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振り返れば、二拠点生活の「さきがけ」であった。

新しい生き方、キャリアにはチャレンジしたいと思っており、2007年にフリーランスとなり、キャリアコンサルタントとなり、そして2009年に伊豆高原に移住する、かつ自分の選択ではなく、当時結婚予定だった相手の転職を機に。

「妻」としてのキャリア、夫が転勤や転職になったときでも、変わらず仕事をし続けられるのか?かつ、地方都市ではなく、自然たくさんの観光地に移住しても仕事し続けられるのか?というチャレンジを選択しました。

当時はまだ今ほど、オンライン化されていなかったので、東京と伊豆高原の片道2時間を頻繁に行き来することになります。

今から思うと、若かったので、怖さよりも、楽しさの方がうわまわっていたように思います。この後に、あまりにも簡単に決めたことを後悔するくらいに大変な時期もあるのですがw

なので、決して優雅に二拠点生活を楽しもう!と地域に移住したわけではないのであります。

地域で仕事をつくるということ

当たり前ですが誰も知り合いがいない中で移住しましたし、当時は、まだFacebookやTwitterなどのSNSも地域では広がっておらず、情報収集ですら苦戦しました。「伊豆高原 ブログ」などで検索しながら、地域に住んでいる人たちとつながれないかなと探したり。

東京で仕事をすればいいので、地域で仕事をする必要はなかったのですが、さすがに日中、誰ともつながれない不安が増して、アル中のような状態になり、アルバイト先を探したのが最初の一歩でした。

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