上を稼ぐことができたのですが、徐々に社長との意見の違いなどが出てきて、私が役員を辞め、再起業することで合意。

※このときの社長とは、喧嘩別れしたわけではなく、その後も親交を深める仲になっているので念の為補足として…

3社目に有限会社FUCAを設立。※後に株式会社へ

この会社では代表取締役としてEメールマーケティングやWebサイト制作・コンサルティングをメイン事業としていたのですが、徐々に規模も大きくなり、売上高も1億円を超える期もでてくるようになった頃に、自分で大学院でMBAを取得したいという夢を抱くようになりました。

当時、グロービス(ビジネススクールのパイオニア企業)のWebサイトをプロデュースし、グロービス経営大学院のWebサイト制作に関わったことと、その時のグロービスの担当者がMBAを取得したことを知って影響を受けたことを覚えています。

またMBAを取得することで、自分の自信にも繋がるし、会社がWeb分野だけではなく、コンサルティングという役割もあったので、会社が一回り大きくするためにもという考えもありました。

ビジネススクール専門の予備校にも通った甲斐があってか、当時自宅から近かった青山学院大学大学院に合格し入学。
日中は自身の会社の経営者、夜と土曜日に大学院に通うという経営と学問の二刀流生活に。

大学院で学んだことは、ビジネスの座学だけではなく、4〜5人のチームで議論して、プレゼンをするようなより実績的なグループワーク。チームでの取り組みは、チームならではの強みと弱み、また個人でやった方が早い・良いものができるという両方を学べたと思っています。

チームだと同級生という上下関係のない人と議論をして、自分の意見を通していくことの難しさを痛感したと同時に、チームの方がよりスケールの大きい考え方ができる場合もあるな…(チームの人に寄る部分が大きい)と感じたというのが率直な意見です。

この大学院生活では、同級生が大手企業の優秀なビジネスマンもしくは会社の経営者などが多く、またグローバルにビジネス展開している方もいて、すごく刺激を受けたことを覚えています。
あまりに周りが活発過ぎて、自身の会社はこのままでは乗り遅れる、もっと新しいことにチャレンジしなければ…という想いに駆られるようになりました。

その時にお声がけいただいたのが、当時より取引のあった上場企業のEメール配信企業でした。
そこの会社と一緒にならないかというお誘いです。
大学院での刺激もあって、よりステップアップするためには、自分一人の力では難しいなと考えたことと、私自身が海外にもチャレンジしたいという想いがあり、自身の会社を売却することを決定し、無事売却することができました。※当時はそのまま代表取締役のまま

また、大学院の単位をすべて取得後、そのまま卒業せず、

アメリカのニューヨークに留学することを決意しました。これは自身が海外にチャレンジしたかったことと、英語に苦手意識があったこともあって、海外留学に至ったわけです。

ニューヨークでは当初、英語もほぼ話せない状況で、英会話学校に通っていたのですが、何よりも刺激的だったのが、ニューヨークという街です。日本は基本的に日本人しかいない(当たり前なのですが…)のですが、ニューヨークでは、様々な国から多種多様な人々が集まっています。人種も関係なく、人々が行き交う街が自身にはすごく相性が良かった、居心地が良かったことを記憶しています。

また、ニューヨークは多種多様な人種がいるので、いわゆる日本のように、空気を読むみたいな文化がなく、私の社交不安な性格も出現することなく、たくさんの国の人とコミュニケーションできたことは刺激的でした。英語が初心者でしたが、英語でよく話すね!と言われたこともあるくらいでした。

1年間ニューヨークで過ごして、ある程度英語が話せるようなった頃(当時TOEIC 875点/今はほとんど話せないですが…)に、日本に帰国。

それと同時に、自身が代表を務める株式会社FUCAを辞任し、
青山学院大学大学院を卒業しました。

※株式会社FUCAでは、約10年代表として務めたのですが、代理店との上手な付き合い方や、会社を大きくすることの難しさ、出口戦略の方法などを学べたと感じています。

その後、4社目となる
株式会社T-TIMEを設立。

当初、株式会社T-TIMEでは、LIVE from New Yorkというニューヨークの情報発信をするオウンドメディア会社として設立しました。
このオウンドメディアを立ち上げたはいいものの、思うようにPVを稼げず、1年程で閉鎖することを決意。
その後は、Webサイト制作やマーケティング、コンサルティングなどの業務を請け負ってきたのですが、Web制作会社を経験する中で、サイト制作の価格の不条理(お金を持っている企業からは高い費用をとり、お金を持っていない企業には安い費用を提示)に疑念を持ち、

デザイン依頼し放題 定額サービス『チームD』
というサービスを開始。

デザイン依頼し放題のサブスクリプションということもあって、数十社からの契約をいただいたのですが、契約以上に社員を雇いすぎてしまったこと、また最初に立ち上げたオウンドメディアの負債が響いたことで、会社設立7年で会社を解散することになりました。

株式会社T-TIMEでは、最初の投資額が大きく、最後までその負債を解消できなかったことで、いかにスモールスタートを大切にするかということを学んだと思っています。
また、時代の流行りに乗ったオウンドメディアは、レッドオーシャンとなっており、ここでの参入も失敗の大きな原因でした。

ただし、デザイン依頼し放題サービスのような、クライアントに提案しやすいビジネスは、かなり受け入れられるし、やり方次第ではあるが、細く長くビジネスをしていくことは可能なのかなとヒントを得た一面もありました。

その後、起業5社目となる現在の
株式会社Aチームを設立。
https://www.ateam55.com/ateam.html

東京都港区南青山に本社を置き、ビジネスマッチングサービスを展開しています。
本社を南青山に置いたのは、過去に通っていた青山学院大学大学院が南青山にあり、馴染み深いということと、一番精力的に勉学とビジネスをやっていたのが、この南青山だったので、その経緯からもここに拠点を置くことにしました。

また今は、とにかく長く継続的にビジネスができればと考えているのが率直な想い。
将来的には、色々とチャレンジしたいことが増えてくるかもしれません。

自身がWeb業界・IT業界にいたこともあり、この業界の大変さや、社長の営業面の苦しみもわかっています。

大きなプロジェクトがあっても、納品してしまえば、また新たな販路を開拓しないといけないという繰り返し。
小さい企業であれば、なおさら、営業を社長自身がやっているところも多いのはないでしょうか?(私もそうでしたが…)

また、私自身がWeb制作会社を経営していたときに、色々な相見積もりサイトや営業支援サービス、クラウドソーシンなどを試している中で、最適なもの、小さい規模でビジネスをやっている会社に優しい料金設定のサービスがなかったこともあり、それなら自分で作ってみようという想いがありました。

Web制作会社・IT企業が少しでも楽ができたり、余裕をもって営業活動ができるようにと、
ビジネスマッチングサービス Aチームを作りました。

Aチームは、特攻野郎Aチームという映画もありますが、まずは、私達が先人を切って、お客様を開拓します。
まさに特攻野郎の役割ですね。

その後は、Web制作会社・IT企業にお任せすることになってしまいますが、最初の突破口を開く開拓者として、Aチームを活用いただければと想います。

長くなってしまいましたが、今後も自分なりのビジネスの方法や戦略、学んだことなどを発信していきますので、よろしくお願いいたします。

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