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さかあがり

お久しぶりです。厳冬の予感ですが、皆さんお変わりありませんか。
私の方は、冬が深まるとともに、心もなんだか厚着になって、身動きがとりづらいなぁと感じていた今日この頃。冬眠している時間以外は、辻仁成さんの小説を読んでおり、そのおかげで心が柔らかくなったのか、今日は感動で涙が流れた出来事がありました。

この町は本当に晴天の日が多く、今日もそんな、寒さは厳しいけれど穏やかな晴天の日曜日だった。
「今日はなにしようか?」といつものように娘と相談するところから一日が始まり、娘は、公園で鉄棒がやりたい、というので、私は、じゃその前に図書館に寄って、次の辻仁成さんの本借りて公園で読むね、ということになった。
晴れの日の公園は子供で賑わっている。公園の一角に、娘のお目当ての鉄棒があった。例外なく鉄棒にもすでに子供が数人陣取っており、娘はおとなしく順番を待ってから、逆上がりの練習を始めた。
保育園に通っていた頃は、体育のなかで逆上がりの練習の時間があり、娘も逆上がりができていた。でもそれから数年経つうちに、今は逆上がりができなくなってしまったらしい。地球回りだの前回りだの、いろんな鉄棒の技は出来るらしいのだが、肝心の逆上がりが、できなくなってしまったそうだ。昔はできていたのだし、別に今出来なくてもいいんじゃない?と私は思ったのだが、娘はなんだか今日はいつも以上に決心が固く、逆上がりの練習をする、とそればかり言っていた。公園に行ったら子供と一緒に遊ぶという選択肢がハナから無い私は、鉄棒の近くのベンチに座り、辻さんの本を開いた。
鉄棒が空くと、娘は逆上がりの練習を始めた。公園に来る前にyou tubeで逆上がりのコツの動画を見て予習をしてきたのだが、なかなかうまくいかないようだ。しばらく見ていたものの、ずっと失敗が続き、まぁそろそろ諦めるだろうな、と思いながら、私は読書の傍ら時々娘を観察していた。
時折、大きい子、小さい子、いろんな子が鉄棒を使いに来る。娘は独占しているわけにもいかず、譲って待ったりしながらも、ずっと逆上がりばかり練習していた。こうも失敗続きだと、見ている方が気の毒になり、私は腰を支えて回れるよう、介助しにいった。2,3回ほど助けたあと、娘は私の介助を断り、また一人で練習を続けた。しばらくそばで見ていたら、娘よりも小さい、4,5歳の男の子がやってきて、娘が使っているよりも一段高い鉄棒にヒョイとぶら下がり、助走もなにもなく、ぐるん、と逆上がりをしてしまった。
見ていた娘と私は「え??え??」と目がテンになり、私は思わず「すごい!」と呟いてしまった。娘はそこで大変悔しい思いをしたようで、なにも言わずにまた逆上がりの練習に戻った。
「もうちょっと腕の力が要るのかな?」「ジャンプする勢いがいるのかな」など、要らぬ助言をはたから差し込みつつ、娘を見守っていたのだが、そろそろ1時間が過ぎそうになったころ、喉が渇いたというので、休憩をとることにした。
いつも弱音と言い訳と文句ばかり言っている娘が、ここまで無言で頑張っているなんて珍しい。ベンチでお茶を飲む姿を見つめていたら、娘がぽつりと言った。
「学校でね、逆上がりができるのは○○ちゃん一人だけなの。他のみんなはできないのに、私ができないことを笑われたの。みんなだってできないのに、だよ? それが悔しかったの。みんなに笑われるくらいなら、今日何時間でも練習して、逆上がりできるようになりたいの。」
え、そんな理由だったの?と私はびっくりした。「そんなの、笑うほうがおかしいじゃん?」と私が言うと、娘は「うん。それもそうなんだけどさ、でもどちらにせよ、私は逆上がりができるようになりたいの。だから頑張るの」
そうか・・・”できるようになりたい”、か・・・。
私にはまったくない、その気持ち。娘の中にはゴウゴウとその気持ちが今燃えているんだな、と思った。何かを「できるようになりたい」という気持ち。

