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南海トラフ地震臨時情報

8月8日に日向灘を震源とする大きな地震が発生した。これにより、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震に注意)が発出された。

地震発生、それからこの臨時情報が発出された時、私は業務中だった。正直、地震が起きた段階では、いつもの地震だろうと思っていた。こんなに大事になるとは思ってもいなかったのである。しかし、臨時情報が出された時から、業務中にもかかわらず地震関連の情報収集を止めることはできなかった。幼少期から東海地震、南海トラフが「必ず来る」と言われて育ってきた。そのため、「遂にこのときが来てしまったのか…」という感想を抱いた。

そして、翌8月9日の夜には、神奈川県西部で大きな地震が発生した。私のスマホを含め、周りにいた人のスマホからも地震発生を知らせる警報音が鳴り響いた。警報音が鳴ってから揺れが来るまで、わずかな時間だっただろう。そのわずかな時間に、「これから大変なことになるな」という考えがよぎった。幸い、この地震と8日の地震との直接的な関連は指摘されていないようだ。

相次ぐ地震と臨時情報を受けて、改めて災害への備えを確認した。我が家では1週間程度を凌ぐための水と食料を確保している。また、懐中電灯とある程度の電池もストックしている。また、大きな家具の転倒防止ストッパーも、たまたま今月初旬までに用意していた。それを急ぎ設置した。これで少なくとも住んでいる建物が倒壊しない限り、住宅で死ぬことは避けられるだろうし、被災から1週間程度は自力で凌げるのではないかと思っている。

私の備えは、少なくとも平均よりは充実したものだろう。なぜ、この程度の備蓄を構築するようになったのか。私が一人暮らしであることが大きい。一人暮らしをしている以上、自分の身は自分で守るしかない。近くに日常的に関わりがあったり、気にかけたりしてくれるような人はいない。また、被災時、公的支援を受けられるようになるまでには、どうしても一定の日数が必要になる。よく言われるのが、1週間分は公的支援がなくても生き延びられるようにするというものである。そこで、少なくともこの1週間を生き延びるために、普段の買い物の際、徐々に備蓄品を購入していったのである。

ちなみに、備蓄品は災害時に備えるものだが、食べ物である以上、賞味期限がある。そのため、日常生活の中でも自炊が面倒な時などに消費することで、少しずつ備蓄品の古いものから更新していっている。備蓄品は賞味期限の古い順に並べて、古いものから手に取りやすいようにしている。

報道によれば、地域によっては臨時情報の発出を受け、多くの人がスーパーなどに押し寄せている。そのため、防災関連の棚が空になったところもあるという。これに対して、批判的な論調もある。地震の発生リスクが高い地域なのだから、事前に用意しておけ、という批判である。ただ、私はこの批判に同調することはできない。確かに、リスクが高いことは従前からわかっていたことであり、事前に備えを進めておくべきだっただろう。しかし、その準備をしていなくても、今回の臨時情報を受けて、なんとか備えをしようという姿勢は悪いことではないだろう。これを機に、しっかり備蓄をしようと考える世帯も、少しは増えるかもしれない。

最も良いのは、日頃からしっかりと準備をしておくこと。次に良いのは、危険が高まってからであっても、事前に準備をしようとすること。そして、避けるべきは、結局何もせずに被災することである。

今回の臨時情報を受けても、この国は平静を保っている。大きな混乱が生じていないことには驚いてもいる。しかし、なぜ平静を保てているのだろうか。備えをしっかりしている人々がそんなに多数であるとは思えない。そうなると、今回の事態を単に他人事と捉えたり、そもそも関心を持っていなかったりするのではないだろうか。無関心から来る平静ではないことを祈るほかない。

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