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わたしのもとに”たどり着いた”モノ



実家で自室の大掃除をした。

高校を卒業して家を出たままになっていたので、小学校から高校までの堆積物が全て埃をかぶりながら私を待っていた。

小学校の時に集めた大量のメモ帳、ぬいぐるみたち、きらりん☆レボリューションの自由帳。
中学の時に友達と毎授業ごと交換していた手紙、リラックマのプロフ帳、プリクラ。
高校の時に部活の友達からもらった誕生日祝いのボード、受験の参考書、修学旅行先で買ったキーホルダー。

部屋中をひっくり返すかのように掃除をし、飽きたら音楽やラジオを聞いて、また掃除…。3日かけて何とかVS大掃除に勝利のゴングが鳴った。

新しく配置しなおされた部屋中の私物を眺めながら、以前、美術館でとある美術批評家のコレクションの展示を見たことを思い出した。
そこの解説に書かれていた「瀧口氏のもとに”たどり着いた”モノたち」という文章。

なんて面白い表現なのだろうと強く心惹かれた。

人間が好んでモノを手に取り保存していたのではなく、モノたちが意思を持って自らその人の所を目指し、たどり着いたのだという。

解説を読んだ後、改めて展示されたコレクションに目を向けると、その”たどり着いた”モノたちがどこか誇らしげに並んでいるように見えた。

今回、わたしが残したモノの中にも「数年後には処分してしまうモノ」と「いつまでも取っておくモノ」が混在している。

恣意的に処分しているようで、モノたちの意志で離れていったり残り続けたりしているのかもしれないし、掃除という一種の試練をモノたちが乗り越えてきているのかもしれない。

最終的にわたしのもとに”たどり着き続けた”モノは何だろう。
意外と、きらりん☆レボリューションの自由帳だったりするのかもしれない。


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