見出し画像

感情移入とは感情の放出でもあるのだ

書誌情報
イヴァン・ジャブロンカ著、真野倫平訳『歴史家と少女殺人事件』名古屋大学出版会、2020年。

本書は、2011年にフランスで起きた少女殺人事件を対象としている。殺された少女レティシアに注目するだけでなく、彼女や彼女を取り巻く人たちの生い立ちなどにも着目する。筆者によれば、当時盛んに取り上げられたこの事件についての記述の中で、他のものとは異なる点である。

このような複眼的な視点を持って事件の背景などを再構成していくことで、レティシア個人から、フランス社会が抱えている様々な問題を描き出している。

一方で、そのようなスタンスをとっているために、多くの人名が登場する。それらについての説明が十分なされているとは言えず、特に本書の前半では、誰がどのような役職、立場なのかを把握しにくくなっているという弊害は抱えているように思われる。

本書の構成もやや複雑である。時系列が直線的ではなく、行ったり来たりを目まぐるしく繰り返すのである。このような構成に慣れるまで、なかなか読むのがしんどいかもしれない。

私の能力ではやや難易度の高い本であるためか、ネガティブなことばかりを書いてしまった。しかし本書は、社会的には高く評価もされているので、訳者あとがきを基に、ポジティブな見方も記しておきたい。

①被害者である双子姉妹の誕生から事件に至るまでの物語、②事件発覚以後の捜査と裁判の経過。①と②が並行して語られていく。その合間に、③著者自身による調査の過程を断片的に挿入している。終盤では、④操作によって再構成された殺害の状況があらためて提示される。

本書はこのような構成になっており、これにより事件が重層的に浮かび上がるようになるという。

最後に、本書のなかで疑問に感じた点を1点、述べておきたい。

当局が、被害者レティシアの遺体捜索を進めていた時のことである。捜索の結果、レティシアの遺体が遺棄された可能性のある場所が明らかとなる。捜査当局は現場に向かい、周辺に規制線を設定する。しかし、メディアはその規制線を何とか越えようと試みる。その際、地元住民に抜け道を案内してもらったり、上空からの撮影をしたりしている。

日本でこのような取材を行えば、マスコミの過剰な取材姿勢として、確実に、激しい非難の対象となっているはずである。しかし、本書の記述からはそのような非難が起こったとは述べられていなかった。当然、日本とフランスではメディアというものの存在に対する認識・価値観には違いがあり、それゆえ、マスコミによるこのような姿勢は問題視されないのかもしれない。

では、実際のところ、フランス社会におけるマスコミはどのような存在なのか。人々はマスコミをどのように認識・評価しているのか、疑問に思った次第である。


サポートしていただいた場合、書籍の購入にあてさせていただきます。