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受験に失敗したキミへ        今がつらいアナタへ

今日は現実世界寄りのストーリーを書きたい。
それも、『受験に失敗して、もう生きていることが辛くてしかたない』
というキミへ宛てて書く。
『受験じゃないけど、今いきているのが辛い』
というアナタにも、読んでいただけたら幸いです。

長たらしい人生談になるかもしれないけれど、
暇があるときにお付き合いいただけると嬉しい。


私が高校生だった20年近く前、
初めての彼氏と別れた。
しかも、私の方が彼を好きで、猛烈にアタックして
やっとお付き合いできた彼氏だったのに
たった数か月で私のほうが飽きてしまい、捨てたのだ。
今思うと、彼には土下座して謝りたいくらいひどい別れ方をしたのだが
当時の私は まるで悲劇のヒロインで
『私、男なんかに頼らなくても生きていけるようにならなきゃ!
 そうだ、医者になれば、一人で働いて十分食っていける!』
と思いつき、高校2年生あたりから、突如医学部を目指し始めた。
彼氏と別れたというだけの理由で医者を目指すのが そもそも浅はかだが
高校2年から医学部を目指しはじめて、受かろうと思っていたのも
なんとも短絡的で、まったくお恥ずかしい。
とはいえ、当時の私は、小さな町の小さな高校の中で
成績は常にトップレベルだった。
私が医学部を目指すと言い出すと、先生たちは、あれよあれよという間に
医学部合格へ向けた戦略を練ってくれた。
私はそんな、先生たちが敷いてくれたレールを、疑いもせずに走りつづけ
高校3年の医学部受験の日まで、黙々と勉強しつづけた。
振り返って思うと、私が医学部を目指すと言い出したときに
本当に医者になりたいのか、もっとよく考えろ、と
そもそもの土台となる動機を疑ってくれる先生が
一人でもいてくれたら
私はこんな浅はかな理由で医学部を受験することもなく
今は違った人生を送っていたかもしれない。
しかし、当時の私の置かれていた状況はというと
小さな、ろくに医者も定住していないような町だったので
そこから医学部に行く生徒が輩出されて
立派に故郷に戻ってきて医者として働いてくれれば
こんなに素晴らしいことはない、
という 大人たちの理想というお神輿にヒョイと乗せられたお稚児さんで
自分の短絡的な動機を問いただすこともせず
ただ、周りの熱意にのぼせて、お神輿から降りられなくなっていた。

私は、前述のように、小さな高校の中で、成績も態度もよかったので
素晴らしい内申書を手に入れることができ
推薦入試をとりあえず受けてみることになった。
ご存じのとおり推薦入試は
そのあとに行われる前期・後期入試より受験科目数も少なく
どちらかというと、テストの結果よりも
面接で人柄を見て合否をつけるものだった。
厳しい両親のもとで育ち、
「お嫁にもらうなら、あの子みたいな子にしなさいね」
と周囲の男の子の親たちからささやかれるような
大人ウケの良い優等生だった私は
面接でも大きな失敗はせず
「ゆくゆくは故郷の町へもどって、医者として恩返ししたい」
とかいうご立派なセリフを並べ立てて
おそらく面接官からの評価も高かったことだろう。

推薦入試の日から何週間か後
私の家に、A4サイズの封筒が届いた。
ドキドキしながら、すぐに封を切ろうとしたら
「ちょっと待ちなさい!」と母に封筒を取られ
神棚に乗せられて、最後の神頼みをされた。
そしてやっと封をきると、
中には合格通知が入っていた。
それ見て、嬉しい!とか、やったー!という気持ちよりも
あぁ・・・受かったのか・・・
と、なんだかついに、
止まらない特急列車に乗ってしまったような、
取り返しのつかない気分になったのを覚えている。
両親はもちろん、学校の先生たちも、
本当に喜んで、皆大興奮で私を迎えてくれた。
その中で一人、私は、冷静というか、何も感じていなかった気がする。

4月になり、無事に医学部へ入学した。桜が満開だった。
意外にも男女比は半々で、
そして現役で合格した人の割合も、ほぼ半数くらいだったと思う。
すぐに大学の授業が始まったが、
私が高校でカスリもしていないような高度な内容の授業を
いきなり展開されて
私は本当にショックを受けた。
でも周りの皆は、当然のようにその授業を理解できていて
私はいったい、どうしたらいいのか、
だれに助けを求めたらいいのか、
全くわからず
結果、医学部進学から数か月後には
家に引きこもって、不登校になっていた。
幼稚園から高校までメンバーが変わらないような狭い町だったので
新しい友達の作り方もわからず、
独りぼっちで、大学から完全に逃げ、
現実と向き合うことから逃げた。
最初はそれでも楽しかった。
ただ、そうして数か月 逃げ続けていると
もう完全に大学に戻れなくなり、
私は後にも先にも、動けなくなった。

