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気づける人

気遣いという言葉がある。この言葉には、「あれこれと気をつかうこと。心づかい。」という意味がある。

気遣いのできる人は、周りからも良く評価される傾向にあるだろう。気遣いというのは、それ自体とても良い行為だと、私も思う。しかし、ここでは、気遣いに気付くことに注目してみたい。

気遣いをすることよりも、気遣いに気付くことのほうが難しいのではないか。そんなふうに、私は思う。これまでの経験を振り返ってみて、気付かぬ内にあれこれとしてもらっていたということも少なくないのではないだろうか。後になって「あれは気遣いだった」と気づけることもあれば、まだ気づいていないようなものもあると思う。

また、ゆとりのある状況でないと、気遣いにも気づきにくいだろう。ゆとりが視野の広さをもたらすはずだからだ。

気遣いに気づけるということは、「私は誰かに支えられている」という意識を、どこかしらで抱いているのではないか。気遣いに気づけるというのは、一種の幸福だろう。そういう意味で、気遣いに気づける人というのは、小さな幸せをたくさん見つけられている。それはつまり、幸福度の高い生活を送れているのではないかと思う。

気遣いに気づける人もまた、気遣いのできる人である。

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