娘はその後もずっと練習しつづけた。ずっと失敗ばかりである。時々また他の子がきて、事も無さげに逆上がりを一発で成功させて去っていく。
それを見る娘が今どんなに悔しいだろう、うらやましいだろう、もどかしいだろう、と思うと、私はベンチで涙が止まらなくなり、娘が見ていないうちに一人涙を拭いた。口を一文字に食いしばって練習し続ける娘を見ていたら、読書に没頭する余裕もなく、私は祈るような気持ちで娘を応援し続けた。
1時間半はとうに過ぎ、居ても立っても居られず、ベンチから立ち上がって娘の横に立ち、そろそろ手を貸そうか否かと考えていたとき、娘が初めて、回転に成功した。
とはいっても、”くるっ!”とは言い難いゆっくりな逆上がりで、なんとかかんとかやっと回れた、という感じのものだった。でも、成功は成功だ。
「おーーーー!できた!やったね!!」と私の方が大喜びした。
娘も大喜びして満足するかと思いきや、
「まだ1回しか成功してないから。5回連続で成功するか、手にマメがたくさんできて痛くてもう回れなくなるまで、今日は練習するの」と言った。
え?そこまで?そこまでやるの?と私は思った。言わなかったけど。
そしてその言葉通り、娘はその後もさらに練習を続けた。私はちょっと離れたベンチで、こっそり泣きながら娘を見つめていた。
私がその後も辻さんの本を読んでいるふりをしつつ娘を見守っていると、娘が駆け寄ってきて、「ママ、マメが破れちゃったから絆創膏ちょうだい」と言った。そりゃそうだ、あれだけやれば、マメの一つや二つ破れるよ。
もとから痛みに敏感な娘はそのマメひとつでもだいぶ痛かったに違いない。絆創膏で覆って、もう一度練習に戻ったのだが、痛みで長くは続けられなかった。


「今日は弱音も吐かずにほんとによく頑張ったね」と帰りながら私が素直に敬意を表すると、娘は「ママ見てなかったけど、私3回成功したんだよ。でも連続での成功じゃなかったから。ほんとはもっと練習したかったな・・」と言った。1回なら奇跡かもしれないが、3回成功したのなら、できたと言っていいんじゃないか、と思ったが、娘の基準ではそれでも不合格だったらしい。なんて厳しい基準なの。私は未だかつて自分にそんな厳しく当たったことないぞ。この子の負けん気はいったいどこから来たんだろう。そんなことを思った。我が子なのに、本当に全く私とは違う人間なんだな、とひしひしと感じた。

そんな娘の姿を見て、私はいったい何をやっているんだろう、という思いが再び湧いてきた。「やりたくないこと」のリストばかりが伸びていき、「できるようになりたいこと」というリストは存在すらしていない。「やりたいこと」のリストは存在はしているが、とても短い。私の心は、何を欲しているのだろう。もう20年くらい前から、それを探し続けている気がする。
「やる必要があるか」「やって何の得になるのか」そんな疑問ばかり自分に問いかけてしまい、結局何の土俵にも立たず、他人の人生を観戦するばかりの人間になってしまった。他人が一生懸命生きている姿にただただ感動するばかり。他人への尊敬は募るばかりで、一向に誇れる自分になれないでいる。
でも、なにかをできる自分にならなければ自分を誇れない、というのも間違っていると思う。自分は自分、今の自分が満点なのだ。それは本当に、そうだと思う。生きていくだけで一生懸命なのだ。
今の自分で十分、満点なのだけど、「できるようになりたいことがあるから頑張ってみる」という視点。私にはその「できるようになりたい」の気持ちが欠けているのかもしれない。


今日は娘の頑張る姿を見て、本当にいいことを教わった気がした。
まずは娘にその感謝を伝えて、私のところに生まれてくれたことも感謝して、自分の「やりたいことリスト」の隣のページに、「できるようになりたいことリスト」をはじめてみよう。
なにしろ今まで凝り固まってきた心なので、すぐにスラスラとはリストアップできないかもしれない。でも今日はせめて、新しいページにタイトルくらい書いておこう。この気持ちを忘れないように。


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