私の家庭は決して裕福ではなかったので、
奨学金を借りて進学した。
町中の期待を背負って華々しく医学部デビューしたのに
冬がくる前には、完全な落伍者になっていた。
あんなに皆に応援してもらって、喜ばれて進学したのに、
奨学金も、苦労して やっともらえたのに。
もう、私にはどうすることもできないと思った。
大学に戻る場所はない。地元にも戻る場所はない。どこにも帰れない。
もう死んでしまおう、それしか選択肢はないな、と思った。
どうやって死んだら楽なんだろう。迷惑が一番少ない方法はどれだろう。
そんなことで悩んだ。
学校に行っていないことが親にばれて、
親から毎日FAXで手紙が送られてきた。
医学部に行ける人がいかに幸運か。
医者になりたくてもなれない人もいるのだ。
せっかく医学部に入らせてもらえたのだから、その道で頑張るべきだ。
そんな内容の激励が、毎日毎日送られてきた。
私はますます追い詰められ、死ぬ以外に解決方法がないように思った。

そんなある冬の夜、私は突然、猛烈な痛みに襲われた。
腹部が激しく痛み、どうしよう、救急車を呼ばなきゃ、と思った。
でも、一人暮らしの私は、救急車を呼ぶべきか判断できず、
ただ悶絶しながら、部屋の片隅で丸まって
痛みが去るのを願うのが精いっぱいだった。
とめどなく襲ってくる痛みと、孤独の恐怖と戦いつつ、
姉に電話したんだったっけ。(こんな状況でも親は頼れなかった)
ともかく家族に連絡がつき、翌日、遠くに住む母が飛んできてくれた。
夜が明けるまでの間、断続的に血便が続き、
一応医者を目指していた(いや、ろくに授業出てないけど)私は
痛みに耐えながらも血便を自ら採取し、
翌朝大学病院での検査に持参した。
腸をくまなくスコープし、出血の跡は確認されたものの
便からは菌なども検出されず
結局なにが原因であんなに出血したのか、わからないままだった。
そういうとき、たいてい「ストレス性の出血」と診断される。
朝には痛みは引いていたのだが
あわてて飛んできた母は、私のやつれた様子を実際に目の当たりにして
やっと、
この子に 医学部に行けと言い続けても、もう無理なんだな
と、わかってくれたらしい。
「医者にならなくても、あなたが生きていてくれたほうがいい」
と言って、私が大学を退学することを 許してくれた。

その後、家族内で会議が行われ、
そんなに体壊すほどストレスで、悩んでいたのはわかったけども
そうはいっても医学部。
なかなか入れるものではない。
せっかく入ったのだから、いきなり退学なんてことはせず
いったん、休学にしておいて、
あとから落ち着いて、どうするか考えよう。
ということになった。
はっきりいって、私は復学する気は更々なかったので
退学だろうが休学だろうが、変わりはなかったのだが
私の意思よりも家族の総意により、休学ということになった。
そんなこんなで、私はそれまでの人生で 最大の挫折を経験した。

その後私は親元に戻り
何がやりたいのかを模索した。
結果的に、私はもともと英語が好きだったので
語学を学べる大学へ 入りなおすということにした。
英語を学ぶのはいいが、それで将来は何の職に就けるんだ?と
親には渋い顔をされたけれど
この子は無理が効かない子なんだ、と
ストレス性出血の事件で、親もあきらめたのだろう。
しぶしぶながらも、別の大学への進学を許してくれた。
医学部受験に比べれば、文系の大学への受験なんて
楽なもんだった。(文系のみなさんへの攻撃ではありません)
そうして無事に大学に入り直し、
また一人暮らしを始めた。
ありがたいことに、今度の大学では、気の合う友人に恵まれ
現役で入学してきた同期生より 2歳年齢が上になってしまった私でも
すんなり溶け込むことができて
毎日楽しく、自分の好きな語学へ打ち込むことができた。
まぁ、大学生活中も、恋多き私は
ひと悶着も ふた悶着もあったし
大学卒業後もまた、平坦な人生ではなかったのだけども
そのストーリーはまた別の機会にとっておく。

その後の人生の話は だいぶすっ飛ばして 現在の私はというと
本当に宝物みたいな娘をさずかり
離婚はしているけれども 
元夫とも 子育てに関しては相変わらず協力してうまくやれているし
生きていてよかったな、と毎日感じて過ごしている。
実は、私が自殺したいと思ったのは 小学2年生のときが最初で
医学部進学後に引きこもりになって自殺しようと思うまでの間には
死のうと思ったことが 何度もあった。
もともと、生きることへの執着や責任感が、薄いのだと思う。
この世へとどまっていなければいけない理由が、見当たらなかったのだ。
それでもなんとか生きてこられて、
娘を授かってからは、
この子が一人で幸せに生きていけるようになるまでは死ねない、と
やっと この世にとどまる理由ができた。

