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「たりなさ」と生きる

「明日のたりないふたり」という漫才ライブを見た。

12年前に始まったオードリーの若林さんと南海キャンディーズの山里さんのユニットコンビ「たりないふたり」。社交性や恋愛経験、あらゆることの「たりなさ」を漫才に昇華し、多くの人がそれに共感し、楽しんできた。

しかし私はこれまで、本当につい最近までお笑いやテレビに興味がなく、縁遠い生活を送ってきた。「たりないふたり」という番組があったことなんて半年前まで知らなかったし、12年の歴史をずっと追ってきたファンでも、お笑い好きでもなかった。
にも拘わらず、自分でもびっくりするくらい「明日のたりないふたり」というライブで散々笑って、散々泣いて、とてつもないほどの力をもらった。

1時間半のライブ。「たりてる」と「たりない」の狭間でもがき苦しむふたりと自分の就活が重なった。
就活は幸運なことに早い時期に終わった。そこそこ安定しており、それなりにやりがいを感じながら働けるであろう企業への就職。世間一般から見たら「たりてる」就活だろう。だけど、就活を終えた時に感じたのは達成感などではなく、何とも言えないうやむやな気持ちだった。

就活でいくつももらった不採用通知はあまりにも容赦なく私の心のHPを削った。高校生の時から大切にしてきた夢は、挑戦の余地も与えられず無慈悲に一瞬で潰された。高望みだとわかっていながらも憧れに動かされて目指した夢も、かけた時間や想いなどはなから存在しなかったかのように、あっさりと消されてしまった。

人生は自分が望んだ通りには進まない。なんとか理想と現実に折り合いをつけて、人生には妥協が必要だ、と飲み込んで生きていくことが望ましいのだと思っていた。

でも「明日のたりないふたり」のライブを見て思った。
自分が心の底から望むもの、たりなさには目をつむって、自分を受け入れてくれる場所で、「たりてる」側になれた気になって生きていこうとしているのではないかと。

今の段階では、運が、才能が、実力が、適正が、たりないと判断された。だけど、たりないと言われたからといってその道が永遠に閉ざされたわけではないし、自ら閉ざしていいものでもない。「たりてる」側に行くために、本心を捨ててしまってはいけない。

もちろん惰性でなくきちんとその仕事に向き合って働いて、その道を正解にしていきたいと思う。だけどそれと同時に、自分がいま胸に抱えているもの、大切にしているものに蓋をして、見ないふりをして生きていきたくないとも思う。

ライブの後半で、若林さんが言っていた「それを見た、まだ無名の客席の明日のたりないふたりがまた別の門を作って、さらにまた、まだ無名の明日のたりないふたりへと受け継がれていく。そういう、ほとんど生まれてきた意味を掴み取るような、そんな素晴らしいことしか起きない。」という言葉が忘れられない。

自分の本心に蓋をして「たりてる」風に生きるのではなく、自分のたりなさを受け入れてもがいていく先にはちゃんと光がある。そう言われた気がした。


私はこれからも自分のあらゆるたりなさに打ちのめされて生きていくのだろう。だけど、そのたりなさから目を逸らすことなく、むしろそれを力に変え「明日のたりないふたり」になりたい。


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