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変わるものと変わらないもの

慣れ切った普段の日常から何か変わるものがあるのなら、隣には変わらないものがある方がいい。

土手の桜が散って緑の葉っぱを纏ったとしても、毎朝6時にそこを散歩するおじいさんと犬は変わらない光景を見るとなんだか嬉しい。目まぐるしく変わる毎日を焦って追いかけなくてもいいのだと思える。

そうやって自分を取り巻くものが変わる時、変わらないものが1つでもあると、存外心の平穏に繋がる。自ら変わっていくのか、変わらされていっているのかはわからないけれど、その中で1つだけでいいから「わたしはわたしなのだ」と足元を照らしてくれるライトは必要だと思う。

私は今年の春、大学を卒業し社会人になる。
生活習慣も自分の社会的立ち位置も大きな変化を迎える。住む場所、出会う人、見る景色が変わること、それらに慣れるまでの時間を想像すると易々と不安は心を覆ってきた。
けれど、そんな変化まみれの日常の中にある変わらないものとして「ラジオを聞くこと」そして「月曜日の深夜に菅田将暉のオールナイトニッポンを聞くこと」があると当然のように思っていた。

しかし、2022年の3月を持って「菅田将暉のオールナイトニッポン」が終了することが発表された。

リアルタイムで聞いていたリスナーたちの驚きと寂しさがTwitterに溢れ、私自身も終わってしまうことへの寂しさと動揺、ここまで続けてきてくれたことへの感謝の気持ちが入り混じり、垂れ流していた涙に気づかぬままぐわんぐわんする頭で菅田さんの言葉を聞き続けた。

私が初めて出会ったラジオ番組が「菅田将暉のオールナイトニッポン」だった。

これまでずっとテレビやエンタメに疎かった私が菅田さんに持っていたイメージは「人気のイケメン俳優」程度で、テレビの向こう側にいる人は自分とは遠く離れていて、同時に体温のない存在のように感じていた。

だからこそ初めてラジオで菅田さんのトークや笑い声を聞いた時には、モノクロ映画に急に色がついたような衝撃を受けた。もちろんラジオを聞く前と変わらず遠く離れている存在ではあるのに、感じるはずのない体温を感じたことをよく覚えている。

初めてメールが読まれたのもこのラジオ番組だった。バイトで疲れてベットに倒れこんだ私の耳にどこかで聞いたことのあるラジオネームとメール内容が飛び込んできた時、笑えるくらい疲れは一瞬で飛び去った。

正直、色々なラジオ番組を聞くようになってから菅田将暉ANNは後回しになり、毎回タイムフリー聴取期間ギリギリに聞くようになっていた。
それでも、このラジオをきっかけにラジオの魅力、そこから広がっていく世界の面白さを知っていったからこそ、原点であり、日常の軸の一つでもあるこの番組を聞き逃すことはなかった。

そんな思い入れの強すぎるラジオ。

「終了」という言葉を聞いた時、菅田さんの背中が濃い霧の中に消えていくような感覚があった。全く話したことも会ったこともないのに、友人が去る寂しさを感じた。

2022年になり深夜1時に菅田将暉ANNを聞き始める度に、番組が終わってしまうことへの寂しさが募る。

4月以降、毎週生の声を聞くことがなくなり、たまにテレビで菅田さんの姿を見る程度になると、今まで感じていた「縁」や「親近感」のようなものは少しずつ遠ざかっていくだろう。

私の生活も変わり、菅田将暉ANNも終了という変化を迎える。

それでも、私は「ラジオを聞く」ということはきっと変わらないし、菅田さんも俳優として生き続け、たまに検尿カップをトイレに詰まらせて大金を払ったり、1人でボウリングに行ったりする、エピソードトークに持ってこいな日常は変わらないだろう。


一見、変わってしまうように見えるものの中にも変わらないものはたくさんある。

なぜなら、全ては何かの「名残」であるのだから。

「菅田将暉のオールナイトニッポン」に出会えて、本当によかった。
ありがとうございました。

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