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煙のように追いやられて生きる。映画「ヤクザと家族 The Family」

『ヤクザと家族 The Family』 2021年公開


こちらは映画『ヤクザと家族』のエンディング曲、millenium paradeのFAMILIAです。MVも映画と同じく藤井監督作品。映画のレビューですが、いきなり曲から紹介します。なぜならこのMVを見るところまでが『ヤクザと家族』だから。

『ヤクザと家族』は、ヤクザという”ツール”を通して、家族や社会について描いた映画です。劇中で何度も印象的に使われる煙突と煙。藤井監督は、今回「煙」をメタファーとしたかったそう。居場所のない人間はこの社会でまるで煙のような存在。タバコがどんどん分煙化され、排除されてきたように、煙たがられて社会の隅に追いやられていく。社会からおいてけぼりになってしまった人々はどう生きていくのか。どう居場所を見つけるのか。

◎『ヤクザと家族』は「あなたとわたし」

初めは、理解はできるけれど正直どう共感したらいいかわかりませんでした。ヤクザという縁遠い世界を生きる主人公の物語。でもこれに共感できないということはすなわち、自分はとても恵まれた環境で、恵まれた人生を送っている、という事です。家族と社会での居場所がという”安全地帯”で生かされてきた。だからこそ、そんな”安全地帯”が無い人の存在や人生に目を向ける瞬間は必要です。

藤井監督はインタビューでこう語っています。

「言葉にならないものや、社会のモヤモヤを掬ってあげたかった。過ちは消えないが、過ちを犯した人間が二度と幸せになってはいけないのか。」

「『ヤクザと家族』は、「あなたと私」くらいの感覚。決して他人の話ではない。1つの社会に、みんなが生きている。」

この言葉を聞いて、やっとこの映画に込められたメッセージが沁みました。テーマは悲しく重いですが、作品全体を包む雰囲気が何とも言えず崇高なのです。誰もいない教会に足を踏み入れた時の、あの荘厳な空気に似ています。物言わぬ十字架と、人々が捧げてきた数えきれない祈りの静かな残響。日々の喧騒の中では忘れていた自分の罪を、突きつけてくるあの静寂。

”見ようとしていないだけで、主人公の山本のような存在は確かに社会にいるんだよ。君たちが生きる、この同じ社会にねー。”

見て見ぬふりをして生きる事が罪だとしたら、この映画はそんな罪を静かに突きつけているのかもしれません。

◎血縁だけが家族じゃない。居場所を探す人におくるレクイエム

見終わった後にこの世界観にどっぷりはまってしまい、無性にもう一度見たくなりました。MVも映画の一部として繋がっており、映画を見た人ならMVのメッセージがわかり、また泣けます。ロケ地を調べると、静岡県沼津市や静岡市、富士市で撮影されているんですね。静岡には何度か行きましたが、あの澄んだ空気をひと吸いするたびに心が洗われるようでした。

綾野剛さんがインタビューで答えていた、「血が繋がっていなかったら、家族になっちゃだめなんですか」という言葉がぐっときました。血の繋がりがあっても機能不全の家族がある=血縁が無くても家族になれるはず。私はこの方程式を信じたいです。この公式が証明されれば、救われる人が山ほどいるはずだから。

語りたい事は山ほどありますがこの辺にしておきます。藤井監督作品は、映画「新聞記者」がとても良くてそれからずっとファンです。そして綾野剛さんは、やはり眉間にしわを寄せた切な顔が良く似合う。抗う事の出来ない運命を背負って生きる男性の役は、彼以外できないのでは。

まるでレクイエムのような、美しい映画です。必ずMVも含めて、一緒に観て下さい。沁みます。