おそらく、すべての選択は、今のこの自分、この状況へ至るために
必然だったのだと思う。
医学部中退で2年無駄にして 次の大学へ入りなおして
そこで出会えた同期の友達は
17年くらい経つ今でも、かけがえのない親友だ。
その後、学んだ英語を活かして就職した先で
元夫と出会うことになり
その夫との間に、娘を授かることができた。
医学部で失敗せず、医者になっていたら、出会うことがなかった人だ。
なにが どう転んで、どんな結果になるか、やってみないとわからない。
塞翁が馬ってやつだ。昔の人は本当によくわかっていらっしゃった。
それに、これはスピリチュアル界ではよく言われることなのだが、
起こる物事には、良い・悪いなんて区別はないのだ。
良い・悪い、の判断を乗っけているのは、人間なのだ。
物事は、ただ、起こる。
そこに、その時の状況や気分で、良い出来事、悪い出来事、と
人間が勝手に意味づけしているだけなのだ。
当時は最悪だと思った出来事も
後になって振り返ってみると、
あー、ちゃんと意味があったな、
自分の人生の肥やしになっているな、
と思えるように仕組まれている。
そう、すべて生まれる前に自分でプログラムしてきてるんだから。
人生は自分で設定したゲーム」なのだから。
嬉しい経験も辛い経験も、すべて自分の武器となり防具となる。
出来事が起きて、出会うべき人と出会うように設定されている。

こんな長たらしい個人的な人生談を書くのは
誰のためにもならないし
そもそも誰も私の人生なんて興味ないだろうし
書くまでもない、と思っていた。
でも今日、いくつかのニュースやyou tube動画をたまたま見ていたら
なんだか、いま書いておかなければいけないような気がした。
占い師の端くれなんだし、こういう直感には 従っておこうと思った。
書くのがはばかられても、自分と向き合って、これを書くことで
自分の心の中で、出来事が整理されて
結果的に 自分の癒しにつながった。
最後まで読んでくれた方、もしいらっしゃったら、本当にありがとう。
こうやって私が生み出した文章を、あなたが読んでくれたことも
立派な縁だと思うんです。
読んでくれて本当にありがとう。
おかげで私の辛かった経験が やっと成仏できました。

今回受験に失敗して、もう人生終わったと思っているキミたち。
人生はまだまだ続くよ。
受験に失敗するよりも もっとひどい挫折も 
もしかしたら今後味わうかもしれない。
はたまた、今後どんな辛い出来事が起こっても
受験の失敗に比べれば、こんな挫折くらい なんてことないわっ!
って思えるほど、強くなれるのかもしれない。
どちらにせよ、人生は辛いことばかりじゃないんだから。
辛いことと同じくらい、
もしくはもっと、
幸せなことも、プログラムして生まれてきてるはずなんだよ。
自分でクリアできるように 自分で設定したゲームなのだから。
受験に限らず、もう死にたい、この人生辞めちゃいたい、
と思っている人は、少なからずいると思う。
みなさん、その気持ち、すごくわかります。
ほんとうに、辛いと思います。
辛いときは、寝て、おなかがすいたら、食べてください。
他になにもしなくていいと思います。
そうして、寝ることと食べることに飽きたら、
楽しい気分になれることを やってみませんか。
辛いときに辛いことをわざわざしなくていいと思うんです。
辛くなるほど頑張っていらっしゃったので、
いまは自分をいたわってあげてほしいんです。
傷ついた親友をいたわってあげるように、
自分自身をいたわってあげてください。
状況は、遅かれ早かれ、変わるものです。
なんとか死なずに生きていれば、
自分の気持ちも考え方も、変わっていくものです。
RPGでも、イベントが何も起きなくて、
ただ時間が過ぎていくだけのときがあるでしょう?
そんな時間なんだと思ってください。
でもレアな敵と出会って、めちゃレベルアップしたりするんです。
レベルアップ期間なんだと思って、傍観してみてください。
死ぬ方法を考えている時間が多いかもしれませんが、
その時間の10分の1の時間でも、
楽しいことをする・考える時間に、あててみてください。
そのうち不思議と元気がわいてきますから。
だれかと話したくなったら、誰でもいいので 話してみてください。
私にメッセージ書いてくれてもかまいません。いくらでも話聞きますから。
facebookでもtwitterでも、lavender fieldで検索して メッセージください。
あ、もしかしたらただのラベンダー畑の写真がヒットして
私にたどり着かずに終わるかもしれないけど(笑)
なにはともあれ、とりあえず今日を生きることを目標にしましょう。

なんだか話がそういう方向に行っちゃった。
きっと今がつらい人へ向けて、話をするタイミングだったんだろうな。
全然死にたいとか思ってない人が読んでくれていたら、ごめんなさいね。
今日はそういう日だったんです。
また次回、違うネタでたくさん書きますので、
どうぞまた読みに来てください。

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